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「いい写真」という考えは捨てた

 写真を学ぶうちに明確になったのは、「いい写真」を撮りたいと思いなが
ら、それを明確に理解していなかったことだと感じた。そして、自分の望む
写真を撮るためには、「いい写真」を捨てて、異なった視点で撮ることが必
要だと気づいた。

「いい写真」という曖昧さ

 「いい写真」は、「良い写真」と表記しても大きな意味の違いはない。辞
書で調べると、「良い(よい)」は「好い(よい)」と表記されることもあ
る。したがって、「いい写真」とは「良い写真」でもあり「好い写真」でも
あると言える。

 「良い」は客観的に優れていること、「好い」は主観的に好ましいことで
意味合いが異なる。「良い写真」と「好い写真」を混同しないことが大切だ
と思うが、混同されていることが多いような気がする。

 「良い写真」には客観性があるはずだ。だからこれを目標にしようと考え
ていた時期がある。ただ、客観的に「良い写真」だと判断できる基準につい
て、色々考えながら、これというものを決めかねていた。

 「好い写真」には、写真を撮った人や観る人の主観が入り込むものだと言
える。だから基準は人それぞれで異なる。
 撮った人が、あるいは観た人が、この写真は「好き」だというのであれば
、その写真はその人にとって「好い写真」なのだ。だから「好き」を持ち出
すと写真は分からなくなる。

「良い写真」も「悪い写真」もない

 退職後、月に二度カルチャーセンターの写真教室に通っている。通い始め
たきっかけは、教室の先生が開催した一日セミナーに参加したからだ。その
セミナーは、写真教室とは関係なく、一回限りのものだった。

 セミナーの冒頭。「『良い写真』も『悪い写真』もありません」という先
生の言葉が印象に残っている。それではどのような写真があるのだろうか。
「伝わる写真」はあると言われた。その言葉を聞いて、目から鱗が落ちたこ
とを憶えている。

「伝わる写真」

 写真教室に通うことで明確になったことは、求めていた「いい写真」とは
、写真展で飾られている「作品」ということだ。「作品」をもう少し具体的
に言うと、それは観た人に「伝わる写真」なのだ。

 撮った人が、発見したことや感動したことが上手に表現されている写真は
「伝わる写真」だと思う。被写体や色彩などが、どのように表現されている
かは、撮影者の視点や感性などで異なる。それでも、「伝わる写真」からは
撮影者の気持ちや心が感じられると思う。

写真の「基準」

 SNSなどで「いい写真」が定義されているのを目にする。「好い写真」の
ことだと思うものは排除し、「良い写真」の定義を拾い上げる。そうすると
ピントが合っている、ブレていない、色の鮮やかさなどの基準が挙げられる
ことが多いような気がする。それに対して、「伝わる写真」にそのような基
準はない。「伝わる」か「伝わらない」かそれ自体が基準だからだ。

 ピントが合っている写真が「良い写真」だとすると、ピンぼけ表現の手法
を用いた写真は「悪い写真」になってしまう。
 「伝わる写真」にとって、ピンぼけ表現は「表現手法」の一つだ。これは
雰囲気描写に用いられるアウト・オブ・フォーカス(out of focus)と呼ば
れる。

 自分の好みを基準とする「好い写真」。ピントやブレそして色鮮やかさが
基準となる「良い写真」。これはグラビア雑誌や、料理・グルメ雑誌の写真
、図鑑の写真、観光地の写真などの商用写真が該当すると思う。「伝わる」
か「伝わらない」かが基準の「伝わる写真」。何を基準にするかで「写真」
の撮り方は決まってくると思う。

「いい写真」は捨てた

 写真を撮るとき、「良い写真」や「好い写真」の基準を持ち出していた時
期は、五里霧中だった。しかし、「作品」創りのためには「伝わる」か「伝
わらない」かという基準で撮ることが最善と考えるようになって、どのよう
に撮っていくかという方向性がみえてきた。

 「伝わる写真」を撮るために、撮影場所での「発見」や「感動」を大切に
している。自分の心の動きが上手に表現できれば「伝わる写真」になると考
えているからだ。

最後に

 「良い写真」も「悪い写真」もないこと。しかし「伝わる写真」と「伝わ
らない写真」はあるということを、写真教室の先生の話をもとに書いた。た
だし、「好い写真」に関しては、「いい写真」について自問自答を繰り返す
中で私が思いついたことだ。

 写真に関しては学びの途中だ。自分好みの写真を撮ることも、商用写真の
ように見た目重視の写真を撮ることもあるが、観た人が何かを感じる写真を
撮ることの方が愉しい。


 


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