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コーヒーを淹れるストーリー

コーヒー屋に行ったとき、カウンター越しに店のマスターが淹れてくれるコーヒー。(個人的にマスターという表現は苦手だが、ここではイメージしやすいように)

眉間にシワを寄せ、やや険しめの表情と慣れた繊細な手つきで真剣にコーヒーを淹れる。
そんな姿を想像しないだろうか?

コーヒー屋をわざわざ訪れたお客さんは、お店で機械が淹れたコーヒーと店のマスターが淹れてくれたコーヒー、どちらを飲みたいだろうか?
客観的に言えば、できあがったコーヒーが美味しければ問題ないのだが。

技術的にも、豆を計り、適切な挽き目で粉にする他、手元さえキチンと安定してお湯を注いでいれば、よほど味が変わることはない。
熟練の寿司屋の大将が測りを使わずに◯グラムのシャリを握るとか、目隠しした剣士がリンゴを真っ二つに切るとか、機械よりも正確に木材を加工する大工とか、そういう職人的なそれに似ている。

ある程度の経験(といっても人によるのだが)を積んでいれば、難しい顔でも、会話しながらでも、スマホをいじりながらでも、目隠し…はさすがに無理かもだが、その身の深部まで染み込んだ型は簡単には崩れない。

ただ、どんな状態で同じコーヒーを淹れられたとしても、選べるのなら「真剣な所作」で淹れられたものを飲みたいと思うはず。
(カウンター越しに対峙して会話しながら、その人のコーヒーを淹れているのなら、それでも良いと言う人も多いと思う。これは「コーヒースタンド」によく当てはまる。)

このときお客さんの中では、自分が飲むコーヒーができあがるまでの時間、つまり「ストーリー」を含めて「美味しい」が判断される。(もちろん、建物や食器などの要素も踏まえて)

コーヒー屋と言っても色々なスタイルがあるので、そこは店主次第ではあるのだけど。
カウンター席のみだったり、テーブル席のみだったり、コーヒー淹れてるところが見えたり見えなかったり。

僕の場合は、「楽しそう」にコーヒーを淹れることを心掛けている。
というのも、忙しいときは怖そうな顔になりがちなので。(中学までは普通にしてても、怒ってるの?とよく聞かれたものだ)
口角を少し上げてにこやかに。
そうすると不思議なことに気分も穏やかになるし、どこか心に余裕ができるので、その間に「美味しくなってください、美味しくなってください…」と藤岡弘、さんばりの念を込めるようにしている。

すべてのお客さんがこの姿を見るわけではないし、実際楽しそうに見えるかはわからないけど、あくまで僕なりのやり方。
コーヒーを淹れるストーリーに華を添えられたら良いなと思いながら。

伝わると良いかなという程度の自己満足の世界のお話。

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