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西原志保(『源氏物語』研究)インタビュー:前編

女三の宮から見た世界と、源氏から見た世界は全然違う。
違う世界のいろんな声が同時に響いているところが面白い


名前は知っているけど、実際に読んだことはない文学作品の一つに挙げられることの多い『源氏物語』。日本の古典文学作品の金字塔ですが、チャレンジするにはややハードルが高いと思う方もいるかと思います。今回は『源氏物語』の研究者で、KUNILABOにて人文学ゼミ「『源氏物語』を読む」をご担当いただいている西原志保さんに、『源氏物語』の魅力や古典を読むことの面白さについて話を聞きました。
(本インタビューは、2018年2月に掲載されたインタビューをnoteに転載するにあたり、一部修正・改編したものです。)

インタビュー・編集=KUNILABO

恋愛は嫌だとか死にたいと言ったりする登場人物の多い宇治十帖は、
現代の気分に合っているのではないかと思います

——KUNILABOにて2017年9月期に開講された人文学講座「『源氏物語』を読む——女三の宮ことばから」を終えた感想をお願いします。
まずは、受講生のみなさま、それからお手伝いくださったスタッフのみなさまにお礼申し上げます。ありがとうございました。とても熱心な方が多く、少数精鋭だったと思います。こういう講座を担当したのは初めてだったので、反省点も多いのですが、良い経験になりました。ぜひ次に生かしたいです。次回は輪読形式のゼミの講座を担当します。より少数精鋭には向いているかなと思いますが..、本当のところは、少数と言わずたくさん来てほしいですね。

——講義では、先行研究論文をもとに出版された『『源氏物語』女三の宮の〈内面〉』(2017年、新典社新書)の内容も扱われていましたが、この著書を通じて、読者にどのようなことを感じ取ってもらいたいですか?
文学作品は真面目に読まないでもいいんだ、ということを知ってほしいです。もちろん好き勝手に読んでいいわけではなく、きちんと本文に書かれていることを読まなければならないのですが、道徳とか、固定観念であるとか、社会的に正しいとされているような価値観からは自由になって読んでほしいなと思います。できれば自由を感じてほしいです。

​——『源氏物語』といえば、光源氏を主人公とした物語という印象が強いですが、2018年4月期に開講する人文学ゼミ「『源氏物語』を読む」では、なぜあえて、光源氏の死後の物語である「宇治十帖」を選ばれたのでしょうか?
正直、正編(光源氏が死ぬまでの部分)はもういいかな、という感じがありまして。きらきらしたはなやかな恋愛もいいですが、そればかりだとちょっとしんどいですよね。恋愛は嫌だと言ったり死にたいと言ったり出家したいと言ったりする登場人物の多い、宇治十帖のほうが、現代の気分には合っているのではないかと思いました。

——具体的に「宇治十帖」の魅力を教えていただけますか。
語りが登場人物たちと絶妙の距離にあって、おかしみが漂うところです。たとえば、ここはぜひ原文で読んでほしいのですが、薫という主人公の一人が、自分の好きな大君(おおいきみ)のところに忍び入る場面に次のようなものがあります。大君はいつも妹の中の君といっしょに寝ているのですが、人が忍んでくる気配に気づいて自分だけ抜け出してしまいます。で、中の君だけが一人で寝ているのを見て薫はそれを大君だと思って、「ああ、大君がそのつもりでいてくれたんだ」って思うわけです。でも大君じゃなかった、って徐々に気づく。ここの文章がすごく面白い。あと、私はバシュラール(※1)が好きなので、「宇治十帖」には水のイメージや火事のエピソードがあるのも気になります。学部生の頃に一生懸命に読んでいた『フランス世紀末文学叢書』だったかな……ロデンバック(※2)の『死都ブリュージュ』みたいな部分もあったり。

——いつごろから源氏物語を研究しようと決めていたのですか?
学部3年生のときだったと思いますが、卒業論文のテーマを決めたときからです。実はその前に少し森茉莉とで迷ったことがあったのですが、研究史を読んでいて「それは違う」と思う点の多い『源氏物語』の女三の宮のほうで行こうと、決めました。でも、ひょっとしたら森茉莉で行ったほうがまだ就職はしやすかったかもしれないと、ちらっと思うことはありますね。

