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オンライン飲み会なんて、大嫌いだ

 「みんな元気なの?
陽子ちょっとなにそれ。水じゃないよね?えー!まじで水なの。
香織は?安定のビールね。
多田!ワイン!何それそんなイメージないんだけど。私はねノンアルビール。
いやあの…あのね…。この年になってアレなんだけど…妊娠…12月予定。来年…来年は会えるかねえ。生まれてたら、お盆の頃には8…9カ月? さすがに居酒屋には連れて行かないか。はは。
里中はー? 何飲んでるの。何も? あれ、何も飲んでないんだ。香織のビール、すっごい濃い色だね。なんのビール?」



変わらない。そうだ、美紀ちゃんはいつもこうだった。
報告はいつも突然で、いつも事後だった。
二十代半ばの頃、なんだか最近静かだなと思ったら、オーストラリアから「ワーホリ!」なんてひとことだけ書かれた美しい絵ハガキが届いた。

素っ気ないハガキを「らしい」と思うと同時に寂しさも感じた。昔から「相談」をしない人だった。会社の愚痴とか、恋人の悪口とか聞いたことあったっけ。

妊娠。そうか。

「産みたい」と思えるようになったんだね。



「クラフトビールぅ~。いいでしょ。あー、でもねなんだろこれ。冷蔵庫にあったやつ。
それよりー! 美紀! 45で! 妊娠! 美紀、頑張るねえ。私はとうとう子ども持てなかったなー。うん、不妊治療したけどね。できなかった。
あーーー、ちょっと静かにならないで。もうさ、42歳になった時にきっぱり諦めたの。
子どもできたら……ってダンナと貯めてたお金、二人で使う人生にしたわ。大好きなビール、発泡酒にしなくていい人生。いいでしょ!
治療にもお金かかったしねえ。体外受精までしたけど、無理でさ。……あーーーーー、だから!
ごめん、静かにならないでよ。でもまあ、こんな場所だから言えるってもの、あるね。来年まで会わないだろうし。会社のひととか、私の親とか? すっごい気ぃ使ってるのわかるの。もう私もダンナもこんなんだよ? あっけらかんとしてんだけどね。
美紀、おめでとう。ほんとに。大事にしてよ? アタシたち45歳なんだから。
里中! なんでアンタさっきからひとことも喋んないワケ。なんか、薄暗い部屋だね。どこにいるのアンタ」



ビール片手にケラケラと笑う、香織。
皆の前で話にくいことをぶちまける姿に、放課後の教室を思い出した。
「名字変わるんだってー」と、親の離婚を何でもないことのように話し出した香織を覚えてる。
「実は不倫だったのさ」と、ザンギをもごもごと頬張ってチューハイをぐびぐびと飲む姿が脳裏に焼き付いている。
「そんな顔しないでよ」というセリフを、香織の口から幾度となく聞いた気がする。

変わらない。
今でもやっぱり、サラっと済まないことをさらりと言って流そうとするのだ、香織は。



「あー、オレひとりじゃないんだよね。ここ。うしろに人がいるんだわ。
ん? あー、自宅じゃない。まあどこでもいいっしょ。同窓会だからって、急いで参加。あと10分しかくらいしかないかも。えらいだろ。
今ね、網走なんだわ。農業してる。
家族はーーーーうん、札幌。……札幌にいるのかな。いるよな。はは。ここは研修みたいなもん。仕事するためのね。
実家? いや実家は農家じゃないよ。これはオレの仕事。もうすぐ帰れるよ札幌。もうすぐ…。
そうそう、息子いるよ。今、そうねえ、何してるかね。寝てんじゃね? あ、そういうことじゃない? はは。
よく息子のことなんて覚えてるね陽子サン。え、陽子サンて気持ち悪ィって? だって最後に会ったの、7、8年前のクラス会だべ。
頭さえてんなー。昔とおんなじな。漢字テストでいっつも100点だったの覚えてる。え?違う?あれ、100点いっつも取ってたの陽子じゃなかったっけ。あ、じゃあ英単テストだ。だろ?
あー、なに、それも違う。もういいや。とにかく、かしこいねアンタってこと。どうよ最近。はは」



