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手紙を読む

手書きの手紙を書くことが、減ったなあ。もらうこともほとんどなくなった。だからこそ、たまにもらう手紙はとてもうれしい。

わたしは物を捨てるのが苦手だ。
でも、大人になるにつれ、「わたしは何に家賃をはらってるねん」と少しは物を捨てられるようになったものの、まだまだ捨てられない病は根深く残っていて、その上片付けが苦手なもんだから、こまる。

その捨てられないもののひとつが、もらった手紙 である。
年賀状はこの間10年以上前のものをやっと片づけた。本当にとっておきたいもの以外をやっと捨てられた。

それ以外の手書きの手紙は、なかなか、捨てられないのです。

引き出しの隅から、押し入れの箱の中から、端に薄く挟まり何年も明けられることなくしずかにしずかにそこに在る。
何かの折に思い出したり、ほかのものを探しているときにふと手に触れて、思わず開いてみると、その手紙をもらった時の「つたない自分」が現れる。
自分を、手紙を書いてくれた人が存在を支えてくれていたんだと、そよ風のように感じることができる。
日々の苦しさに、いやなところばかり目に付く自分も、また重ねていやになったりするけれど、手紙の文字に、それを手にした記憶に、大切な人からいただいたという事実に救われる。

最近は、土門蘭さんの「手紙」にも、救われています。
わたし宛てではないものでありながら、まるでそこにいて話しかけられているようで、毎回ぐっと涙ぐんでいます。生きていてもいいんだと言ってもらえているみたいです。
ありがとうございます。

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