今は自分のこころ次第、未来は今日の自分のこころの声を聞く事から生まれる。
2023年もあと1ヶ月。
最近はnoteを書く時間もない日々を過ごしていました。
時間的な要因というよりは、自分の感情的な要因だった気がします。
私はおそらく自他共に認める楽観主義者ではあると思います。
基本的には「どうにかなる」「なんとかなる」精神で生きてきました。
ただ、それは自分の直感に従った場合、という条件が前提にある上という事を今年は学びました。
直感は違う事を言っているけど、変な正義感で「どうにかしていく」という決断をすると、全てが乱れていくのだと言う経験はとっても学びになりました。
今年の春以降、今までにないくらい未来が暗く、ネガティブな感情で埋まっていくのを感じました。
年をとった先の希望が感じられないというか、生き続けることへの恐怖というか。生きた先になにがあるんだろうとか、今まで感じたことがない思いが浮かんできては消して、の繰り返しが数日続きました。
そんなタイミングでオーストラリアへ行き、そして少し自分の中で未来への期待が高まったけど、現実の中でまだ少しだけ不安をひきづっているタイミングでネパールへ。
そこで色々なものから自分が離れた事で、旅に行く前に感じていた事がどこから生まれたのか、そこを見てみぬふりせずに受け取って向き合って進む先にしか、明るい未来は生まれないのだという結論に至り。
最終的にはどんな選択も、自分が正解にしていけばいいと思っている。けど、その選択は自分の直感に従うという条件があってのこと。
自分の正解であればそれでいいし、その正解が誰かにとっても利になればさらにいい。
そんな時間を経過して、1ヶ月ほど前に「5年後、58歳で隠居します!」宣言をした。
今の主となっている認定講師業を次に託すために5年をかけて計画的に進め、その間に次の自分のステップに向かおう、と。
周りからは「絶対58で隠居なんて無理ですよ」
「仕事やらないなんて無理じゃないですか!?」
「周りがほっておかないですよ」
と、ありがたい評価(圧倒的な仕事人間である、一応人から必要とされているらしい)をいただきましたが、残りの人生「自分にしかできない事」を本当に突き詰めたいと思う。
ネパールに行って、自分の精神が自由になるのも感じた。
日本で好きな事して、好きに生活をしているから無理をしているつもりはなかったけど、どこかで不自由だったのかもしれないな、、、と。
精神的な自由さを失ったからこそ、私は未来への希望を失ったのだろうな、、、と。
ただ「未来は大丈夫」と思ったとて、そう簡単にその不安を拭い去ることはできないのかもしれない。
さらにそれは1人でできることではなく、やっぱり人(コミュニティ)の力が必要になる。
共感できる何かを共有する誰か、が私を未来に誘ってくれるのだ、、、と。
自分が握りしめていたものを手放し、誰かの手を繋ぐ事で開けるものがある。
「そう、私は大丈夫」
「そう、そんな未来は大丈夫」
戦争や日常の理解できない様々な犯罪やお互いを傷つけるような事が起こっていても、人類に対しての絶対的な信頼を持ちつづけよう。
きっとそんな私たちの未来は大丈夫。
そう思いながらまたここから歩んでいこうと思う。
自分の直感を信じて
Follow your intuition.
photo by Satoru Nakagawa
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