調子がいい。
そうだそうだ、コイツはいつもこうだった。口から出まかせで、適当なことを並べ立てて、その場を盛り上げたり切り抜けたりしていた。

でも、困ったことに、あながち適当過ぎることもないから、皆が少しだけ里中を信じるのだ。

里中の口のうまさに。小賢しさに。

少しだけ、騙されるのだ。



「どうよ最近って。なに。相変わらずチャラいよね里中。農業ってなに。
てか、わたし、さえないわー。すっげ大変だったんだよ? この同窓会準備。
Facebookでさ、A高校同窓会の会長?福田?ってひとからMessengerきてさ。
今年の夏は集まれそうにないから、オンライン同窓会のお力添えを…なんて言われてね。
ほらアタシ、Facebookすっげー使ってるじゃない仕事で。仕事アカウントとプライベートが混ざるとロクなことないねー。
何の仕事してるかバレバレだし、オンラインイベント慣れてんでしょって。慣れてるけどさ、それは仕事で。こんなプライベートかつ大きなイベントをオンラインでとかやったことないし。
場所の手配だけお願いって言われたけど、幹事の名簿に『連絡先はあるけど、メアドやSNSでは繋がってない人』ってのには、結局ハガキと電話だよ。途中から知るか! って思ったけど、乗りかかった船だよね。
さっきの総会の話とかなーんも聞いてなかったけど。ブレイクアウトルームの振り分けのことで頭いっぱい! 
へ? ブレイクアウトルームって何って? この部屋のこと! 総会終わってからピュンッと移ったでしょ。そ、れ、は! 私が操作してたの。同期で集まるように振り分けたの。え、すごい? なにがよ。誰でもできるってこんなの。
え、グラス? 水なわけないじゃん! 白ワインだよ。ね、多田もワインだよね。わたし、赤は苦手なんだー。多田は何のんでるの」



ほんっと威勢がいい。
賢くてカンが良くて、いつも輪の中心だった陽子。

ふざけて見せてもらった通知表には、10がたくさん並んでいて度肝を抜かれた。すいすいと難関国立に合格して、当たり前のように大企業に就職して、これまたそんな女性のモデルケースみたいに、30歳を過ぎてから地元に戻って起業した。

何をしている会社なのかよくわからないけど、私たちのクラスの出世頭だ。
陽子の会社のホームページには「あなたの夢、かなえます」って。

へえ。




「あ、ごめん。オレ、時間なので抜けるね。来年は居酒屋行けるといいな。じゃあ、また」


ひとり、ルームから抜けた。
抜けたのは、里中だった。



「たーだーちゃん!多田!」



陽子に呼ばれて、私は我に返る。赤いワインが、パソコンの液晶の照らされてゆらゆら揺れているように見えた。何を飲んでいるのかと聞かれ、安いチリワインだよと答えたとき、香織が低い声で皆に問いかけた。
「ねえ、里中ってさ、刑務所じゃなかったっけ」


「え、まさか。刑務所で参加できるわけないじゃん」
美紀ちゃんが訝しげに言う。


「なーんか。小耳にはさんだんだよね。ストーカーで警察呼ばれて、とか。飲み屋で暴れて傷害事件とか、詐欺まがいのECサイト運営していたとか。調子の良さが悪い方に働いた小悪党って感じ。チンピラだよね。でもさ、確か自営で工務店してたはずなんだよ。どうしたかな、会社」と、訳知り顔で香織が言う。


「ああ、香織、知ってんだあのこと。もしかしたら、『農業』ってのは模範囚のいる網走のあれかもね。もうすぐ帰れるって言ってたし。模範囚なら、こういう会に参加できるくらいの優遇があるのかも。来年ってどうなんだろうね。皆に会わす顔、あるのかな」
陽子が、もっともらしい話を引っ張り出す。

私は、三人が話す様子をぼんやりと眺めていた。

ああ、やっぱり香織だ。さらりと言いにくいことを皮切りしてくれる。と、いささか見当違いなことを考えながら液晶画面を見つめていた。
酔うとオンラインはダメだ。どうもテレビを視聴しているような気になり、会話のどこで自分の声を挟むかタイミングがはかれない。
香織らしいなあと言いたいのに、なかなか私の声は電波に乗らなかった。


一瞬、画面の中で沈黙が広がった。



「あのさ、ついでに私もと思って言うけど。来年になったらわかることだし」
美紀ちゃんが沈黙を破ってぽそりと呟いた。

「この間、羊水検査受けたのね。私もダンナもいい年だし。でもそれは、結果がどうあれ、受け入れる体制と心構えを持つための検査ね。
どうやらこの子は染色体異常のようで、さ。まだピンと来てないけど、どんな子なのか予習だけはしてる。来年の夏は、生まれた後だけどもしかしたらバタバタしてるかもなあ。今日みたいにびっくりさせないように…言っとく…ね…ああ、ごめん。…今日はもうやめといた方がいいかな。お腹でこの子、暴れてるわ。また、来年ね。切るよー」


