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からっぽに注ぐ

「お茶屋やるってちょっとおかしい人じゃないとできないでしょ」

そう言われた意味がやっとわかってきた、まもなく丸3年を迎える雲間店主。
今更ながら、こんな店をやろうとするのはアホじゃないとできないんだなと思う。賢かったらこんな儲からない店やらない。

秋晴れの午後、お客も来ないので小豆を炊きながら思い出す。

「ちょっとおかしい人じゃないとできない」というのはひどいようで実は褒め言葉で(たぶん)、リスクをアホみたいに抱えてそれでも店開くっていうことに賛同すると言われているんだと思った。
そういう、心配して応援してくださる方がいらして、すごい取引量少ないのにいいお茶送ってくださる方とか、お茶飲みに来てくださるお客さんとか、人の善意だけでこの店はなんとか潰れずに済んでるんだなと思う。

というか、経営者としてまともならもうとっくに潰してるんだと思う。
金勘定ができないから続けてるってだけなんだろう。
ご近所では、あんなに客がいなくても潰れないということで「雲間富豪説」がまことしやかに囁かれている。

まあ、お茶が好きだからお茶屋をやっているんだけど、ときどき、お茶のなにが好きなんだっけと考えることがある。

のめりこむきっかけとなった初期衝動は台湾茶の香りだった。
お茶の葉に、花や果物の着香してないのに、なんでこんなに香るのか。
ただ目をつむって、茶杯にうずもれていくように溺れていった。

もっと知りたい、もっと欲しい
時間とお小遣いをつっこんで、夢中になっていった
けど
妊娠してお茶の味がわからなくなり、出産して湯を沸かすこともなくなり
しばらく人生からお茶が消えた。

まだ若かったし、女性だったし、仕事荒んでも子供育てなきゃいけなかったし、いろんなしょうもない苦さをじゃりじゃりと噛んで、怨念を燃料にして動いていたような感じ。

疲れ切ったある日、本当に久しぶりにお茶を飲みたくなって、湯を沸かして茶を淹れた。
からっぽの急須に湯を注いだ時、
ああ、
まるで自分にあいた穴を見ているようだったな。

ぜんぜん忘れてた。湯気が立つこの感じ、この香り。
私はなんと自分を粗末に苦しめてきたのだろうか。
もう、いいでしょう。

湯を沸かして、湯気を立てて、からっぽに注ぐと、自分が満ちてあたたまる。
そのお茶をだれかに注ぐと、その人も温かくてうれしそう。
そんな単純な喜びばっかり確認していたいと思った。


ほんとうにひょいっと、お茶を淹れてふるまう場を持つべき時がきたなと思ったのが3年前の夏でした。

店の名前を探していて、思いついたのは皆生温泉の露天風呂でだった。
真っ青な日本海、ぽかんと浮かんだ夏の雲。ああ極楽。こういう茶だよ。

人生はいつもたいがい五里霧中。なんなら暗闇だ。
そこに雲間からさす一筋の光のように、ぱっと心晴らすお茶を飲んでもらいたい。見たこともないような景色を見せてくれる、そんなお茶の力を信じたい。


あれから3年、願いは叶ってて
街角のタバコ屋の婆さんみたいにいつもそこに座ってて、湯が沸いている。
知ってる人も知らない人も、湯気の立つ茶碗を手にして、はぁ〜っとほころんでいく。

市中の温泉場、いつも掛け流し。

店を片付けて、電気を消して、鍵を閉める時、
ああ、今日もいい湯が沸いたなぁ、ありがとうございましたと言って帰る。

いいことばかりで経営は成り立たないのは痛いほどわかっており、
たいてい不安だし、いつだってなんかギリギリなんだけど、
心配であきそうな穴には早めに湯を注いで、湯気の向こうで今日も生きている。


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