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戦闘服からヘッドセットへ 25 ~消えたアプリ~



 ほどなくして、三平と瑠美が付き合っているという噂は、社内中に広まっていた。

   2人は、チームの親しいメンバーに付き合った事を伝え、その日から帰宅時間の合う日は2人で帰るようになっていた。
 噂が広まるのも必然だった。

 サバサバしていながらも尽くす瑠美(しかも、あんなにギャルだったのに今や清楚系)と、尽くされた以上に愛情を返す三平(優しいイケメン)。
 二人はどこからどう見てもお似合いだった。

「ちょっと、虎のすけ。私、こんな日が来るなんて思わなかったんだけど」
 中路は、いつものように細く長い脚にぴったりとしたデニム姿で、子どもたちの朝ご飯やお弁当を作ってから出社した、とは思えない元気さで上杉に声をかけた。

「え?なんの事っすか?」
 朝とはいえ、夏の暑さは変わらず、中路はウェットティッシュで首筋を拭いていた。かすかにレモンの香りが漂う。

「瑠美ちゃんと三平君よ」
「ああ、いや。俺もですよ。天変地異ってこういう事っすね」
「二人の、容姿の変わりようも凄いけどね。最初はどうしちゃったかと思ったけど、お似合いよね」

 最初こそ、見た目の変わりようでフロアは少々ざわめいていたが。そのうち、お似合いのカップル誕生という噂に変わっていた。
 あろうことか、新たに入った新人の間では、憧れの存在となりつつあった。

「上杉君も、そろそろ彼女作らないとね」
「え?そうすね。まぁ、決めてる人がいるんでね」

 中路は、上杉の表情を伺うように見た。
「ふぅん。女って、色々考えていたり、変わったりするもんだよ。・・・急いだ方が良いかもねぇ」
 含みを持たせた言い方で、そう語ると。颯爽と自分の席へもどって行った。

「皆さん、おはようございます!朝ミーティングを開始します!」
 珍しく、フロアトップの十条がミーティングを取り仕切る声を上げた。
「そろそろ8月が近づいています。そこで、この夏に新しいイベントが決まりました。クライアントのDasrの方から説明があります」
 様々なコールセンターがあるが、大元のクライアントが同じビル・フロアで共に働くような所は珍しい。何より、Dasrは業界でもトップの大手企業なのだ。

 新たな周知事項がクライアントから発せられ、朝ミーティングが終わると、フロアのリーダーたちが世話しなく動き出した。

「そろそろ時間になります。ヘッドセットをお願いします!」
 各エリアのSVが気合の入った声でそう言いながら、準備の出来ていないオペレーターはいないか、見て周る。

「受電まで、5・4・3・2・1、本日もよろしくお願いします!」


「お電話ありがとうございます。担当の上杉でございます。本日はどのようなお問い合わせでしょうか」
 上は、もうすぐここへ来て1年がたとうとしていた。昔のように質問をするエスカレの回数は格段に減り、お客との会話も、持ち前の明るさと滑らかな語り口が好評となっていた。
 歯に衣着せぬ発言をする所は、周りが一番心配していた点だったが、入社数か月の頃に横尾が講師として研修を続けた苦労と、先輩オペレーターの電話対応をモニタリングする事により、さじ加減を覚えるようになっていた。
(他のオペレーターでは考えられない程の、周囲の協力と支援の賜物!)。

 あまりにも解らない内容の相談には、お客が言うセリフをオウム返ししつつ、パソコンに打ち込み、まるで理解したかのように「調べるため、保留のお時間をください」とお願いする。などのように、臨機応変に仕事をこなせるようになっていた。


「おお、今日は電話が繋がるのが早いね。この前なんて数十分待ったよ。いやぁ、兄ちゃん。実は、検索に使ってたアプリを削除しちゃったんだよ。また使えるようにしたくてね」
「アプリの入れ直しをご希望ですね。かしこまりました」 

 お客は、どうやらそこまで使い方を駆使していない中年以上の男性のようだった。
 上杉は、お客の名前や電話番号の情報を聞き、パソコンに情報を入力すると契約情報が表示された。

「お待たせ致しました。確認がとれました、いつもご利用いただき、ありがとうございます」
「おーう。いつも使ってるアプリなんだよ、困っちゃってね。画面の一番上に出てたはず。スマホ買った時からあったな。横長で、左上にマークが着いてて」
 どうやら、契約のandroid機種に初期設定で表示される検索バーの事を言っているようだった。