美紀ちゃんが、声を詰まらせた。

その直後、通信は遮断された。


残された三人は、画面の中で無言で何かを牽制し合う。


「不妊と障害児の子育て、どっちがきついかな」
香織だ。
どうしてこう、この人は言いにくいことを言ってのけるのか。

「香織、ちょっとそれは不謹慎」
陽子が、静かな、でもはっきりとした滑舌で香織を諌める。

「不謹慎て、なにがよ」
「比較するものじゃないよ」
「じゃあ、何と比較したらいいの」
「え?」

「わたしは、何と比較したら幸せだって思えるの」
「……香織は、自分のことだけ考えてればいいよ」

「ダンナもそう言った。治療をやめようってふたりで決めたとき。泣くだけないたらきっとラクになるからって。だから泣いていいよって言ってくれた。だから私、自分のことだけ考えてしばらく泣いてばっかりだったの。そしたらダンナ、帰ってこなくなった。……家に」

私はまた、話を挟むタイミングを逃してしまう。
ついさっき、浮かんだ言葉があったのに。香織が持ち出す強烈な話で、何もかもが吹っ飛んでしまった。

「多田。そんな顔しないでよ」

返事の代わりに、私はぬるいグラスをあおった。

「ああ、ごめん。陽子、ごめん。多田も。来年はどうなってるかなあ。離婚してスッキリしてるのか。それともまだくすぶってるのか。ダンナ、帰ってくるかな。ね、どう思う?」

答えられない二人に、香織はくくくと小さく笑った。

「ごめん。酷い空気にしちゃったね。来年はさ、札幌でみんなで会おうね。二次会はつぼ八ね。切るよー。ごめん。またね」

パソコンの画面に映るウインドウがふたつになった。

さっきまで、五つの窓があったのに。

ついさっきまで、楽しく話していたのに。

「ただー!多田! 起きてる? 最後はこんな感じかあ。幹事のひとりとしては、ちょっと悲しいね」

そうか陽子、幹事。

「来年。来年の話。もっとしたかったな。昔の話も、もっとしたかった。こういうときって一次会は昔の話を掘り返すじゃない? 変わってなーいとか言いながら。二次会では、今どうしてんの仕事は?家族は?って少し深い話題になって、三次会ではグダグダに酔ってまた来年って言って、タクシーで帰る」

来年には、きっと忘れてまた集まれるよ。

「来年……」

うん?

「来年が、来るかな私に」

どういう…

「初めは、起業した15年前」

頭の中に疑問符が並ぶ私に構わず、陽子はぽつぽつと呟く。

「札幌で起業したのは、病気がきっかけ。東京でひとりで死ぬのって嫌だなあ。もっと面白いことしてからじゃないと死ねないなあってね。5年経って寛解って状態だったんだけど」

はっきり「何か」を言わない陽子。
私はつたない知識を総動員して、陽子の話について行こうとする。

「再発ってやつ」

「でもね、また、治すからわたし」

「だから、今回の幹事も引き受けたの」

「オンライン同窓会、楽しかった!って思えたら、また来年もやろう!って、元気出るじゃない?」

画面の向こうで、とめどなく話す陽子が見える。
私は一体、誰と話しているんだろう。

「聞いてる? 多田! 乾杯して、今日はおしまいにしよ」

いやだ。

「はい、かんぱーい!」

いやだ。

私はかろうじて唇の両端をあげて、グラスを浮かした。

「じゃあね、また来年ね。って、わたしはどうなるかわからないけど。ふふふん」

何かを達観したような陽子の笑顔。どうしてこう、陽子はいつでもきれいに正しく笑うのか。「あなたの夢かなえます」ってなに。陽子には、自分の夢はないの。

「ばいばーい! 切るからね? いい? 切るよー」

陽子がそう言った瞬間、ウインドウに映る人間は私だけになった。

いやだ。

私はキーボードに拳を叩きつけた。
どうにも我慢できなくなって、隣室にある家族の気配を感じながら、声を殺して嗚咽を漏らす。
ほら、オンライン飲み会では、思い切り泣くこともかなわない。

居酒屋で本当にグラスを傾けていれば、あなたたちの背中をさすりながら泣くことができたのに。ひとしきり泣いて、手を取り合ってまた来年と言えたのに。障害のある赤ちゃんのことも、刑務所も不妊も病気も、直に会って聞きたかった。

皆に平等にある時間は「今」だけで、オンラインのカメラを切った瞬間、その向こうで何が起こるかわからない。

何が楽しいの。
これの何が楽しいのだ。

オンライン飲み会なんて大嫌いだ。

画面から消えた同級生たちを想いながら、私はひとりきりで来年の夏の乾杯を誓う。


また乾杯しよう。
来年は、手を肩を取り合いながら、直に乾杯をしよう。

必ず、必ず会いに行くから。


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