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徒然雲 【MARK RIBOUD展】

先日、京都に用事があり行った際に、これまたフライヤーコレクションの中にあった展覧会を観てきた。

初めて訪れる美術館、『何必館・京都現代美術館』
祇園の八阪神社のすぐ近く、あのあふれる往来につい見過ごしそうになる。
間口が狭く、奥行きのある京都らしい建物。



【MARK RIBOUD展】

マルク・リブー
1950年代から「マグナム」に参加し報道写真を撮り続けたフランス出身の写真家。
アフリカ独立運動、ベトナム戦争、などの現場や背景の渦中の時代のリーダーや運動家たちの姿を取材しシャッターをきってきた。
マグナムの活動そのものであり、世界中が激動という言葉の通り変革や改革の渦が大きく巻き起こり、ジャーナリストにとっては最高?!の時代だったのかも。
その時代の瞬間を切り取って記録してきた集団の中でも、トップクラスの人物であった。


展示は撮影禁止だったので、展示室意外やフライヤーからの画像になります。







ジャン・ローズ 1967年




フィデル・カストロ、キューバ 1963年





ジャン=ポール・サルトル 1964年





霧のダージリン




60点ほど(もっと少なく感じた)のオリジナルプリントの作品を観て、
いわゆる時の人たちのポートレートは貴重なものであり、その場に居合すことができたというのがマグナムの力もあるかもしれないが、粘り強い取材力でもあることがわかる。

写真は、見える景色、被写体を撮影者どう切り取るかで本当に大きく変わることを
自分で撮っていてよくわかる。
いい悪いではなく、そこに個性や感性が出るものだと思っている。
報道写真、ドキュメンタリー写真もそこに起こる事実や写る人物像だけでなく、
その事象の背景や心情までが映し出された時に我々の心に響いてくるものでは・・




マルク・リブー 1973
かっこいい



久々に写真展を観て、以前とはちょっと見方、感じ方が変わったことがわかった。





この何必館には北大路魯山人作品室なるものがあり、作品が展示されている。
5Fと地下に分かれているが、とてもいいコレクションだった。

やっぱりいいわ・・・魯山人






茶室



光庭






写真を撮ることは記事を書くことと同じくらい好きですが、それは見たものをより美しく撮りたいというよりも、そのままをワタシの切り取り方で残したいという思いが強い。
そこには瞬間的なドキュメンタリー性を大切にしたいと心がけている。
マルク・リブー展の館長のことばにあった
カメラは彼の身体の一部であり、優れたピアニストと同様、日々の研鑽を欠かさない・・・
に強く共感、いつもいつも撮っていなければ、いいもの(自分が表現したい)は撮れないと最近よく思うのです。
自分が見た被写体と、写した画像とのギャップにうんざりすることが多々あります。
この画角、光、等々の経験値でどう映し出されるかがわかってくる、行き当たりばったりで、たまにいいものが撮れるかもしれないが確率は低い。
なので、ワタシもカメラが自分の身体の一部になるくらいいつも一緒に行動し、
撮り続け確率を上げていかねばと・・・
でも、たまに忘れる・・そういう時に限って、瞬間はやってくるのです。



こんな感じで撮ってます





今でこそ平和に静かな土地や道の、かつて人々の通った歴史の轍のような
景色や建物を記録したいと歩く、撮る、書く・・・




良い週末を!

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