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いなくなっても生き続ける

大好きな人の存在を、ふとした瞬間に感じるととても嬉しくなる。
この世界にいなくなっても、その人が遺してくれたものがあるなら、その人は永遠に生き続けるのかもしれない。

僕がKANちゃんや数多くの音楽家から受けた影響たちがこうして音や言葉となって誰かに届くことで、間接的にでもその存在が生き続けてくれたら。それこそが僕が音楽をやっている意味そのものかもしれない。
だって、同じように、いつか僕の音楽に影響を受けた誰かが、いろんなかたちで僕の存在を生かし続けてくれるはずだから。

meiyoさんのこちらの記事を読んで、悔しくて涙が溢れた。
KANさんとmeiyoさんがコラボして、一緒にライブして、真面目にふざけるところを見たかった。 絶対楽しいし、凄いことになるって確信がある。 悔しいよね……ほんとに悔しい。
KANさんの全曲つなげにmeiyoさんの曲がしれっと演奏されて「ちがーーーーう!」って西嶋さんがつっこむとこも見たかった!
meiyoさん、素敵な記事をありがとうございます。

私はまだmeiyoさんに関しては本当に相当な「にわか」ファンなのですが、初めて聴くはずのmeiyoさんの曲が、体にとても馴染み、そして心躍るような高揚感に包まれるのは、そこにきっとKANさんを感じることができるからなのだと思う。

KANさんも大好きなアーティストをリスペクトし、楽曲のオマージュをしていた。
KANさんの凄いところは、ただ真似るのではなく、アーティストに最大の敬意を払い、一旦KANさんの中で吸収したものを分解し、そして緻密に組み立て直し、KANさんの曲としてアウトプットするところだ。
音楽に関しては全くの素人なので合っているかどうかわからないけれど。
一言でいえば、KANさんの曲からは尊敬するアーティストをきちんと感じるけれど、KANさんの曲はやっぱり唯一無二のKANさんの曲なのだ。

aikoさんの曲を初めて聴いた時に、すごく良い曲!良い歌詞!と思うと同時に、初めてのはずなのに、どこかしっくり、ピッタリくるこの感じはなんなんだろう、と思っていたら、後にKANさんの大ファンであるという事実を知った。
!なるほど!!!

同じく、meiyoさんの曲を聴いても、どこか体にとてもしっくり来るこの感じ。KANさんから影響を受けましたと言う人の中には、間違いなくKANさんがいる。
KANさんがそうしていたように、一旦KANさんの楽曲を体に取り込んで、自分のものにした後に、自分の曲として昇華させていることがわかる。
きっと音楽に詳しい人は、いろいろな分析をするのだろうけど、私はごめんなさい、ほんと感覚という曖昧な部分だけなのですが。

私は曲ではなく物語を作っているのだけれど、まったく気づいていなかった部分で、KANさんの影響をめちゃめちゃ受けていることに気づいた。
私はけっこう作風がバラバラで、ラノベ風だったりコメディだったり、ちょっと重めで現実的なお話だったりするけれど、物語の中で一貫して書いているのは「何気ない日常が一番尊い」という思いだ。

もちろんKANさんも様々なタイプの楽曲を作り、歌詞を書いているけど、なんの変哲もない日常や、人生について歌った曲がとても多い。嬉しいことも、悲しいことも、愛しいことも。ふとした日常を切り取って、美しく、悲しく、楽しく、優しく歌い上げる。そして私はそんなKANさんの曲が大好きだ。

KANさんのお人柄や、そうした楽曲から、自然と私もKANさんの影響を受けまくっていたことに、KANさんがいなくなってから気づいた。
影響は受けていると思っていたけど、改めて、いや、めちゃめちゃ影響受けまくりだな!ということに気づいた。
私の中にもKANさんがいる。
そしてきっと、みんなの心の中にもKANさんがいる。
だからKANさんはいなくなったわけじゃない。
こうして、いろいろな人にKANさんの曲も、歌詞も、お人柄も、ダジャレも!ライブパフォーマンスも!受け継がれていくのだと思う。
それって凄いことだよね。

KANさん、たくさんの宝物をありがとうございます。
そして、KANさんの存在を未来に繋げてくださるアーティストの皆さんもありがとうございます。

▼KANさんのご自宅にあるCD棚の「め」の欄に並ぶはずだったmeiyoさんのアルバム 

 『POP SOS』


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