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戦闘服からヘッドセットへ 29 ~最終回③ 大切な戦闘服とヘッドセット~



 朝、リビングのテレビからニュースが流れていた。テレビ局の看板アナウンサーは笑顔で挨拶をしている。
「今年は暑い夏でしたが、やっと涼しさを感じる季節に入りました。あの暑い日々をすでに忘れつつありますが、気温の上昇は年々増すばかりです。今年、2025年は沸騰化時代を少しでも抑えるため、各企業でも政府が打ち出した目標に向けて活発に動いています」

 朝食をとり終えた瑠美は、玄関へ向かう三平を追いかけた。
「三ちゃん待って、スマホ忘れてる!」
「ああ!ありがとう」
 三平はにこりと笑顔を向けると、手にしたスマホをポケットへ入れた。

「私も、遅シフトで行くから。Lineとかで会えたよ、とか画像送らないでね!」
「わかってる。じゃ、行ってくる」


 あれから、2年の月日が流れていた。
 朝のセンターフロアは、すでに例の噂が流れ、話題は持ちきりで騒がしかった。
「聞いた?東京の部署で活躍してる、噂の熊虎コンビ。うちのフロアから出た人だって?そろそろ、帰って来るらしいよ」
「え?あの先輩方がよく言ってる伝説の二人?俺、去年入ったから社内誌や社内のウェブページでしか見た事ない」
「私も同じ。成績優秀エリアとして掲載されたやつで見たけど、格好良かったぁ!」
 そこに、いつもの細めデニムを履いた中路が呆れた顔をして愚痴をこぼした。
「よくもまぁ、あんな奴の事を神格化した言い方するよね。君達は知らないだろうけど、虎なんて伝説の男どころか、ただのやんちゃ者だったんだよ。最近はスーツ姿で社内誌に出ちゃってさぁ」
 中路は新人らの持ち上げように、納得いかないようだった。

「え?そうなんですか?」
「あ、でも確かに。昔、やんちゃしてた感じはするかも」
「中路さんは長いから、やっぱり絡んだ事あるんですね」
「絡むどころか、虎とは喫煙ルームでバトルになった事があって」
「なんすか、それ!」
「まぁ、虎も成長したのかな?熊さんも凄い人だよ。クレーマーを味方にしちゃう話術をもってる」



 久しぶりの北海道は東京の暑さと違い、子どもの頃から味わって来たから知る、らしさを感じていた。働き慣れたフロアへ行くのは嬉しい反面、緊張もしている。
 出勤の準備が整い、部屋を出ようとすると、ハンガーに吊るした戦闘服が目に入り、その前へ向かった。

   行って来ます。

   上杉はそう心で声をかけると、ハンガーの首元にかけていたヘッドセットを手にして部屋を出た。



「いた、いた!私、見たよ」
「え?なにが?」
「ほら、前に言ってた熊虎コンビ!!廊下にいたの。私が見たのは若かったから、上杉虎だと思う」
「かっこよかった?」
「それが・・・、背が高くて色気があって。好みだった!」

 音を立てて、フロアの入口ドアが開いた。いつもは見かけない十条が珍しくフロアに入って来たようだった。十条は勢いあまってドアを開く癖がある。少し離れて、後ろからスーツを着た背の高い男性も入って来た。
 見かけない独特のオーラを放つその男に、フロアはどよめいていた。電話対応中のオペレーターらの目線も、そちらに集まっているようだった。
 紺色のストライプスーツを華麗に着こなし、長い脚が際立つ。鋭い目つきにオールバックにした髪型。背筋はピンと伸び、颯爽と歩く姿が印象的で、やんちゃな雰囲気は消えていた。

  十条は歩きながら、笑顔でその男へ声をかけた。
「上杉君、久しぶりのフロアはどう?」
 十条はせっかちな所があるため、歩く速度が速く、隣で歩く部下は大抵、焦っているように見える。足の長さでそう見えない所が、上杉をさらに大きく見せた。

