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ちょっと気が早い?クリスマスの想い出

「第二回 聖書入門講座 初めにことばがあった --聖書が伝える人間の可能性--」、開催予定日の11/27(日)が近づいてまいりました。
ところで、近づいてきたといえば、あと1ヵ月もすればクリスマスですね。そこで今回、ちょっと気が早いかもしれませんが(笑)、クリスマスについての私の想い出をお話したいと想います。

私が小学校の高学年になるころまでだったでしょうか、毎年クリスマス・イヴの夜には我が家にまだ若かった叔父たち(母の弟たち)が集まり、クリスマスパーティーとなりました。現在、私の母はすでに亡くなっていますが、このことについて、亡くなる少し前に母が語ってくれました。
なぜクリスマス・イヴに叔父たちが我が家に集まってきたのか。それは、息子たちに寂しい想いをさせないために我が家に来るよう頼んでいたからだ、母はそう言いました。
我が家は、やはり今は亡き父、母、三人の息子という家族構成でした(ちなみに私は三人兄弟の末っ子です)。父は建設業界で働いておりました。今ではどうなのかわかりませんが、少なくとも昭和の時代、建設業界で働く人たちにとって「飲み会」は仕事の一部であり、特に年末年始は忘年会や新年会という名の飲み会の連続、私の父も例外ではありませんでした。父は家族をかえりみない人では決してなかったのですが、それでも年末年始は帰宅時間が非常に遅い日々が続いたものです。クリスマス・イヴも、例年、子どもたちはとっくに寝ている時間になってからの帰宅とならざるをえませんでした。
ところで、我が家はキリスト教とは無縁で、日本の多くの家庭と同じように、クリスマスという日が宗教的に特別な日であったわけではりませんでした。それでも母は、クリスマスという日は家族そろって楽しく過ごす日であり、だからこそ、「友だちの家では家族みんなでクリスマスするのに、なんでウチにはお父さんいないの?」などと、子どもたちには思わせたくなかった、そんな風に母は語ってくれました。

母のこの話を想い出すたびに、母は間違いなく優しい人であったと私は思えますし、また、私自身も、ほんの少しだけかもしれませんが、優しい人になれそうな気がしてきます。そんな風に、クリスマスについての私の想い出、というよりも、子どものころに私が過ごしたクリスマスについての母の想い出話は、私の心を、暖かくしてくれます。
ちなみに、小学生だったころの私は、クリスマスとキリスト教との関係など、まったくわかっていませんでした。今でこそ私はクリスチャンですが、キリスト教に関心を抱くようになるのは、まだまだ、ずっとずっと、後のこと。当時の私にとってクリスマスとは、プレゼントをもらえて、ご馳走が食べられて、叔父さんたちに遊んでもらえる、そんな日でしかありませんでした。そんな日でしかありませんでしたが、今の私ははっきりと言うことができます、そんな日が、私は大好きでした。
クリスマスについてこんな風に思うようになるとは、子どもだった私には想像もつかなかったことです。そして、母の想いが私に伝わるまで、ずいぶんと時間がかかってしまったものです。ですがこれからは、クリスマスという日は私の中でずっと、暖かな気持とともに想い出されることでしょう。

キリスト教を信仰しているわけではない、それどころか、キリスト教についてほとんど知らない、そういう人たちにも大切な想い出を残してくれるクリスマス。このことは、聖書という書物についてもいえると、私は思うのです。
キリスト教について詳しい人にも詳しくない人にも、どんな人にも、聖書という書物は開かれています。聖書の中では、読む人の心に強く深く響くかもしれない多くのことばが待っています。そういったことばとの出会いは、それからの人生をより豊かなものにしてくれる大切な想い出となってゆくことでしょう。

ところで、この文章を書きながら、クリスマスのご馳走や暖かい家庭のぬくもりなどが想い出されてきますと、「聖書入門講座 初めにことばがあった --聖書が伝える人間の可能性--」が、美味しいお料理をいただけるとってもアットホームな雰囲気のロケットカフェさんで開催されていることに、なにやら不思議なご縁が感じられてまいります(笑)。
このイベントに参加してくださる皆さんにとって、聖書のことばが、語り合いが、そして、ロケットカフェさんでご一緒に過ごす時間が、素敵な想い出となりますことを、心より祈っております。

☆「第二回 聖書入門講座 初めにことばがあった --聖書が伝える人間の可能性--」
・リアル(対面)でのご参加は
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