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その日暮らしのわたしが考える中国の共同富裕について

わたしはそもそもそんなに勤労意欲が高い方ではありません。

ですから生きていくために仕方なく労働しています。もちろん社会貢献とか、だれかの笑顔がみたいって人なみに思います。でもそれも自分の生活基盤があってのことです。

これって日本人だからとか、中国人だからって関係ないと思います。

中国人だって同じです。まずは自分、そして自分の家族が暮らせることが大事です。その上で、さらに先を考える余裕が生まれてきます。

最近、共同富裕という言葉をニュースでよく聞きます。

つまり貧富の差を無くしましょう。豊かな人や企業は貧しい人をささえなければいけないという考え方です。

よく「先富論」と「共同富裕」は比較されます。

先富論とはまずはお金持ちになれる人から先に豊かになってもらい、その後、そのとみを使って全体が豊かになっていくという考え方です。

ですから先富論と共同富裕は対立しているのではなくて、共同富裕を達成するために先富論という考え方ができたわけです。

さて、この流れは本当にうまくいくのでしょうか?

最近では早期リタイヤを目指す人が増えています。ある程度の資産を作り、その後は贅沢することなくそこそこの生活を続けるという生き方です。

わたしの知人の中にも、そのような生き方をしている人がいます。カンボジアやネパールに投資したりして、労働しない生き方を追求しています。

これって人間の自然な欲求に沿った生き方じゃないかなって思います。

生きるための労働から自由になり、生活するのに必要な雑務はこなす。これって貴族の暮らしです。もしくはスローライフっていうのかな?

もしこういう生き方が主流になると、共同富裕は達成できないかなって思います。ある程度資産を作った人はリタイアするために計画を立てる。つまり今後の自分のために資産を使います。

稼ぐ力を使って、社会に還元したりとか、だれかを助けたりとかはしないでしょう。実際、知り合いの中国人は50歳ぐらいで引退して田舎にマンション買ってます。

そんな人たちは、今後消費する側ですから、恵まれない人を助けるために私財を使うことはないでしょう。むしろどうやったら私財をめべりさせないかを考えるはずです。

ただ大企業はそうともかぎりません。

企業は生き続けなければいけませんし、成長し続けなければなりません。そのためには国家という大きな枠組を無視することはできないでしょうし、社会から受け入れられるためにも共同富裕という理念を尊重することになるでしょう。

偉そうなことを書いてきましたが、わたし個人はどうなのかというと、18歳から今に至るまで、すでに隠居した人のように暮らしてきました。

今後も日々の糧を稼ぎつつ、弱小貴族を気取って生きていきたいと思っています。

今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。

また明日!

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