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オンライン公開資料「【第四回 聖書入門講座】初めにことばがあった --聖書が伝える人間の可能性-- 聖書と文学① 太宰治」

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ご視聴方法などにつきましてはこの記事の最後で詳細をお知らせしておりますのでぜひお読みください。

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第四回

聖書入門講座 初めにことばがあった

--聖書が伝える人間の可能性---

テーマ 聖書と文学① 太宰治

 


聖書の世界へご案内!

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

                 (ヨハネによる福音書)

 

 

古いロゴスと新しいロゴス

・古いロゴス=ことば=理(ことわり)(ヘラクレイトスのロゴス)
 ヘラクレイトスの考え方
 
万物は流転する、対立的調和結合
 「戦いは万物の父、万物の王」
 「智恵は、ものの本性(フュシス・自然)を聞き分けて、それに従って真実の
 ことを言ったり行ったりすることにある」

 ・新しいロゴス=ことば=理(ことわり)
01:01初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 01:02この言は、初めに神と共にあった。 01:03万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 01:04言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 01:05光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 01:06神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 01:07彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 01:08彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 01:09その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 01:10言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 01:11言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
                (ヨハネによる福音書 第1章第1-11節)

弱者・犠牲者・死者とは? 

(旧約)聖書では……

・カインとアベルのエピソード
04:01さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。 04:02彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。 04:03時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。 04:04アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、 04:05カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。 04:06主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。 04:07もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」 04:08カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。 04:09主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」 04:10主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。 04:11今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。 04:12土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」 04:13カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。 04:14今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」 04:15主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。(創世記)

・「ヨブ記」(後述)

 新約聖書では……

23:27律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。 23:28このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。 23:29律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。 23:30そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。 23:31こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。 23:32先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。 23:33蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。 23:34だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。 23:35こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。 23:36はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。(マタイによる福音書)

 11:42それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。 11:43あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。 11:44あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」 11:45そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。 11:46イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。 11:47あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。 11:48こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。 11:49だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』 11:50こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。 11:51それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。 11:52あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。(ルカによる福音書)


☆「迫害された者(弱者・犠牲者・死者)のことば」という文学形式

太宰治『人間失格』

 

☆太宰治(1909年〈明治42年~1948年〈昭和23年〉)について

・新戯作派・無頼派(坂口安吾、織田作之助、石川淳、檀一雄、等)
→文壇の「大家」たちとは一線を画する
・「走れメロス」(“熱海事件”「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね。」)
・読者を「楽しませる」ための作品(以下、個人的なオススメ)
 「親友交歓」、「トカトントン」、「駈込み訴え」
 「不良少年とキリスト」(坂口安吾による太宰への追悼文)

 文学に於て、最も大事なものは、「心づくし」というものである。「心づくし」といっても君たちにはわからないかも知れぬ。しかし、「親切」といってしまえば、身もふたも無い。心趣(こころばえ)。心意気。心遣い。そう言っても、まだぴったりしない。つまり、「心づくし」なのである。作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、文学の永遠性とか、或いは文学のありがたさとか、うれしさとか、そういったようなものが始めて成立するのであると思う。
 料理は、おなかに一杯になればいいというものでは無いということは、先月も言ったように思うけれども、さらに、料理の本当のうれしさは、多量少量にあるのでは勿論(もちろん)なく、また、うまい、まずいにあるものでさえ無いのである。料理人の「心づくし」それが、うれしいのである。心のこもった料理、思い当るだろう。おいしいだろう。それだけでいいのである。(「如是我聞」)

 ☆太宰は多くの作品において直接的・間接的にキリスト教や聖書に触れている。しかし大切なのは、その各々をとり上げて太宰へのキリスト教や聖書の影響について考えることではなく、太宰がキリスト教や聖書の考え方をどのように理解して表現したのかということである(と私ナカハタは考えます)。太宰は、キリスト教や聖書に触れることなくキリスト教や聖書の考え方を表現したのであり、そのような作品を代表するものが『人間失格』である。

『人間失格』

あらすじ
主人公の大葉葉蔵は、幼い頃から「世間」を理解できず、他人とかかわることに苦痛を感じていた。やがて葉蔵は、他人とのかかわりの中では自分の本心を押し殺して「道化」を演じるようになってゆく。進学のために上京して多くの人たちとかかわるようになってもこの傾向は変わらず、さらに、他人とかかわることへの苦痛は変わらず、生きづらさは増してゆく。そのために酒や薬物におぼれるようになり、葉蔵の人生は狂ってゆく。葉蔵の人生に中でも深刻な影響を与えたのは三人の女性(ツネ子、シヅ子、ヨシ子)との関係であり、特に、ツネ子とは心中をはかり、ヨシ子との関係が悪化した際には自殺を試みる。自殺未遂の後、酒や薬物への依存はますます強くなり、ついには薬物(モルヒネ)中毒となり、精神病院に入院させられてしまう。その後は東北の田舎にある温泉地へと送られ、その地で生涯を終える(ように思われる)。

