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【開催報告】ゼロイチほっと☆カフェ

2003年12月5日に開催したほっと☆カフェの開催報告です。
ゼロイチほっとカフェ/ 感情教育と対話について | (zero1.info)

インストラクター持ち回りで運営しているほっと☆カフェ。
いつか自分の回の時に、そもそも対話とは何かの紹介と、
安心安全を担保にありのままの思いをそっと出してみることと
その体感を味わってもらえる場をつくりたいと考えていました。

今までの会も対話テイストを盛り込んでの開催でしたが、
今回初めて、インストラクターも参加者の皆さんも平らな場に一堂に会する
対話の時間を持ちました。

どんぐりは本当によくできた学習理論で、ベースに感情教育をおき、
情緒の安定が学びの吸収の土台である、としています。
感情教育から紐解いて、子の情緒の安定のためにとても大切だったと考えている「対話的であることと親子の関係性」についてお話ししました。
主に小学校入学前、0歳から6歳までのお話しです。
(息子は現在12歳になりました。)

そして対話(opendialogue)について。
ざっくり、会話は考えを話すこと、対話は思いを話すこととし、
思いや心はその人の命そのものだと捉えている、ということ含め、
私の考えるその違いをお話ししました。

その後ご紹介したのは「今回の対話会のルール」でした。

・アドバイスはなし
・褒めない、否定しない、断定しない
・みんなが話せるように短めに話す
・話したかったら話す、話したくなかったら話さないくていい
・ここで聞いた話しは他の場ではしない

要素としてジャッジメントに繋がる、アドバイスはしない、褒めない、
をルール冒頭に掲げました。
これは私が最初に対話の場に参加した時に感じた、
「安心安全ってジャッジメントの一切がないことなんだ・・」という目から鱗をゴロゴロ落としながらの気づきからきています。

そこからブレイクアウトルームで対話の時間を持ちました。
私のルームでは、未来世代法主催で開催している「ことばの焚火・対話会」のことなども交えながら、みんなでポツポツお話ししました。
しみじみ。しみじみ楽しかったです。

みんながそれぞれの宝をゲットできるよう祈っています。
あっという間に12月。2023年最後のほっと☆カフェでした。
今年もお世話になりました。

そして本日、参加者の皆さんへ向けて参加のお礼メールを出しました。
記録の為に、ここに残します。
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昨日はゼロイチ☆ほっとカフェ
【感情教育と対話について】にご参加頂き、ありがとうございました。

ご自身の心のままに浮かぶ思い・気持ちをそのままそっと出す。
もし初めての感覚があったとしたら、そこに恐れはありませんでしたか?
私には奥の方が少し痺れるような感覚の記憶があります。そして安心安全な場であると確認して初めて、こわごわとそっと開いていく。

恐怖や恐れ。
深く細く奥の方にまでどこまでも蔓延っているように感じていました。
色々な要因から、私の中にコツコツと根ざされているのだな、と。
それは学校生活や偏差値偏重教育しかり、家庭環境や社会からしかり。
私にとっては何をやっても抜けきれないやっかいなものでした。
生きる事、というよりも漠然と人が怖かったのです。
深すぎて、もし魂のある場所があるとしたらその領域までいってるんじゃないかと思っていました。不足しているものは何かを調べてそれを足せば消えるのかな、と考えていて、併せ自分には勇気が足りないから動けない、乗り越えられないんだな、と思っていました。

でも、そんな風に長年恐れと連れ立っていた私ですが、今は恐れこそがそのまま可能性だと考えています。なぜなら魂の近くにまで浸透するようなしたたかな強さがあるのなら、その恐怖・恐れを成仏・昇華させることで起こるパラダイムシフトは、より大きなものになる(なった、でもきっとまだある)と考えているからです。

私にとっての鍵は、安心安全の体感、対話すること、自分でもその場をつくること。それは勝った負けたのパラダイムの住民であることを辞めるということでもありました。
https://greenz.jp/2019/10/11/gakushu_community_7/

安心安全という体感を取り戻すことで、ありのままで在れることを自分に
ゆるせました。できてもできなくても、私でいいとまずは知る事、体感すること。でもそれは今のままでいいと過剰に甘やかすことではないのです。
問題や課題は乗り越えるのではなく、含んで越えることで栄養に変換され、自分の一部としてそのまま続いていく。
それはさながら錬金術のように。

そして自分を信じる事ができれば(自信。身体があるということ※)
勇気とは自然に湧きあがるものだと知りました。
※古武術の教えより。

さて、ここで戻ってどんぐりです。
どんぐりは教えない。正解することに大事を置かない。
それは正誤でジャッジメントしないということ。
いい悪いはないのです。目の前の子供と描かれた絵が事実。

子が絵を描かない、描けない・・
我が家の場合、そこには必ず理由がありました。
事実を見る。その過程をじりじり味わう。

環境設定が全てだなと思っています。
そして子の環境は大人にしか作れない。
さらに最大の環境は親である自分でした。
だからこそ自分が一番大切だと思うのです。

自分が整うことで、選択も精査されていく。
でもそこには自分が心地良いと思うなら、という条件がつくと思っています。正しいから選択するのではない。
それがいい、と自然に選択できるように整えていく。

私にとっては、恐怖(とその奥にある自分の本当の願い)こそが大事なもので、そこから派生する自分の生き方がありました。

人が自分の真ん中で生きられるように。
自分の人生を生ききることができるように。
自分の為に、家族の為に、問いを持ち続けようと思います。

あなたの大事だいじは何ですか?
そこには自分だけのお宝があるはず。ぜひ手に入れてください。
そして皆さんのお子さん一人一人にも、お宝がたくさん降り積もりますように。

次回のほっと☆カフェは2月6日の火曜日です。
またのご来店、お待ちしています。

2023年12月6日 
ゼロイチ東京下町教室 豊里久美子

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