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当事者になることの難しさ

知人がいる場所は、原発の新設予定地となっているところのほど近く。約40年間にわたる実際的な反対運動によって、建設準備段階の状態が続いている。3.11後は新設の動きが止まっていたようだが、突然建設準備工事が再開されることになった。側から話だけを聞いていると、かなり強引なように思われた。
島民で反対している方の言葉に胸が痛んだ。「町民一体となって原発に頼らないまちづくりに取り組もうとしていたのに」。
40年近くの間、原発を建てる建てないと地域の人たちを振り回し、推進反対と分断を生んできた。小さい島の中で助け合って生きてきたご近所さんが、原発推進・反対というどちらかのグループに入らざるを得ない状況になって、突然目も合わせなくなったりする。
人口200人ほどの小さなコミュニティの中でのそれは、とても苦しいものだっただろう。
3.11後に建設中断となってからの約8年の間に、そんな作り出された分断を乗り越えようとしてきたその努力が、振り出しに戻ってしまうかもしれない。その悔しさが、言葉には詰まっているように感じた。

私は知人から島で今起きていることを聞き、しんどくなった。
自分の無力さ、何かしたいけど何もできない、何をしていいのかわからない、という苛立ち。

東京での暮らしをやめて、場所を移したのは、当事者意識を持つため。東京で暮らしていると日々はなんとなく過ぎ去っていき、自分の生活を省みることなどない。

大学時代からご縁には恵まれて、いろんな場所に知り合いがいたりして、素敵な場所をたくさん知っている。
でもそれぞれの場所には実は課題もあって、その課題は必ず自分の生活にも必ず関わっている。
例えばこの原発の問題だってそう。原発を新たに建てることには反対だが、じゃあ賛成派の意見に真っ向から意見を述べられるかといえば尻込みするし、自分だって電力を使っていて原発の恩恵を受けてないと言い切れないと思うと、立場がなくなってしまう。全ての問題は自分の生活に必ず関係する。

そうすると、なんとかしなきゃ、自分が変わって周りにもそれを伝えなきゃ、と思うのだけど、何ができるのかも何をしていいのかもわからず、自分の無力さに頭を悩ませながらまた自分の生活に戻る。
普段通りの生活に戻れば、目の前のことに忙殺されて、頭を悩ませていたことも忘れてしまう。その繰り返し。
そんな自分が嫌になった。

島にいる知人を見ていると、その「場所にいる」ということ自体に大きな意味があると思い知らされる。
そこに住むこと、そこで生業を営むこと、その覚悟には言葉にはない意思を感じる。

私は縁あって秋田に移ったが、まだここで何ができるのかも何もわからずもどかしい。
そんな時にこのような知らせを受けると、遠い地から自分にできることは何だろうかと、考えても答えが出ずに苦しく、自分の選択が間違っているんじゃないかという不安にさえ駆られる。
自分の置かれた場所でできることをやるしかないのだけれど、ここでぐっとこらえて自分としての決意表明ができないのも、まだまだ当事者意識が足りない証拠なんだろうなあ。

原発の話を聞くと、アメリカに留学していた時のことを思い出す。
“持続可能なエネルギー”という授業をとっていて、教授から「フクシマのことをみんなの前で発表してみない?」と言われてその機会をもらった。
一緒に授業を受けていたのはみんなとても意識の高い学生ばっかりだったので、何を言われるのかと怖かったが、日本人として”当事者”として自分なりにまとめて発表した。

発表自体がどうだったのかはわからないが、私の印象に残っているのはある学生から言われた、「こんなことがあってもなお原発を使っている日本人の愚かさが理解できないわ」と吐き捨てるような言葉。
私は何も言えなかったし、日本人としてとても恥ずかしい気持ちになった。
自分が当事者になれていないことに気づかされた。
あれから私は何ができたのだろう。

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