見出し画像

世界は一つなのか? Nepalの旅を振り返る Part 1

あっという間に10月が過ぎていきます。

10月1日から10月14日の2週間、ネパールに行ってきました。

ひょんなことから仲間と「エベレスト、見に行っちゃう!?」という話を去年の12月にして、あっという間に日程が決まり、あっという間に色々なものが進み、私はほぼ事前の調べもせずに、「ひとまず行けばわかる、、、。」と、カトマンズに飛びました。


そして行ってみてわかったこと、というか、頭に浮かんだことの一つが、

「SDGsってなんだろうなぁ。」っていうこと。

SDGs(持続可能な開発目標)は、2015年に国連のサミット加盟国の全会一致で採択されたもの。そしてそれは持続可能な開発のための2030アジェンダとして、2030年までに持続可能でより良い世界を目指すぞ!という「国際目標」

17のゴール、169のターゲットともれなく網羅されているのですが、そのスローガン的なものとして地球上の「誰一人取り残さない:Leave no one behind」としています。 リンクは外務省のリンク。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html


日本でも企業や自治体が、ピンバッチしたり、色々な形でこの中のゴールやターゲットを例として、「私たちXXは、SDGsに取り組んでいます」みたいなことで活動をしている。

それ自体が悪いとは思わない。
その取り組みは素晴らしいし、その小さな一歩がきっと未来を変える。

ただ今回ネパールに行って感じたのが、自分の発想の貧困さと同時に、先の「SDGsってなんだろうなぁ。」ということ。さらにいうと「SDGsの取り組みはいったい誰のためになっているのだろうか、、」ということ。

外務省のページの説明の最後にもあるが、「日本としても積極的に取り組んでいます。」って書いてあるけど、もちろんこれは一つ一つの国々が、それぞれの国々の中で17のゴール、169のターゲットの中で、自国が遅れていると思うところや、自国としてできることをやっていっているのだと思う。


SDGs17のゴール


日本にいると、これらは当たり前に感じるし、日本人として日本国にいながらある程度のことは取り組めそうな気がする。

17のゴールに対してその手段もなんとなく浮かぶし、現実問題として具体的な取り組み方やその方策も考えることができる。だから、世界の色々な国においてはもちろん難しい課題はあるだろうけど、世界が一緒になれば、それなりにこのゴールに向かって歩みを進められて、一定の成果をあげることができるのではなかなぁ、、、なんて甘いことを思っていた。


今回、カトマンズに到着した日、他のみんなよりも半日早く到着したので、みんなの到着を待つ4,5時間の間、カトマンズ市内の学校を訪問させてもらいました。Nepal Aadarsh Secondary schoolという学校。


そこは3歳から17歳までが通う学校で、私が行ったときは子供たちはそれぞれの学年の教室で授業を受けていた。

私が廊下を通ると、教室の中から子どもたちが手を振ってくれたり、教室に招き入れてくれて、子どもたちと簡単な挨拶や会話をした。(挨拶は英語)

制服を着た彼らは、みんな外から漏れ入る少し薄暗い教室の中で、教室一杯に入っている机に所せましと座り、ノートを開き、教科書を開いて机に向かっていた。


こんな時、自分のセンスのなさをいつも痛感するのだが、「お勉強は楽しいですか?」「Yeah!」みたいな声掛けしかできない。


この学校は、今回ネパールの旅のすべてをコーディネートしてくれた、RajuさんがかかわるNGOの「Blue Poppy」というネパールの子どもたちの学資支援を行う団体が、長年子どもたちの教育のための学資支援活動をやってきている学校で(その団体の発足には、シンガーソングライターの佐野碧さんのお母様が深くかかわっています。今回のネパールもそのご縁)、ちょうど佐野碧さんがBlue Poppyとともに「ネパールの学校に保健室を作る」というクラファンをやった後で、私が行ったときにはちょうど寄付いただいたお金で、この学校に保健室をオープンしたあとでした。(クラファンは終了していますが、その目的や現状などについて書かれてあるのでリンクをぜひ!)