「はい、そうですね。やっぱり懐かしいです」
 上杉は照れ笑いを浮かべ、そう答えた。
かつては周りを威嚇しているかのように見えた鋭い目つきも、口角の上がった口元の方が目立ち、柔らかな雰囲気をまとっていた。
「そうよね。今日は上のメンバーへの挨拶だけにして、全体への紹介は明日以降になるから」
「はい。わかりました」

 十条の席はフロア内の中心にある少し高くなった場所にあるため、二人が立ちながら話をしている様子が四方八方から見えた。
 女子は興味本位を隠せないようで、チラチラと目を向ける。新人の男の子たちは憧れの眼差しを向けていた。
「すいません。一回、飲み物を買って来ても良いですか?」
「良いよ。戻った時に私がここにいなかったら、そこの席で待ってて」
「わかりました」

 上杉はフロアから出ると、後ろから嫌な気配を感じた。

「上杉SV、お久しぶり」
「うわ、びっくりした。中路さん!お久しぶりです、ぜんぜんお変わりないですね」
「いやいや、そっちはすっかり男に磨きがかかって」

「いやいや、それ褒めてます?」
「褒めてるよ。・・・まぁ、新しいフロアの立ち上げメンバーだったし、苦労したんでしょ」
「苦労は・・・・たくさん、したんですけど」

 上杉は人差し指で鼻先に触れつつ、苦笑いを浮かべた。
「そうか、東京の立ち上げは大変だったらしいって、噂は聞いてたよ。生活に慣れるのも大変だったでしょ。北海道からだとね」
 中路は目を逸らし、言いづらそうに話を続けた。
「それに・・・色々あったしね」

 上杉も中路が何を言いたいのか理解したようだった。
「・・・はい。そうですね」
 奥から常駐のクライアントの姿が見えると、こちらに急いで駆けつけて来た。どうやら上杉を探しているようだった。
「ああ、ここにいた。上杉君、ちょっと良いかな?」
「はい、今行きます。それじゃ中路さんまたゆっくり」
「うん、そうだね」


 クライアントとの面談を終えた上杉は、小会議室で十条とこれからについて話し合う事になった。
「上杉さんには、すぐにSVとして就いてもらう予定をしていたのだけど。あなたとしては、オンライン会議で言っていた感じかな?やっぱり、まだ、当分はASVのままが良い?」
 十条の前に向かい合うように座っている上杉は、少し下を見ていたが、頭を上げると真っすぐに十条を見て言った。
「すいません。やっぱり・・・せめて、四十九日が終わるまでは待ってもらえませんか?自分の我儘になるかも知れないんですが。まだ気持ちの整理がついてないんです」


 横尾は明日に来ると聞いていた上杉が、すでに今日来ているという噂を聞きつけ、お昼を早めに終わらせてフロアへ向かっていた。
「あ、横尾!上杉さんが今日いるって聞いたか?」
「新藤、そうそう。俺もさっき聞いたんだ。今から急いでフロアに行くところ」

 2人はエレベーターに乗り、共にフロアへ向かう事にした。
「なんか、緊張するかも。社内誌の上杉さん、こっちにいる頃とは違う感じがして」
 新藤がそう言うと、横尾は軽く頷いた。
「十条さんからチラっと聞いたけど、実は、すぐにSVになるのは断ってるらしい」
「・・・ああ、やっぱり熊さんの事、まだ癒えないんだろうな」
 エレベーターが目的の階より2つ下で一度止まった、2人以外は全員が降りていた。

「俺だって、まだ、受け入れられてないし」
 そう言う新藤の声が、横尾の頭の中で反芻していた。


 通称・熊さん。佐々木武の死因は急性心不全だった。
 葬儀は、元妻が喪主を申し出て、すべてを執り行っていた。佐々木は両親をすでに亡くしており、親族もそれほど多くはなかった。
 それでも、葬儀に訪れた人の数は、想像以上のもので。東京エリアの社内で多くの人に慕われていたのだ、という事が一目でわかるほど、たくさんの人が参拝に訪れていた。

 そんな中、現実を受け入れられず、葬儀場に着いてもなかなか足を踏み入れられずに、入口で固まっていたのが上杉だった。
 莉理はその姿を見て、上杉の背中をさすりながら落ち着くまで待つ事になった。


