情報との向き合い方はぬか漬けから学ぼう

こんにちはYutaです。

今回は「情報」についてお話します

最近暑くなってきたので、糠漬けの発酵速度が速く、ちょっと気を抜くと「すっぱ!」となってしまいます

糠漬けを毎日かき混ぜて、取り出して、食べるという行為が日課の僕は

毎日糠漬けの情報をチェックしているわけです

「酸味が強いな」

と思ったら塩を足し

「水が出てきた」

と思ったら糠を足し

「味に変化を欲しい」

と思ったら焼き鮭の皮や鷹の爪などを足すわけです

糠の状態は情報で

情報は次の行動の指針に利用するためのものなのです

そして、今の糠の状態と、過去の糠の状態を比較し、変化が起こった原因を自分なりに考えて次回に生かすのですね

今の情報は過去の情報に上書きして生まれるので、今の情報だけ見ても何の意味もなく、常に過去と紐づけて考えなくてはいけないのです

「糠に酸味が出てきた」

という情報に対してその点しか見ていないと

せいぜい塩を足すくらいですが

その前の状態や、環境を考慮すると

昨日の糠は普通→今日の糠はすっぱい

2日前の糠は普通→昨日の糠は普通→今日の糠はすっぱい

昨日から今日の段階で何か起きた

昨日は急激に気温が上がったので発酵が早まった

今後このくらいの気温が続く

そろそろ冷蔵庫で保管しよう!

となるのですね

切れ切れの情報を見ていると、切れ切れの対処しかできないので

切れ切れの世界でしか生きていけないわけです

その場の情報に振り回されて行動が規定されていく世界です

また、情報は知覚する際はすでに過去なので

過去に振り回されているとも言えます

糠の情報は同じすっぱいでも、夏のすっぱいと冬のすっぱいでは意味は違ってきます

僕の過去の行動の違いも影響されます

情報は、様々な出来事と紐づけされているので1つの情報に対して振り返らなくてはいけないことが結構あるのですね

何が言いたいかというと

SNSの発達で僕らは、切れ切れの情報に拘泥して、切れ切れの対応しかしてない気がするのです

インターネットの発達のおかげで、地理的制約を超えて世界が繋がることが出来るようになりました。

周囲の最新の情報が知れるようになり、早いことが良いとされるようになったので、

メディアは、一刻も早く情報を届ける事に着手しました。

これどういうことかというと

今まで、遅延を覚悟でメディアは、ある程度情報を整理しまとめて、編集したものを届けてくれていたのですが

今は、最速で情報を提供する代わりにその作業はなくなったため僕らは「自分で編集しなくてはいけなくなった」ってことです

1冊の本となってから提供されていた従来の情報が、1ページ1ページの切れ切れの情報として送られてくるようになったのです

情報のあり方が変わったのにも関わらず、僕らは情報に対して態度を変えませんでした

3ページ目の情報から受け取った人は、本来1、2ページ目を振り返らなくては正しい情報は分からないのですが

その作業をさぼるようになりました

なぜなら

色んな本のページが絶えず送られ、絶えず更新されているからです

振り返っていたら、今も更新されている最新に乗り遅れてしまうからです

切れ切れの情報とその場の感情に流されてしまいます

そしてさらに、SNSの発達で個人個人が繋がれ、今まで限られた人しか行えなかった情報発信が民衆化しました。

自分の意見や考えが、世界中のSNS利用者に伝えられ、承認してもらえるチャンス、「世界に肌で触れている感覚」を持つことが可能になったのです

メディアは最新の情報を切れ切れのままどこよりも早く発信し、受け手は誰よりも早く情報を手にして

そこに少しの色付けをして、自分の情報として再び発信するようになりました。

多くの人に見てもらうために「トレンド」を意識し

みんな同じような情報を自分の情報として発信し、その中でいい色付けがされているものが評価されました

それぞれが切れ切れの情報を、切れ切れの状態のまま受容し、

より良い社会のためではなく、新しい発見をするためでもなく、承認欲求のために利用するようになりました

最新の情報を多少色付けして最速で再発信するのに適している方法は、感情を情報に乗せることです

この方法は炎上、誹謗中傷を助長しました

SNSは、その場の感情を、情報を利用して吐き出す装置になりました

という感じを最近のSNSを見ていて思うのです

なので、僕が言いたいのは

「情報を編集して新しい情報を作ることは楽しいぜ」

「色んな情報を組み合わせるためにインターネットを利用しようぜ」

「人が知らない世界観を提供するためにSNSを利用しようぜ」

ってことです

切れ切れの情報を

個人が切れ切れのまま解釈し

感情を乗せて再発信された、内容自体に変化のない情報が蔓延る世の中より

切れ切れの情報を

個人が様々な情報と関連させてまとめ直し

新しい情報として発信された情報であふれる世の中の方が

面白い気がするのです

遅くても、1つの情報にしっかり向き合って理解していくとともに、自分の文脈ならではの情報と組み合わせて新しい情報を作っていく作業は

すごく楽しい

「トレンド」に振り回されず、自分の人生を生きている感じがして心地よい

情報を自分ならではのフィルターを通して見るには、ある分野に精通していることと、自分の今までの人生をしっかり振り返り向き合う必要があります。

僕が今持っているフィルターは、発酵、摂食障害、教育です。

ある情報を目にしたときは必ずこの3つのフィルターを通して編集し、自分にとってどのような意味があるのか考えるようにしています。

結構時間のかかる作業で、自分の中で腑に落ちた時はもう、その情報は全く最新ではないのですが

情報は紐づけされているので、その情報から派生した最新の情報は1度徹底的に考え抜いたことですぐ理解できます

なので、あんま取り残された感はありません。

そして

編集し直した自分だけの新しい情報を発信する快感は、

最新を最速でちょっと色付けした情報を発信するものと比べものにならなりません。

承認されなくても

「世界の情報を自分が更新したぜ!」

という喜びがあるのでいいのです。


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