『人間失格』の構成
「はしがき」→「第一の手記」→「第二の手記」→「第三の手記」→「あとがき」
「はしがき」では語り手である「私」が、葉蔵が写る三枚の写真を見た印象が語られる。
「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」は葉蔵による手記であり、上記の「あらすじ」はこれらをまとめたものである。
「あとがき」は、「私」の友人でありかつて葉蔵が身を寄せていた京橋のバーのマダムから三枚の写真と手記が綴られたノートを受け取ったいきさつや、手記や葉蔵本人についての「私」とマダムとの会話が描かれている。(構成について→魯迅「狂人日記」)

 ☆ナカハタ的まとめ
葉蔵にとって「世間」とは、自分には理解できないルールによって支配されている。自分以外の「普通」の人たちは、そのルールに当たり前のようにしたがって「自然」に振る舞っているが、ルール自体を理解できない葉蔵は「自然」に振る舞うことはできず、いつルールに違反してしまうかという恐怖を感じながら道化を演じ続けざるを得なかった。私ナカハタが考えたいと思うのは、「世間」を支配しているルールがわからないということが、さらには、ルールがわからない人間として生まれ育ってきてしまったということ自体が、責められるべきことなのかどうか、ということである。

 恥の多い生涯を送って来ました。/自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。(「第一の手記」より)

 「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
 「世間というのは、君じゃないか」
 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
 (それは世間が、ゆるさない)
 (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
 (そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
 (世間じゃない。あなたでしょう?)
 (いまに世間から葬られる)
 (世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
                                                                                    (「第三の手記」より)

  いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども、狂った事は無いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそう言うものだそうです。つまり、この病院にいれられた者は気違い、いれられなかった者は、ノーマルという事になるようです。
 神に問う。無抵抗は罪なりや?
 堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人(はいじん)という  刻印を額に打たれる事でしょう。
 人間、失格。
 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
                       (「第三の手記」より)

 「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」                                                                                 (「あとがき」より)

 ☆「人間失格」という言葉について

ヨブ記

あらすじ
主人公であるヨブは神への信仰が厚く神にも一目置かれるほどの義人である。しかしサタンの企みによって、家族にも財産にも恵まれた生活から一転、不幸のどん底に陥る。そんなヨブのもとを三人の友人たち(エリファズ、ビルダド、ツァフォル)が訪れるが、ヨブを慰めに来たはずの彼らは、ヨブがこのような不幸な状況にあるのは、ヨブがなにか罪を犯したからではないかと、因果応報の考え方にもとづいてヨブを責めはじめる(後にエリフというもうひとりの人物が加わる)。それに対してヨブは自分の潔白を主張し、この世には因果応報といった人間の理解を超えたものによって支配されているのではないかと語る。友人たちとの議論の中で神への不信を抱きはじめるヨブの前に神が現われる。神は、一方で自分不信を抱いたヨブを責めるが、他方で正しいのはヨブであり間違っているのはヨブの友人たちであると告げる。悔い改めたヨブは以前よりも大きな恵みを神から与えられ、幸せな生涯を送った。

 01:01ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。 01:02七人の息子と三人の娘を持ち、 01:03羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。
01:06ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。 01:07主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。 01:08主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」 01:09サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。 01:10あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。 01:11ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」 01:12主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。 01:13ヨブの息子、娘が、長兄の家で宴会を開いていた日のことである。 01:14-15 ヨブのもとに、一人の召使いが報告に来た。「御報告いたします。わたしどもが、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせておりますと、シェバ人が襲いかかり、略奪していきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」 01:15 01:16彼が話し終らないうちに、また一人が来て言った。「御報告いたします。天から神の火が降って、羊も羊飼いも焼け死んでしまいました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」 01:17彼が話し終らないうちに、また一人来て言った。「御報告いたします。カルデア人が三部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」 01:18彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。 01:19すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」 01:20ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。 01:21「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 01:22このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。 02:01またある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出た。 02:02主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。 02:03主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」 02:04サタンは答えた。「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。 02:05手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」 02:06主はサタンに言われた。「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな。」 02:07サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。 02:08ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。 02:09彼の妻は、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、 02:10ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。

