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篠山紀信さんのこと・・・合掌

僕はいい加減な性格ですから若い頃は、才能もないくせに「漫画家になりたい」「小説家になりたい」「カメラマンになりたい」「フォーク歌手になりたい」なんて、いくつも夢がありました。いずれにもなれなかったのですから、それは本当の夢に過ぎなかったんですがね・・・w。

漫画家になりたくて、美術研究所に通いながら絵を描いたけれど、スポーツ新聞の挿絵も描いたけれど不評・・・そのヘタクソ加減に愛想が尽きて(というか飽きてしまったんです)、絵はヘタクソだけれど写真ならばデッサンも描画時間もかからないし・・・なんていい加減な気持ちで「カメラマンになりたい!」なんて2番目の夢に移籍していったんですねw

あ、それに漫画を描くときの素材にしたのが有名な写真家の写真だったのですね。だから写真には興味があったんです。ちなみに高校でも写真部でヌードポスターなんかを焼いて遊んでいました。

雑誌「写楽(しゃがく)」

その当時は、篠山紀信さんが人気があって、一世を風靡していました。写真専門誌「写楽」や「GORO」に他の雑誌の表紙を飾ったりしてました。紀信さんは「美しく撮る写真家」の代表みたいなものでした。一方では僕の漫画愛読書「ガロ」に、つげ忠夫、鈴木翁二、安部慎一、古川益三(敬称略)などの漫画の中に「浪漫写真」なる写真&文が連載されていました。これがアラーキーこと荒木経惟さんの連載だったのですね。

しばらくして「週刊 平凡パンチ」に「アラーキー写真塾」という連載を持たれたのですが、そこに僕が写真を投稿していたのです。その被写体というのが、当時僕と一緒に暮らしていた女性で、その写真が何度も佳作になって賞金をもらうようになったんです。んで、平凡パンチで「上諏訪アラーキー写真合宿」なるイベントがあって、僕もそれに招待されたんです。嬉しくてね、会社をズル休みして参加したんです。そこで荒木さんと話ができて、一緒にモデルさんを撮影してね、楽しかったなぁ。

それと同じ頃にその女性が所属していた芸能事務所が彼女を紀信さんのモデルにしたんですね。山中湖畔で紀信さんが撮影した写真が、雑誌「GORO」に載ったのは半年後くらいでしたね。その写真が、その後「激写文庫」として出版されたんです。彼女は喜んでね・・・僕もついでに大喜びでした。

その1年後ぐらいかなぁ・・・1回別れて、今度はヌケヌケと彼女のアパート(北新宿、東中野、大久保に近いところです)に転がり込んだんです。それから半年後に彼女に「出て行け!」と言われて追い出されて・・・(笑)。あの頃が一番面白かったなぁ。その頃は僕も30歳だったから青春というには年を取り過ぎてて違うと思うけど・・・。翌年、すぐに今のかみさんと結婚するんですね。

おっと、紀信さんでした。紀信さんとは話したことがないけど、渋谷の映画館でチケットを買う紀信さんを見かけたことがあります。もじゃもじゃ頭ですぐに「紀信さんだ」ってわかったんですが、その紀信さんのほっぺたから長い毛が1本生えててね、それが面白かったんです。結局、話しかけませんでしたよ。

荒木さんとはその後何度か写真イベントで話す機会があったけど「アシスタントにしてください」なんて言えないしね。

あ、それだけです。

紀信さんのご冥福を祈ります。合掌。

紀信さんは「美し写真系」ですが、面白い写真も撮っているんですよね「篠山紀信ニュース1」より

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