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「いま」を湧き立ててみよう

足を伸ばして気持ちよさそうに日光浴する亀を見て、僕も家で伸びてみた。背筋鍛えていないからきっついな…甲羅が欲しいわ。

はて、見通しがつかない時って何をやったらいいんだろう。働いている社会人も学生もみんなやるべきことはあるけれど、生活の変動が激しくてなんだかストレスを感じるよね。この記事では、こんな時こそ、ふと思いついたことを真面目にやってみたらいいんじゃないかという話を書く。

この先どうなるかわかんねえなあ……毎日そんなことを思っている。明日はこうしよう、来週はこうしようと考えていたのが、思いがけない方向に変わっていく。僕はあと半期大学生なのだけれど、授業がすべてオンラインになることが先日決定した。最後の学生生活でみんなに会えないまま終わるの?という思いが消化しきれないまま、なんとか飲み込んで過ごしていかなきゃいけない。どんなことが起こるのか、非常事態だから分からない。分からないというのは、やっぱりストレスだ。

そう考えていくと、僕達って結構明日、明後日からその先のことまで考えて生きてるんだなということに気づく。僕は学部を変えたり、半期留年したりとかなり計画性の無い人間だけれど、一応先のことは考える。みんなはもっと、来週のことも数年先のことも考えているよ、と言うかもしれない。

最近読んだ本の中で、こんな一節があった。

”幼な子は時の流れというのを、たぶん、感じない。いつも「いま」が湧き立っている。”(想像のレッスン, 鷲田清一)

公園に行って、子供を眺めていると面白い。噴水に見とれていたと思えば、いつのまにかどこかへ走り出している。キャッキャッと笑っていたあとにすぐにワンワン泣いていたりする。自由だな…と羨ましく思うのは、もしかしたら子供は時間の流れから自由だからなのかもしれない。

歳を重ねていくと学校にも通うようになって、何時に家を出よう、試験前に何時間勉強しよう、というように時間の大きな流れを掴んでいくよね。そのフレームが今度は人生に当てはめられるようになって、どの大学へ行こう、どの会社で働こう、というように大きなスパンで時間を捉えるようになる。大人の考える「いま」は、いつも過去から未来へと繋がっている。その時間の流れは、僕らの中でもはや自動的に動いているようだ。

けれど今、新しいウイルスの蔓延によって世の中が混乱して、未来が見えにくくなった。先のことがわからない。医療現場にいない僕たちは、明日の感染者数はどうなるのか見当もつかない。非常事態宣言が出たらバイトがなくなるのか、テレビ番組はどうなるのか、それがいつ分かるのかも分からない。予定が立たない。

それならいっそのこと、幼な子のように「いま」を湧き立ててみたらどうだろう。ふと思いついたことを、やってみよう。

いつもと違うもの食べてみようか。体を動かしたいし踊ってみようか。そんな小さな思いつきは誰にでもあるんじゃないかな。過度に出歩いて、人と触れ合うようなことをしなければいい。「いま」は幸い過去とはしっかり繋がっているから、昔の自分を掘り出してみてもいいな。ちなみに僕は、5年前からつけている日記をぱらぱらと読んだり、積まれていた本から面白そうなのを発見して読みたい順に並べたりしている。昔の自分と繋がっているようで、とても面白い。

そんな風に「いま」を湧き立ててみたら、新しい分野に興味を持てるかもしれないよね。先ほど引用した本では、そうして広がっていった世界が、年老いていくと一枚のピクチュアのようになって人生の時間を作り上げるんだ、というようなことが書いてある。今回の記事はそれを切り取ったものだけれど、興味があったら、ぜひ読んでみてほしい。ここにあるもので、ここに無いものを思う、そのエッセンスがたくさん書かれているから。

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