 

今回のことば

19:23どうかわたしの言葉が書き留められるように碑文として刻まれるように。 19:24たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記されいつまでも残るように。                            
                             (ヨブ記)

21:02どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。 21:03我慢して、わたしに話をさせてくれ。わたしが話してから、嘲笑うがいい。 21:04わたしは人間に向かって訴えているのだろうか。なぜ、我慢しなければならないのか。 21:05わたしに顔を向けてくれ。そして驚き、口に手を当てるがよい。              (ヨブ記)

 

 ホスピタリティ(歓待)について

迫害された人たち(弱者・犠牲者)の声に耳を傾け、救いの手を差し出さなければならない。しかしながら、そのような状況において、目の前の相手は本当に「迫害された人」なのかどうかは不確かである。さて、どうすれば良いか?

 ~~~~~~~~~~~~~~(資料ここまで)~~~~~~~~~~~~

※なお、動画をお申込みの方にはこの資料をPDF形式でお送りいたします。ご希望の方は下記メールアドレスに、件名(タイトル)「第三回資料希望」とご記載いただいた空メール(本文無し)をお送りください。
philosophicaldiagnosis@gmail.com

4/9に池袋のROCKETCAFEさんにて開催された「【第四回 聖書入門講座】初めにことばがあった --聖書が伝える人間の可能性--」、おかげさまでご好評のうちに終了いたしました!

こちらのページではこのイベントのアーカイヴ(動画)視聴をご案内いたします。約120分のYouTube動画でご購入価格は「3,000円」となります。


☆サンプル動画もございますのでぜひともご覧いただき、ご購入をご検討ください!

サンプル動画①「第四回 聖書入門講座」  ファリサイ派・律法学者による「迫害」について
https://youtu.be/6E8hrTC_CGI

サンプル動画②「第四回 聖書入門講座」 「ルール」がわからないことは「罪」なのか?
https://youtu.be/4AhoG1W4440

サンプル動画③「第四回 聖書入門講座」 ナカハタ、太宰が大っ嫌い……でした(笑)
https://youtu.be/ZFJpBAH8GQg

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☆この講座について
 『聖書』は過去数千年にわたって読み継がれてきた世界的なベストセラーであり、哲学・文学・芸術などさまざまな分野にたずさわる人々に多大なインスピレーションを与え続けてきました。『聖書』は、もちろんキリスト教において最高に重要な書物ですが、そこにはたんにキリスト教徒の人たちに対してだけでなく、人類全体に対する数えきれないほどのメッセージが込められています。
 この講座は、聖書やキリスト教にご関心のある方はもちろん、ご関心はあるものの普段はなかなか親しむ機会がないといった皆さんを聖書の世界にご案内する講座です。
 受講していただくにあたって現在キリスト教徒であるとかこれからキリスト教徒になることをお望みであるといった意味での信仰は前提といたしません。この講座ではむしろ聖書を、たんに信仰のための・信仰に導く書物としてではなく、より広く人間について学ぶことのできる書物としてご紹介いたします。
 この講座にご参加いただくことによって、身近な人たちが、自分自身が、そして「人間」というものが、これまでとはまったく違って見えてくるかもしれません。またさらに、そのような変化の中で、皆さんがこれからどのような人になることができ、どのように生きてゆくことができるのかといった、皆さん自身の中の「可能性」が見えてくるかもしれません。

☆こんな人におすすめ!
・太宰治やその作品が気になる方。
・「なんだか面白そう」と想った方。
・聖書やキリスト教についての知識を深めたい方。
・信仰には興味がないが聖書やキリスト教には興味があるという方。
・いわゆるカルトなどの怪しい集団とかかわり合いになる心配なしに聖書やキリスト教について学びたい方。
・聖書やキリスト教について自由に気軽に語り合える仲間がほしい方。
・これからどのような人として生きていゆきたいか、生きてゆくべきか、そういったことについての「道しるべ」をお探しの方。

☆主催者について
中畑邦夫(なかはた くにお)
博士(哲学)。明治大学法学部法律学科卒、上智大学大学院博士後期課程修了。現在、上智大学等で哲学、倫理学、宗教関係の授業で教鞭を執る。専門はヘーゲルの哲学、キリスト教思想、医療倫理、生命倫理、ビジネス・エシックス。また、哲学対話の主催者・ファシリテーター、企業内での研修会やインターンの講師なども務める。
「アカデミックな世界の『外』で、哲学をはじめとした教養を愛する人々のコミュニティをつくることを目指して活動しています!」

「哲学」をより身近なものにするために活動しています。 サポートをよろしくお願いいたします!