普通ではいけない

唯一の相談相手である親友に
「ういかは”普通ではいけない、意味ない”って思っちゃうタイプじゃない?わたしも昔そうだったんだけどさ、、」
と言われたことがある。

確かにそうだ。
他の人と一緒であることは価値があると感じられないし、特別な存在である必要性をなんとなくずっと感じていた。

テストは全部100点をとり続けなければならない。一位でい続けなくてはいけない。選抜リレーには出ないといけないと感じていたし、楽器の腕前も負けたくなかった。優秀でなければ、だれも自分を認めないはず、、
これは私の小学生のころの気持ち。

あこがれのアイドルのような容姿でありたい、そうでなければ意味がない、中途半端ではいけない。インスタで見かけるような素敵な家に住んで、綺麗な服を着たい、そうでなければ人に会いたくない。会える自分ではない、、
これは大学生になった今の自分。

内容が変わっただけで、特別であることへのこだわりは何も変わっていないことに気付く。

たいていの人間が「普通」であり、それでいいはずなのに、それが嫌だから普通を脱却できず、苦しむ。
自分以外なら普通でいいじゃんといえるものが、自分に対してだけは許せない。

ネットである精神科医のブログをみた。
『「平凡恐怖」といってほかの人と同じは嫌だ、特別でありたいという願望から摂食障害や派手な行動を取ることがあり、そういう人にも頑張らなくて良いんだよと言ったりします。、、、』
そうか、私は平凡を脱却するために無意識に自分にストレスをかけ、「頑張っている」状態ということもできるのか、という気付き。

『フロイトによれば、超自我(親の教え、社旗のルール等)とリビドー(人間が持つ動物的なエネルギー)を自我が調整しているのですが、「がんばる」というのは超自我に支配されてしまい頑張りすぎて苦しいという状態です。、、、』
私にとっての「超自我」はなにか。アイドルのような、きゃしゃで小顔、綺麗な肌をもつこと、それでいてコミュニティにおいてかわいいと一目置かれるような存在であること。生活をすべて自分で管理でき、憧れられるような、いわゆる「いい暮らし」をすること、そのために経済的な余裕をもっていること。
私は考え方の根本で、すべて「人にいいねと言われる、憧れられる、褒められること・状態」を望んでいる。
これが原因で人からの評価に人一倍神経質になったりするのかもしれない。人の意見を気にしないなんてもってもほか、自分の根本の価値観すらも、他人軸になっているのだから。

『平凡恐怖があるからがんばるのであれば、周りを見下さず認める。自分も周りと同じで良いと認めるように努めます。逆に親(超自我)を理想化しすぎている場合はそこから自由になることを考えます。』
自分が、特に容姿について気にしすぎているとき、私は人の外見を凝視するようになる。コンビニで働いているのだが、その際「この人鼻が残念、他はいいのに」とか「化粧する前に肌整えないと意味ない」とか、気になるところが見つかるのだ。ひどいものだけれど。
でもそれは同時に、自分がその状態になることはどうにかして避けなければならないという暗示・脅迫概念になっているのかもしれない。認められないことが、どんどん増えていく。自分の首を絞める。

『がんばるのをやめるを一言でいうと、「それ、今本当に必要なの?」ということだと思います。、、、』
『がんばるのをやめるのは、本当に行動をやめることではありません。現状の努力の継続は必要ですが、それが本当に必要なのか見直してみましょう。』
特別へのあこがれをすて、普通の自分を認められるように、適切な程度の努力をしよう、ということなのだろうか。
特別になるための努力、ではなく、「ごく普通の、ありのままの自分のまま磨いていく」ということなのだろうか。

ひと昔前なら、こんな考え方は甘えだと、特別になれない自分への諦めだと感じられ、適度な努力はできないと感じられていた。
しかし、今のたくさん失敗してきた自分としては「特別になるための、自分の度を越えた努力は結局目指すものにたどり着ける方法ではない。むしろ道を誤っておかしな方向に進んでしまう」とわかっている。

まさしく私の摂食障害はこれにあたる。
特別きれいになろうと、断食などの無茶な行動をしようとする、自分のあこがれの対象に近づくにはこれしかない、という脅迫概念、きめつけ、焦り。
それで苦しくなって過食に走る。普通の自分としての努力の程度も下回る結果になる。

今の自分には難しいけど、特別へのあこがれを手放し、自分のキャパの中でがんばれることがなによりの近道なのかもしれない。

どうすればいいか。
方法はわからないけど、ひとつ確実だと思うのは、焦らないこと。
ゴールから遠く離れている現時点での自分を許せず、認められないから、はやく自分が許容できる範囲にもっていかなければ、と焦り、刹那的に行動する。
「継続は力なり」というし、それはわたしも重々承知している。
しかしその継続のために必要なことは、途中経過にあってまだ目標に達していない自分も認めながら、落ち着いて進んでいくことなのかもしれないと思った。

自分だけでなく、なにかを始めようとするときにはたいていの人が「はやく結果が欲しい」と思うだろう、これは結構当たり前の感情だと思う。
だから逆に、そんなに焦らなくてもいい、普通こう思うんだから、と、ある種楽観的にいる方が案外物事はうまく進んでいくのかもしれない。

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