日本の学校には保健室が当たり前のようにありますが、ネパールの学校には保健室(校医や養護教諭)という存在はないそうで、そもそもこの部屋を何と呼ぶのか、、、もまだ定まっていないような状態だそうです。

Sick roomとするか、First-Aid roomとするか、、、

Sick roomとFirst-Aid Roomの両方が書かれている


保健室 真ん中にあるのは佐野碧さんの亡きお母さまのお写真

学校の教室の一つを保健室とし、そこには寄付金などで購入された、ベッド、棚、応急処置の物品(カギがかけられた棚に入っている)、身長計と体重計といった、本当にミニマムなものが置かれていた。


この部屋には校長先生とともに訪れたのですが、学校内の保健室という存在がこれまでなかったので、校長先生自体もこの部屋をどのように活用することが子どもたち、保護者のためになるのか、、、まだ考えがまとまっていない、と話をされていました。


日本の学校の保健室のシステム、年間の学校の検診の内容など一般的なお話をするとともに、ネパールの保険システムや保険制度、医療のシステムの話なども聞きながら、ネパールの学校にフィットする保健室のあり方って何だろう、、、と考えながら学校を離れました。


日本であれば、文科省や厚生労働省、そして地域行政、教育委員会などが方向性を決め、そして動いてくれるのが当たり前のようにおもえる現状があるけれども、ネパールにおいては、そこに学校というシステムはあれど、何か実際に取り組むとなると、かなり個人の力にゆだねられるのかもと感じた時間だった。


この学校の状態、先生の悩みを聞いていて、例えばSDGsの③保険「すべての人に健康と福祉を」、④教育「質の高い教育をみんなに」、⑦エネルギー「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」、⑩不平等「人や国の不平等をなくそう」など、「国際目標」としているのに、まったくその視野は「国際」ではない、、、と実感したし、自国が達成に近づいていたらそれとなく成果を口にできるとかそういうレベルの取り組みではなく、もっと自分の横のつながりでの「国際目標」の達成の意識をもって取り組むことが大事なのでは、、、と感じた。


カトマンズからマンタリに移動し、飛行機で飛んだLukla(ルクラ)の街で泊まったロッジで、近隣の町(と言っても歩けば2時間くらいはかかると思うけど)で医師をやっているという若い男性とダイナーでお話をしたのだが(キャップをかぶっている人)、この地域で唯一の医療機関であり医師であるらしく(あとはドイツとか海外からボランティアがPhakdingの医療機関に交代で来るらしい)、その彼も症例を少しでも多く経験するために、学校はフィリピンに行ったとのこと。



それぞれの国のそれぞれの事情があるけれども、同じ時代に生まれ、同じ時代に生きる人間として、自分だけの世界しか見ないで生きていく、まるで他の世界は関係ないふりをして生きていくことはしたくないなぁ、、、と思ったりもした。


何ができるのか、、、はまだわからないけど、少なくともこの世界のどこかでは、SDGsなどに取り組んでいます、、、なんて言えるような段階からは程遠い生活をしている人たちがいて、その人たちにとって本当に必要なことは何かを真剣に考えていくことが少なくとも私自身ができることなのかもしれない、、、と、今の段階では思っている。


その一つの表現が、インスタにストーリーズをできるだけあげて、それを日々保存して記録として残すこと。


かなりの散文になったけど、エベレストもヒマラヤの山々ももちろんすばらしかったけど、そこから感じるものもあったけど、

左のピークがエベレスト


酸素飽和度がめちゃくちゃ下がって(3880メートルにいた4日間は、ほぼずっと75が定着。ちょっと油断すると(深夜に目が覚めると)70を切るような状態で朝を迎えていても、やはり世界は美しいことを知ったけど


そして太陽がギラギラという擬態語を実感したり


自分はこの時空間のほんの小さな粒子みたいなものだけど、その小さな粒子として生き続けていることを感じたりもしたけど、


でもその粒子なりに、まだまだ想像力が足りてないことも実感をした旅だった。

帰国から2週間。
ようやく日本の生活という現実には戻りつつあるけど、でも出国前と同じ自分ではないことは実感している。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?