——西原さんが『源氏物語』のなかで一番好きな箇所は?
一番好きな場面は、女三の宮が出家した後、山に籠っている父親の朱雀院から、近くでとれた山菜につけて和歌が贈られてくる場面。朱雀院は、「出家したのは遅れても、いっしょに同じところ=極楽往生を目指しましょうね」と呼び掛けて、女三の宮はそれに「憂き世ではないところが恋しくて、(朱雀院が)仏道修行する山路に自分の思いこそ入るんだ」と返す。「ところ」というのは、送られてきた山菜に「ところ」(野老)というのがあって、それに掛けているんです。女三の宮と朱雀院はそれぞれ別々の場所にいて、会うことはできない。でも和歌によって、言葉によって、いっしょにいることができる、同じ世界を作っている、そこがいいと思います。とは言え、いっしょにいられないという状況を作っているのも、物語という言葉の世界ではあるのですが。

——好きな登場人物は誰でしょうか。
ずっと研究している女三の宮ですね。出家した後は幸せそうですし。出家して生活の不安もない、というのが一番いいですよね。生活の不安もない、というのがポイントです。

——西原さんを惹きつける源氏物語の魅力を教えてください。
いろんな声がするところでしょうか。私はずっと女三の宮を中心に見ていますが、女三の宮から見た世界と、源氏や紫の上から見た世界は全然違います。違う世界のいろんな声が、同時に響いている物語であるところが面白いと思います。

『源氏物語』を読むときに一番頼りになるのは『源氏物語』の言葉。
だからともかく読むことが大事です

——「古典を原文で読む」というと、古文の知識や文法などが必要で難しそうというイメージです。学習のコツはありますか?
​古文の知識や文法が必要ないとは言いませんが、まず読んでみることが一番大切です。おそらくみなさん、たくさん単語や文法事項を覚えないといけない、というイメージを持たれていると思います。でも、すごく乱暴な言い方をしてしまえば、学校で習ったこと以外の部分は、現代の日本語と同じだと考えて構わないわけです。今私たちが使っている日本語と単語の意味が変わっていたとしても何となくその変化の仕方が想像できるようなものもある。なので、「教科書通りに訳せなくてもよい」と思えばそんなに難しくないと思います。初読や通読のときは、さらっと読めばいいんです。反対に、一つ一つの場面を解釈するときや、自分自身の読みを主張するときは全力で調べないといけません。逆なんです。

——今回、KUNILABOではゼミ形式で「宇治十帖」を読んでいくわけですが、心がけておくべきポイントはありますか?
今回は輪読形式のゼミなので丁寧に読んでゆきますが、調べるときに(先行研究にあたるなど色々やらないといけないのですが)、一番大事なのは用例です。辞書に載っている用例にきちんと当たってみる。辞書に書いている意味が絶対で固定的なわけではなく、辞書は用例から意味を割り出しているんです。なので、『源氏物語』について何か言いたいときは、『源氏物語』の用例が一番大事です。『源氏物語』を読むときに一番根拠になり、頼りになるのは『源氏物語』の言葉ということですね。だからともかく読むことが大事です。

——『源氏物語』の現代語翻訳でおすすめのものや、手に取りやすい入門本などあれば教えてください。
​私はそれほど現代語訳を読んでいないので、比較してどれがおすすめ、ということを言うのは難しいのですが……自分が読んだ中で個人的に好きだったのは円地文子訳ですね。確か倉橋由美子さんだったか、誰かの現代語訳を評して「『源氏物語』は原文で読めばいいのだから、ある程度自分のものとしてオリジナルなものにしないと、わざわざ現代語訳する意味がない」というようなことを書かれていて。私も逐語訳的な訳でも言い換えている以上、原文とは別のものになっていると思っています。そういう意味でも、自分が読んで読みやすいものを読めばよいのではないでしょうか。森見登美彦さんが現代語訳(リライト)すると面白いものになりそうな気がするのですが、やらないかなあ…? 京都だし。

後編に続く)

西原志保(にしはら しほ)
人間文化研究機構国立国語研究所研究員
専門は『源氏物語』を中心とした日本文学。著書に『『源氏物語』女三の宮の〈内面〉』(新典社新書)、論文に「女三の宮のことば―六条院の空間と時間」(『日本文学』2008年12月)ほか。


注)
※1 ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard)フランスの哲学者、科学史家。『科学的精神の形成』『火の精神分析』など (1884-1962)。
※2 ジョルジュ・ロデンバック(Georges Rodenbach) ベルギーのフランス語詩人、作家。日本語表記はローデンバック、ローデンバッハとも。小説『死都ブリュージュ』のほかに詩集『白い青春』『沈黙の支配』など (1855-1898)。
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