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瀬織津姫住まふ金毘羅山

神様の宿る神奈備

令和三年葉月の月並祭宵宮にて、典儀の齋藤慎一先生をはじめ80代のご参加者様よりお聞きした昔のお山の様子を記録します。

青梅永山グランドやハイキングコースが整地される前の北斗山(金比羅山)には、2つの沢が流れていたそうです。

1つは住吉神社側に”別当の沢”
こちらは住吉神社に仕えた山伏の役職名から命名されたそうで、今の津雲邸のところに屋敷があったとのこと。
この川の流れは千ヶ瀬の池の尻へ続いている(現在も?)。

もう一方は”桃沢”といい、一小側に流れていたそうですが鉄道が轢かれる際に流れを変え勝沼神社下の踏切あたりで別当沢と合流しているそうです。

昔から沢は穢れを大海へ流してくれる役割とされ、六月と十二月の大祓詞にその様子が描写されておりますね。

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大祓詞より抜粋
”遺る罪は在自らじと祓へ給ひ清め給ふ事を高山の末短山の末より佐久那太理に落ち多岐つ速川の瀬に坐す瀬織津姫と云ふ神大海原に持ち出でなむ此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都姫と云ふ神持ち加加呑みてむ・・・”

現在の形状は崩れてしまった部分があるそうですが、聞くところによると昔の北斗山は綺麗な三角ピラミッド形状で、金刀比羅宮の左右に前述の二つの沢が流れる態は『神様を祀るのに良い地形であり、非常に古くから信仰があったのではないかと推察される神奈備山』であったとのお話でした。

崩れてしまった箇所は、拝殿に向かって参道の左手側。
以前はそこに神楽殿があったそうです。

ちなみに今の拝殿の場所は石垣のある庭のような場で、その奥に拝殿(現在のハイキングコースのあたり)、そしてその奥が少し高台になっていて、そこに元宮様(玄武、北斗七星様)が祀られていたそうです。

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現在残念ながら沢の流れは確認することが出来ませんが、確かにそこに「在ります」。
古事記等には出てこず謎の神とされている瀬織津姫が住んでいるとされる沢の始まりを左右に携えた金刀比羅様は、禊ぎの場にふさわしい神聖な場所として古より守られており、時を超えその場に居ることが時に不思議な感覚となり、有り難い気持ちで満たされます☆

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