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消雲堂綺談「恐怖」

「ばりよん」または「おばりよん」外山暦郎「越後三条南郷談」より

昔、越後地方に「ばりよん」という妖怪が時折現れて人を恐怖させた。夜の道を歩く者の背中にいきなり飛び乗って「おばりよん、おばりよん」(オンブしてくれ)と言いながら頭を囓るのだ。そのために夜間に歩く者は金鉢を被って、ばりよんを防いだという。ばりよんは他の地方にも名を変えて現れる。ばりよんとは、所謂「おんぶお化け」のことだ。「子泣きじじい」もこの仲間かもしれない。

面白い逸話もある。ばりよんをおぶったまま帰宅すると、ばりよんが金の塊に変わっていたという話だ。このように《恐怖心を表さない者は富を得る》という伝承はたくさん残っている。備後の「稲生物怪録」はその代表例だが、その他にも同様な話がたくさんある。

恐怖心を表さない者が富を得るというのは、何だか意味深だ。

世の中には僧侶に神主、悪魔払いに陰陽師とかいろいろろ“人の恐怖を払ってくれる職業の人”がいるけれど、よく考えたらそんな人たちに頼らなくても“恐怖しなければいい”というのが最も有効であることがわかる。

人の恐怖にはそれぞれ要因があるが、結局は自分自身に問題があるのだ。人を殺しても傷つけても平気な人には霊的な恐怖がない。人の命を何とも思わない者に呪われるなんてことはないのだが、仇討ちと狙われる現実的な恐怖に戦くことになるかもしれない。

「自分には霊感がある」などと勘違いしていると、どこもかしこも何にでも恐怖しちゃうことになる。よく考えれば世界中のいたるところで人は死んでいる。足の踏み場もないほどにそこらじゅうで人が死んでいるのだ。それらの死者が祟るのであれば、地球には住めるところがない。

僕は「あたし霊感が強いの」とか言う人とは友だちになれない。それでは何故に怪談のような話を作るのか? 面白いからである。人が面白いと思わなくてもいい。自分自身が面白ければ大満足なのである。

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