「かしこまりました。おそらく、初めから搭載されているTeetleという検索バーかと思われます。左上のマークはTではありませんか?」
「ああ、そんな気がする」

 相手は常連客のようで、オペレーター側でお客のスマホ画面を見られるようにするための操作を率先して進めていた。
「兄ちゃん、繋げるための数字入れる画面まで来たよ。数字、教えてくれる?」

 上杉の部署では、お客のスマホ画面をオペレーターのパソコンで見られるように設定し、案内を進めるよう推奨している。
 その理由は、万が一、お客が間違った箇所を押してしまうと、必要なアプリやデータを削除してしまう可能性があるため。特に、画像やデータなどはとんでもない事になる。孫が初めて立ち上がった瞬間の画像、子どもの結婚式に二人で撮ったものなど。
 復元しようとしても戻せなかった場合。謝罪しても、お金で解決出来るものではない。

 もちろん、画面を見られたくないため、繋がずに口頭のみを希望するお客もいる(画面を繋いで案内出来る事がウリの部署でも)。
 その時には、お客自身が操作を間違えて不備が出た場合の責任はとれない事を、了承の上で進める事となる。 


 上杉はお客に言われた通り、画面を繋げるための数字を伝えた。お客はすぐに入力をし、画面を繋ぐボタンを押した。

「ありがとうございます。画面がこちらでも見られるようになりました」
「はいよ、こっちにも繋がってる時のマーク出てるよ!」
「それでは、削除した可能性のあるバーをこちらの操作で表示します」

 上杉は、遠隔で操作し、お客が削除した可能性のある検索バーを再び表示した。
「ああ!そうそう、これこれ!ん・・・・ああ、やっぱり。兄ちゃん、いつもはこんな花柄マークじゃないんだよ。普段はTだけなのに」
「ああ、これはですね」
「兄ちゃん。実はな、最近、少しばかりエッチな動画を観てたんだ。それが原因で花柄になっちまったと思って、焦って削除しちゃったんだよ」
 上杉は、そういう事か、と合点がいった。
 もちろん、ここは笑みがこぼれそうな気持ちをグッと堪えて、心中に寄り添い案内をする。

「ああ、そうだったんですね。違うんです、お客様。実はこちらのTootle社は、ユーモアがありまして。確かにいつもは青と白のみでTと彩られているのですが。何か記念日になるとその日だけ柄や色を変えるんです。例えばですが、クリスマスには緑と赤でTをツリーの柄にしたりと、世界的な記念日の日に関連させた形にしています。今日は、花の日でしょうか、調べてみますね」
「ああ!そうか、そうか。だったら良いや。ウイルスにやられたかと思って心配しただけなんだ」

 上杉は優しい声で言った。
「そうでしたか、ご安心ください。今、手元にある他の機種を見てみましたが、どの機種も本日は花柄となっており、これが通常でございます」
「そうか、安心したよ!ありがとうな」
 そう言って、お客は少し談笑して電話を切った。 

 モニタリングをしていた横尾ASVは、すぐに上杉の側に寄って来た。
「上杉さん、お疲れ様です。処理が終わったら、保留にして待ってもらえますか」
「おお、わかった」
 上杉は、案内が悪く叱られるかと少しビクビクしていた。
 参ったな、俺、笑っちゃってたかな?堪えたつもりだったけど。

「横尾、保留にしたぞ」
 横尾は、上杉の肩に手を当てた。

「上杉さん、今回の電話対応ですが。・・・すごく良かったです!新人研修の時に、この電話対応を良い案内として、新人の皆さんに聴かせても良いですか?」
「え!俺の電話対応を?」
「はい。ここ最近の対応は、かなり良いです。信じられないくらい」

 そう言われ、上杉は照れくさそうな顔で、はにかんでいたが、すぐに、らしさを発揮した。
「是非使ってくれ!匿名にせず、俺の名前を出して構わないから。終わったら、新人がどんな反応だったか教えてくれよ」
「いやいや、匿名にしますよ」

 上杉は、ウキウキした気持ちでヘッドホンを手にし、受電しようとしたところ、後ろに座る違うチームの女性2人から、会話が聞こえてきた。

「ねぇ、坂口SVって連休中みたいだけど。お休み長くない?」
「ああ、だって辞めるんだよね?有給とって、旅行でも行ってるんじゃない?」
「ええ!そうなの?私、チーム違うけど。好きだったんだよなぁ。寂しい」

 上杉は、腕の力が急に抜けた感覚がし、手に持っていたヘッドホンの落下する音が響いた。

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