見出し画像

実験台になると決めた日

新卒で入社した会社はいわゆる大手企業で、研修は3カ月間、同じ職種の同期は200人、全都道府県に事業所があるようなところだった。
就活中に説明会等で出会った社員は、やりがいをもって働いているように見えた。入社してみて現実を知るというのは、よくある話だ。就活ではどこも良い面を見せたがる。

配属された部署で出会った社員は、やりがいとはかけ離れているように見えた。
会社に来るのが憂鬱でないという人などいないんじゃないかというくらい。
私も一時期、毎日起きるのも家を出るのも電車に乗るのも吐きそうなくらい嫌で、「これは電車がよく遅延になるわけだ」と考えながら仕事に向かう日々があった。
そんなとき先輩が「仕事嫌だね~、月曜なのにちゃんと来て偉いね~」などと冗談交じりで声をかけてくれたことに支えられたし、憂鬱さを共有できて救われた。
金曜日の夜に飲むお酒は、噂に聞いていた通り美味しかった。(その瞬間から、心の中では月曜日へのカウントダウンが始まっていたことは脇に置いておこう)

そうやって嫌だなあと思いながらも、みんななんとかこうとか働いていた。
しかし、同じ部署に配属された同期は、仕事によるストレスが強く出てしまい、配属後数カ月で退職に至った。
そのとき、所属長からかけられた言葉が忘れられない。

「俺だって辞められるなら辞めたい。でも家族もいて背負うものがあるし、この歳で今の仕事を辞めたって、他にできることもない。辞められなくて仕方なく働いている」

もう20年以上会社に勤務していて、年収だって1000万円はとうに超えているような人だ。
彼の仕事や立場を羨ましく思う人もいるだろう。
その人がそんなことを言うなんて、まだ入社一年目の私には衝撃的だった。

彼にとってもあまりにもショックだったのだろう。自分の管理する部署で、着任して間もない新入社員が、精神疾患で辞めてしまったのだから。もしかすると自分に責任を感じたのかもしれない。
そのショックで、本音がふっと漏れ出たのかも。もしかすると、同じく新入社員の私に気を遣って、優しい言葉をかけようとしたのかもしれない。

それでもやっぱり、私にはあまりにもショックだった。
きっと今に始まったことじゃない。長い間、そんな気持ちを抱えながら、それでも働き続けてきたんだろう。

そんな苦しい思いをしながら働いているお父さんってやっぱりすごい。実際に働いてみるまでは知る由もなかったけれど、懸命に働いてくれていたんだ。感謝しないと。

という「父親」への尊敬の念も感じたけれど、やっぱりうまく飲み込めなかった。
他にできることがないなんて、絶対にそんなことない。仕方がないなんて、それで諦めていいの。
今の収入や生活環境を維持することが、仕事を辞めてなお可能かどうかはわからない。
けれど、そんな悲しい言葉を新入社員に吐露してしまうほど嫌なことを、この先も続けるの?
きっと、私なんかが簡単な言葉で語れるほど、事情はたやすくない。
けれど、なんだか捕らわれているように見えて、モヤモヤした気持ちが消えることはなかった。

その所属長は最愛の妻と息子と一緒に暮らしていたが、翌春の人事異動で、ひとり北海道へと旅立った。初めての単身赴任だと言っていた。

一緒に月曜日の憂鬱さを嘆いていた先輩たちは勤続4,5年目くらいだった。とても優秀な先輩たちだった。
彼らはよく言った。
「転職なんて、第二新卒を過ぎたら難しくなるよ。もう自分たちには今と同じくらいの条件のところは、探したって見つからない。転職は早いほうがいいよ」
所属長と同じで、捕らわれているような感じを受けてしまった。

私にはみんなの事情はわからない。
けれど、もっと柔軟に考えてみてもいいんじゃないかと思うのだ。
たしかに、収入は世間的に見ても高いんだろうし、ネームバリューもあるんだろうし、福利厚生だっていいんだろうし、捨て難い選択肢であることは間違いない。
良い選択肢の一つではあると思う。
けれど、仕事を判断する基準を少し変えてみてはどうか、と思う。
例えば、収入は下がるかもしれない。「そんな立派な会社辞めるなんて何考えてるの」と周囲から言われるかもしれない。今まで会社が知らない間に(給与天引きで)払ってくれていた税金の額に恐れおののくかもしれない。ジムやレンタカーや映画館などの優待割引が使えなくなるかもしれない。
その代わり、今よりもっと家族と過ごせる時間が増えるかもしれない。時間がなくてできなかった趣味を堪能できるかもしれない。忙しくて外食ばかりだったのが、自炊する余裕が出るかもしれない。時間の使い方が変わるかもしれない。

仕事を選ぶときの基準として、収入や社会的地位にばかり目が向けられているような気がしてしまう。
特に就活をしているときなんか、就活イベントでは誰でも知っているような大手企業が目玉のようにもてはやされていたり、大学受験の時のように就職偏差値なんてものが出回っていたり、就職人気ランキングなんてものが発表されたり。
そんなものに惑わされない意志があればよい。そんなものに影響されて入社したんじゃない、という当該企業の人もいるだろう。
けれど、社会は、やっぱりそういう目で見るのだ。それがわかりやすいから。
いわゆる大手企業に就職を決めた人には「すごいね」と嘘でも言うし、自分がこだわりをもって選んだ会社のことも「うちなんてレベル低いからさ」と言うのだ。
収入や社会的地位が仕事をランク付けする指標として確立した地位を築いていることは間違いない。

だから私は辞めてみた。
みんなが「すごいね」という会社を、「辞めるなんてもったいない」という会社を、「今より給料いいとこないよ」という会社を、辞めてみた。
だって私には、収入や社会的地位よりもっと大切なものがあるから。

辞めた会社は、良い会社だったと思う。周りが言うように収入もよくて安定していた。同僚にも恵まれた。
そこで働き続けることを否定するつもりはまったくない。仕事が嫌で辞めたわけではないから。

私は試してみたかった。
「もったいない」と言われるような会社を辞めて、それでもちゃんと幸福に生きられるのかどうか。
収入や社会的地位では競えないけれど、他の基準では優れているような選択肢を選ぶとどうなるのか。
年収は半分になったって、それでもなんとか楽しくやっていけるのかどうか。

私には楽しくやっていく自信があった。
だから、みんなに見せてみたくなった。
レールに乗っからない生き方だって、意外とできるもんだよって。

まずは私が、実験台になろうと思った。

働き方はもっともっと、多様でいい。好きな食べものがみんな違うように、働き方も違っていい。
最善なんてわからない。
けれど、いいか悪いか判断する基準は、もっとたくさんあったっていい。人によって違っていい。

私の選択が合っていたのか、周りが「そんな生き方も意外とできるんだ」と思ってくれているのかどうか、まだわからない。
ただ、「嫌だなあ」と思いながら働く人が一人でも減ればいいなあと、ただ、そう思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?