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note版 哲学ダイアグノーシス 第二十一号 ツールとしてのヘーゲル哲学(5)

<note版>

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<哲学ダイアグノーシス>

第二十一号 ツールとしてのヘーゲル哲学(5)


先月、第266代ローマ教皇フランシスコが来日しましたね。というわけで、今回は38年ぶりのローマ教皇来日を記念して……というわけでもないのですが(笑)、ヘーゲルの哲学とキリスト教との関係について、第19号に続くかたちでお話することにします。それに、なんといってももうじきクリスマスですし、キリスト教についてちょっと深く知っておくのも、悪くはないかもしれませんし(笑)。

教皇フランシスコはカトリックの修道会のひとつであるイエズス会に所属し、キリスト教史上初めてイエズス会から選ばれたローマ教皇です。イエズス会といえば、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが所属していたことで日本人にもなじみが深いですね。また、織田信長とも交流があったルイス・フロイスやグネッキ・ソルディ・オルガンティノもイエズス会の宣教師でした。ところで、信長とオルガンティノの間で、興味深いやり取りがあったことが伝えられています。

信長は宣教師たちの学識の高さと高潔な人柄に感銘を受けていたようなのですが、同時に、信長は現代風にいえば非常に合理的な思考をする人であったので、学識高い彼らが神の存在や魂の不滅といったことについて語るということ自体が信長にとっては理解に苦しいことだったようです。また、一向一揆の弾圧や延暦寺の焼き討ちなどの仏教勢力への弾圧からもうかがえるように、信長はそもそも宗教というもの自体を疑わしいと考えていたのかもしれません。そんな信長がある時、京都でオルガンティノに会った際に、宣教師たちは自分たちが説いている神の存在や魂の不滅といったことを本当に信じているのか、とたずねたのです! ちなみに、信長が教義について仏教の僧侶に同様の質問をしたところ、彼らは本当のところ教義など信じていないのだけれども人々を教え諭すための方便として語っているのであって、キリスト教の宣教師たちも自分たちと同じように、嘘であると知りながら布教しているに違いない、といった答えが返ってきたそうです。

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