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カーコラム「鳴海邦彦 MAZDA SA22C型RX7を語る」
SA22C型X-7はデビュー当時、サバンナRX-7と呼ばれた。日本国内では、稀代の快速車・サバンナGT(RX-3)の後継車と位置づけられていたのだ。 日本全国の車好きの間でSA22C型RX-7のデビューが大きな話題になったのには当時の時代背景が大きく影響している。 SA22C型がデビューした1978年は、折しもイラン革命を発端とする第二次オイルショックが始まった年である。1973年のオイルショックの時と同様に原油が高騰し、深夜のテレビ放送の自粛や、日曜・祝日のガソリンスタンド休業などが実施された。 さらに、第二次オイルショックに加え51年規制をはるかに上回る53年排出ガス規制の真っただ中。とてもじゃないがハイパワー車だのスポーツカーなど夢のまた夢といった社会情勢の中、ピュアスポーツを標榜して燦然とデビューしたのがSA22C型RX-7だったのである。
My Favorite Music 「いすゞのトラック 」
自他共に認める筋金入のISUZUファンである。 その歴史は長く、人生初めての新車であるISUZU Gemini ZZ Rを購入した1981年まで遡る。 世界の数ある自動車メーカーの中でも、ISUZUほど謙虚で誠実な自動車メーカーはこの世に存在しない。 かつてISUZUが乗用車部門から撤退する時は本当に悲しかった。 しかし、ISUZUと言えば、トラック、バスといった大型車両がお家芸のメーカーである。 その先進的且つ革新的な技術いおいてはライバルメーカーなどその足元にも及ばない。 近代自動車史に残る先進のテクノロジー " NAVI 5 " は、ギガシリーズに搭載されている究極のトランスミッション" スムーサーG " へと昇華し、日本の物流を支えている。 高速道路を一国の動脈だとすれば、荷物を満載し、昼夜を問わずそこを走るトラックは動脈を流れる血液である。 日本国民の豊かな生活を支えるのはISUZUのトラックと、昼夜を問わずそのハンドルを握る名も無き孤高のプロフェッショナル達のお陰なのだ。 ISUZUのトラックは我々の暮らしを、そして日本の経済の基盤を支えている。 因みに、ISUZUファンの聖歌とも言えるこの「いすゞのトラック」を歌っているのはシンガーソングライターの " KAZCO " さんである。 そしてその神曲を清らかな歌声でカバーするのは、"令和の歌姫"との呼び声も高い高校一年生の東 亜樹(あずま あき)さんである。
カーコラム「Lancia Rally 037 Spec 1983」
1983年、前年の移行期間を経てWRC(世界ラリー選手権)の車両規定はそれまでのGr.4からGr.Bへと変更された。 Gr.4の公認を取得するには年間400台(当初500台)の生産台数が義務付けられていたが、Gr.B規定の導入により年間僅か200台を生産するのみでホモロゲーションの取得が可能となった。 Gr.4時代、ベルトーネの鬼才マルチェロ・ガンディーニによる前衛的且つ未来的なボディフォルムに、フェラーリ・246ディノのV6パワーユニットをミドマウントした"ストラトス"で輝かしい戦績を誇ったランチャは、新たなGr.Bマシンとしてストラトスの正常進化モデルとでも言うべき2WDのラリー037を開発、実戦に投入した。 フィアット131アバルトのエンジンにスーパーチャージャーを装着したパワーユニットは、中速域でのレスポンスとトルク特性を重視したセッティングが施された。エンジンのチューニングはアバルトが手掛け、当初1998ccだった排気量は、1984年のエボリューション2では2111ccまで拡大され、最高出力も325馬力までパワーアップされた。 サスペンションは前後ともダブルウッシュボン式、リヤのショックアブソーバにはダブルダンパー方式を採用している。 1983年、4WDマシンであるアウディ・クアトロと激戦を演じ、僅か2ポイント差でチャンピオンカーに輝いたラリー037は、2WD最後のチャンピオンカーとしてWRCファンの心に刻まれる事となった。
ショートエッセー「追想 千葉真一」
キーハンターで幼年期を過ごし、東映カラテアクション映画で青春時代を過ごした自分にとって、千葉真一はブルース・リーと並ぶ人生の師であり、憧れである。 そんなグレート千葉と初めて会ったのは今を遡ること23年ほど前の2001年のこと。当時働いていた香港系の外資系企業のとある女性を通して、グレート千葉と野際陽子さんとの間に生まれた長女(剣舞アーチスト)を紹介されたのがきっかけだった。 初見は今は無き六本木の旧防衛庁横のクラブ「エロス・グロッソ」の隣にあった、日本が誇るハリウツドSFX界の巨匠スクリーミング・マッド・ジョージが内装を手がけたカフェバー(名前は忘れた)。 物凄いオーラと共に現れたグレート千葉は、まさにグレート千葉(なんのこっちゃ?)。初対面の挨拶もそこそこに、ただひらすら一方的に熱く熱く語ること凡そ1時間、「それでではまた、ごきげんよう!」再び固い握手と共に颯爽と店を後にした。