 上杉が泣きじゃくりながら見た佐々木の顔は、まるで、寝ているかのように安らかな表情だった。

 熊さんの戦闘服とヘッドセットは、元妻に懇願し、譲り受けたもの。他にも形見分けはたくさんあるので、と快く分けてもらえた。





 十条とクライアントという大御所との時間は、心も体も大きく消耗するものだった。

 今日は車で出勤したから、帰りも車だ。せっかくだし、昔、歩いて帰っていた道を散策するか。
 ビルの並ぶ交差点を歩くと時計台や大通り公園が見えて来た。
 ああ、懐かしい。よく熊さんと2人で帰ったな。

 秋空を見上げると、佐々木の声が聴こえてくるようだった。

『おい、虎。上に上がりたいなら、黙って結果を出す、それだけだ』

 ああ、何回言われたかな。

『そして、最後に勝て』

 おう、もうすぐ目前だ。

『お前は、単純で血の気が多いから。気を付けないと、足をすくわれるぞ』


 佐々木の真剣な表情を思い出して笑い、ネクタイを少し下ろすと、独りごちた。
「もう、馬鹿な事はしない。守るものも出来たからな」




 フロアに新しい顔がもう一人現れた。
 瑠美はその顔を発見すると、飛び上がって喜びを表現し、近寄って行った。
「久しぶりー、莉里ちゃん!」
「瑠美ちゃん、元気だった?」
「元気!私、もう高井瑠美だよ」
「そうだった。三平君にも後で会わないと。ご結婚おめでとうございます」
「いやいや、莉理さんも上杉莉里だし。お腹の子はどんな感じ?」

 莉理は微笑みながらお腹をさすった。
「うん。順調みたい。それに、産まれたら、すぐにここの研修担当でトレーナーにもどるよ」
「ええ!嬉しい!そうだ、社食見た?改装されてカフェテラスになったんだよ」
「え?社員食堂がカフェテラス?!」

 二人はフロアを出て、旧社食のカフェテラスで話をする事にした。
「うわぁ、ぜんぜん違うね。すごくおしゃれになってる。パイプ椅子じゃないし、テーブルも椅子も木製だ。一人席にライトなんてカフェみたい」
「ね、ぜんぜん違うでしょ。私たちの青春の場所がこんなに変わって」
莉理は懐かしさを噛みしめるように笑った。
「青春かぁ」

 2人は空いている4人席へ座ると、瑠美は心配そうな表情に変わった。
「ところで、あれから虎は大丈夫そう?」
「あ・・・うん。夫婦共々、東京でもすごくお世話になったから、私もかなりショックを受けたけど、今は現実を受け入れてる。心に穴が空いた感覚は消えないけどね」
 そう言うと、少し俯いてから窓の外を見つめた。
「ただ、うちの人は・・・、熊さんの四十九日が空けるまでSVは受けられないって。だから、あと一か月はチームの人に待ってもらう事になるかな」
「・・・虎らしいね。でも、ショックな気持ちはすごくわかる」
「うん。きっと、まだ気持ちの整理がついてないんじゃないかな。本当は熊さんと、こっちでも一緒にSVをやる予定だったし。でも、仕事をしている間はその事を考えずにいられるみたい、働いている時間の方が考え込まずに済むって言ってた」
「そうか、SV出来ないのは、気持ちが追い付いてないのかな」

 莉理は神妙な表情で声にした。
「・・・元奥様と娘さんにも、葬儀でお会いしたの」

 離婚しているとは言え、佐々木が東京に越してからも互いに都心に住んでいる事から、娘や元妻とも交流はしていた。ただ、佐々木の体調の変化に気づく事はなく、本当に急な出来事だった。

「娘さんがね、晴れ姿。成人の振り袖姿を見せる事がギリギリ出来たから、それだけは良かったって」

 そう言うと莉理は、再び窓の外を見た。

 佐々木が目元の皺いっぱいの笑顔で、娘の振り袖姿を見てつい涙が出た。と恥ずかしそうに言っていた事を思い出した。
 心が締め付けられ、目をつむった。



 最終回、長くなってしまいました。
 最終回④へ続き。 次が本当のラストです!

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