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くまてつは中国に住んでいます-自己紹介

はじめまして。くまてつと申します。

どうして自分のことを「くまてつ」と呼ぶようになったのか覚えていないのですが、高校生の時にはすでに間違いなく「くまてつ」と呼ばれていました。

決してバレーが好きだったりはしませんし、ほっそりとしたイケメンでもなく、どこにでもいるような小太りのアジア人ですが、自分の「くまてつ」というあだ名に愛着を持っています。

「くまてつさんって結局どんな人なんですか?」

と聞かれたり、

「くまてつさんってよくわからないですよね」

と言われたりしているそうですので、noteデビューもかねて自己紹介をすることにしました。

何をしている人?

中国の外国語スクールで日本語教師をしています。

主な業務内容は教師の仕事というよりは、他の日本語教師のサポートです。教案を確認したり、授業で出てきた疑問などに答えたりする毎日です。肩書きは主任ですが、実質一人で仕事しています。

日本語を学ぶ生徒向けの教科書を書いたり、ビデオを撮影したり編集したりもするので仕事の幅は結構広いです。

会社からはテレワークを許可されているので、週のうち10時間くらいは事務所にいますが、それ以外は自宅にいます。引きこもり気質なのでスタバとかで仕事することは苦手です。

他にも英日翻訳や中日翻訳、ライターなどの仕事もしています。

何をしてきたの?

・・・子ども時代

出身は東京都、育ちは日本です。

父親の仕事の関係で、だいたい3年に一度は引っ越してました。山形県・愛知県・大阪府・兵庫県・広島県・福岡県・鹿児島県などを転々としました。どの場所も本当に大好きで、それぞれの良さがありました。

・・・長かったモラトリアム時代

高校は進学校だったのですが、大学で勉強したいことも見つけ出せず自分だけ就職希望に。

ただ大学で勉強したいことも見つけられなかったわたしがしたい仕事を見つけ出せるはずもなく、そのままバイトをしながらモラトリアム時代に突入しました。

幸い自分の車を持っていたので、有り余る時間を使ってドライブの毎日でした。様々な風景を眺めたり、ぼんやりと読書を楽しんで時間を過ごしていました。

その後、親戚が経営する商業デザイン事務所に見習いとして採用してもらい、デザイナーのお姉さんたちに囲まれデザインのイロハを教えてもらいました。

またマッキントッシュ(当時はまだMacとは言わなかったと思います)を購入し、IllustratorやPhotoshopといったアプリケーションの使い方を一通り学びました。

またExcelやWord、ACCESSといったビジネス系アプリも一通り使えるようになりました。

そして25歳ごろから自分で仕事を受けられるようになりまして、モラトリアム時代から抜けだし、フリーランサーとして生きていくことにしました。

・・・結婚と中国語との出会い

その後、27歳で結婚しました。

妻になってくれた人は中国語を勉強していて、わたしにも勉強してほしかったようですが、わたしは外国語アレルギーでずっと外国語学習を拒否していました。

実を言うと、結婚するまでパスポートも持っていませんでしたし、海外旅行には関心すらありませんでした。

ただ今思えばそれは「酸っぱいブドウ」で、手に入らないものを良くないものだと決めつけていただけだと思います。

しかし彼女を通して知り合った友人たちが、中国語や英語を学び人脈を広げて活躍しているのをみて、道具として中国語を学ぶのも悪くないと思えるようになりました。

そして思い切って中国語を本格的に学びはじめました。

・・・日雇い部長として中国へ出張しまくる

その後、知人の紹介で日雇いのバイトに行きだしたのですが、そこの社長さんから広告担当者として働かないかと誘われました。

それで雇用契約は日雇いのまま、名詞には部長という肩書きをもつというなんとも奇妙な状況になりました。

また中国からの輸入関連の業務を担当することになり、中国語を話すことができることもあり2ヶ月に1度は中国へ出張することになりました。

これは非常に良い経験でした。

実質は良くいえばフリーランス、悪く言えばバイトだったのですが、表面的にはとある企業の部長という肩書きでしたので、一気に仕事の幅を広げることができました。

通販サイトを立ち上げて、自社オリジナル製品を作ったり、それを宣伝するためにブログを書いたり、ソーシャルメディアに露出させたり、展示会に出展したりしましたが、ほぼひとりですべてを行っていました。

ただいくらか調子にのっていたので痛い目にも遭います。

・・・吹けば飛ぶような存在であることを痛感する

急激な円安と、日本へ進出してくる中国企業との価格競争が始まり収益が急速に低下しました。

また、そもそも肩書きは部長であってもフリーランス気質であるわたしと他のスタッフが強い協力関係を築くことができるはずもなく、自分の担当している部署の閉鎖を告げられます。

それで肩書きを失い、完全なフリーランスへと戻ります。

少しの間バランスを失いましたが、妻の支えもあり立ち直ることができました。またこれを気に中国へ引っ越して本当の中国を体験してやろうという気持ちになり準備を始めました。

準備している間も、様々な先輩たちに声を掛けていただき、中国富裕層向けの医療ツアーの立ち上げに関わったり、韓国の医療・美容向け製品の日本での販売企画などに参加できたのはありがたかったです。

また先輩たちに美味しいモノを食べに連れて行っていただき、元気がでました。

・・・中国へ来てから大学生になる

中国へ引っ越してから問題になったのはビザでした。

最初は商用ビザ(貿易ビザ)で中国へ入国していました。わたしは Amazonや自社サイトで製品の販売は続けていましたので、商用ビザの取得自体は簡単でした。

しかし日本と中国の両方に拠点を置くのはコストもかかるし、商用ビザは立場が弱いと思い、就労許可(Zビザ)の取得資格を得るため通信制大学に通い始めました。

しかしその後中国のビザ発給条件が変更になり、自分の中国語能力と職歴を使えばZビザを取得可能であることがわかり中国の現地言語スクールに採用され、就労許可と居留許可を得ることができました。

大学では心理学と日本語教員養成課程を取りました。そもそも中国では日本語教育の経歴がなくても日本人で就労資格を満たしていれば日本語教師の仕事を探すことが難しくありません。それでも大学で心理学と日本語教育を学んだことは現在のキャリアに大きく影響したと思います。

そしてすでにご紹介したとおり中国の企業で主任という立場で仕事しています。今回はもちろん日雇いではありません。

これからの取り組みたいこと

・・・コスモポリタンになる

自分は異文化への許容度が高いと思っていましたが、決してそうではないことを中国へ来てから気づきました。

それで真のコスモポリタンを目指していきたいと思っています。

これを達成するために自分の中にある根強い偏見に気づき、修正するだけではなく、勇気をもって新しい事に挑戦します。また違いを受け入れ尊重することを誓います。

・・・日本語と日本文化の理解を助ける

日本語教育に携わるものとして、日本語と日本文化の理解を助ける仕事に取り組みます。

これは相手が日本国籍を持つ人だろうが、日本語母語者であろうが、そうでなかろうが、すべての日本語を理解したいと思う人にとって助けになれる人になるという意味です。

・・・家族と友人を大切にし、頼り頼られる関係を作る

今まで様々な人に助けられてきました。

ここまで暮らしてこられたのも家族と友人たちのサポートがあったからです。それで今後は助ける側とまではいかなくても、助け助けられる関係を築きたいと思います。

そのために精神的にも、身体的にも、経済的にも健全な状態と保つように努力します。

以上、簡単にですが自己紹介させていただきました。

こんな「くまてつ」をどうぞよろしくお願いします。


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