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カーコラム「WRCメモワール 4台のセリカGT-FOURに150名以上のTTEスタッフ。史上最大の93年サファリラリー」

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 まずは上の写真を見てほしい。これは1993年のサファリラリー、そのスタート前日、車検を終えた後での、トヨタワークスチームの集合記念写真なのである。4台の出場者は、左からユハ・ピロネン/ユハ・カンクネン、イルカ・キビマキ/マルク・アレン、イアン・ムニロー/イアン・ダンカン、スディール・ビナヤク/岩瀬晏弘である。

 マシンは3種類の中でも最強のセリカと言われたST185である。まあ、サファリラリーに4台のマシンというのもすごいけど、その後方には8台ほどのランクルや4ランナー、その後方に6台のメルセデス・サービスカー。さらにその後方には4台の大型4WDサービスカー、VWマンがある。そして、それぞれのサービスカーの前に立つのがTTEのエンジニアやメカニック達なのである。その数96名。当然、この写真に入っていない人もいる。

 この写真の撮影場所はナイロビにあるTTEのワークショップの中の庭。トータルで23台のクルマが入って、100名以上がカメラのファイダーに入るスペースがどの程度の規模のものかは想像がつくだろう。要はとてつもなく広い。しかし、これは2か所あるガレージの片方。資材置き場となっているほうで、マシンを整備していたワークショップは、この場所から100メートルほどのところに別にあった。

 さらに、実はもっとたくさんサポートカーがあり、この4台のワークス・マシンとは別に、レッキ用のセリカGT-FOURが4台以上用意されていたし、マネージメントカーなどの乗用車がさらに20台以上あって、トータルでスタッフは約150名。トータル車両は60台以上、それにヘリコプターが3機、軽飛行機が1機。思い出すだけで、それくらいの数があった。これはまさしく史上最大のサファリ作戦。そんな全盛期のトヨタTTEを思い出させる記念写真なのである。

 昔のサファリはすごかった。上空には少々のパーツとメカニックの乗ったヘリコプター、地上では、出場車と同じ仕様のレッキで使ったマシンにメカニック2人が乗り、出場車の2~5分後をチェースしながら、万一のトラブルにそなえた。同じカラーリングだから、写真を撮ったらチェースカーだったということが何度もあった。こうして5日間のサファリラリーが戦われたのである。

 そして、もうひとつ、この93年サファリラリーでエポックメイキングだったことは、TTEが初めて日本人ドライバーにチャンスを与えたことだ。サファリラリーに、現地に住みながら挑戦していた岩瀬晏弘をワークスドライバーの一人として参加させたことだ。それが後に藤本吉郎へとつながり、ズバルは新井敏弘をワークスドライバーへと育てる、そんなきっけとなったのだ。

 この当時のサファリラリーに、今のような全メーカーの出場義務はなかった。そのため、この年、巨大ワークスで戦ったのはトヨタのみで、カンクネンの1位、アレンの2位、3位にダンカン、4位に岩瀬と、トヨタは上位を4台の出場車で独占した。岩瀬はトヨタ期待どおりの完走と、その人柄の良さでTTEメカニック達の人気を集め、大役を果たした。

 現在のサファリは3日間の日程でサービスパーク制。3台を出場させても、そのトータルスタッフは50~60名ほどである。ヘリコプターは競技車のルート確認、その安全性の確保、そして人やクルマや動物をエスケープさせるために飛ぶが、サービスはできない。そう比べると、90~94年までのサファリは、「史上最大のスタッフで戦われたWRC」と呼べそうである。余談だが、この車両たちは、チャーターしたジャンボ機でドイツのケルンからナイロビへと空輸されていたのだ。


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