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八百屋で量り売りスパークリングを調達し、秘密のアペリティーボへ

前回までのあらすじ
ローマから特急電車でナポリに着いた我々一向。迎えてくれたのはモニちゃんの叔父のレッロとその妻カルラ。旅程を知らされていない僕はこの夫婦の家に数日間泊まるらしいことを知る。ナポリ民がサマーバケーションを過ごすこの町でどんな生活が待ち受けるのか。

レッロとカルラの家に到着した日の夜、カルラが手作りの夕食をふるまってくれることになった。カルラの料理を待っている間、レッロは「スパークリングワインを量り売りしてくれる八百屋があるから行こうよ」と提案してくれた。え、八百屋でスパークリング?面白そうじゃないか。

壁一面の夏フルーツとモニカ

僕らはレッロの買い物に同行すると、確かに普通の八百屋に到着した。普通の八百屋でも僕にとっては異国の地の八百屋なので、見知らぬ八百屋の香りを鼻からいっぱいに吸い込んでナポリの空気を体に取り込んだ。

桃の匂いがする。やや小ぶりでオレンジ色に熟した桃が山積みになっている。それに色とりどりのズッキーニやパプリカといった夏野菜が目を引く。黄色ベースのポップに赤文字で商品名と値段が書いてある。この色の組み合わせはドンキホーテと一緒なんだな。なんといっても商品名のフォントが独特だ。海沿いの老舗カフェの看板のようなゆらゆらとした優雅な字体で面白い。モニちゃんに聞くと、生鮮品のポップはどこにいってもこのフォントらしい。

味のあるナポリ式ポップ

さて、お目当ての量り売りのスパークリングはというと、軒先の野菜売り場の横に雨ざらしの状態でサーバーが設置されていた。野菜のほうが待遇がいい。レッロは慣れた様子でサーバーへ向かい、サーバーの横に無造作に置かれているゴミにしか見えないペットボトルをひょいとひろいあげて、ぐいっとレバーをひねってそのボトルにスパークリングを注ぎ始めた。

ゴミに見えた4リットルペットボトルでスパークリングを調達

このペットボトルは一応ゴミではなく「ご自由にお使いください」的なボトルらしい。ボトルの中はたちまち7割くらいが泡で満たされてしまった。たしかにこの泡立ち方はビールでも炭酸水でもなくスパークリングワインだ。アワアワだったボトルはすぐに落ち着きを取り戻して順調に水かさを増していく。

それにしてもレッロはどれだけ注ぐつもりなんだ。晩御飯の参加者は4人だけだろう、4リットルくらいありそうなペットボトルの7割ほどが満たされたところでやっと注ぎ終えたレッロの顔には満面の笑みが張り付いていた。この人お酒が好きなんだろうな。ちなみに後から聞いたが、サーバーから勝手にボトルに注ぐのは通常NGで、レッロは常連だから許されているらしい。そりゃそうだよな。

おつかいを終えた僕ら3人は、家の方向にむかっていった。途中、レッロの電話にカルラから「いつ帰ってくるの?」と電話がかかってきたが、レッロはどうやら「いま帰ってるけど、もうちょいかかりそう」と説明しているようだ。電話を切ったレッロはこちらに向き直り、しめしめ、という顔をして「アペリティーボをしていこう」と僕らを誘った。

アペリティーボとは食事の前の0次会のようなもので、町中にあるバルの多くは、コーヒーを飲むためだけではなくアペリティーボにも対応しているらしい。レッロは僕らを馴染みの店に連れ込んで、マスターに嬉しそうに「姪っ子が日本から来てくれたんだ。スプリッツをちょうだい。」とオーダーした。

スプリッツはアペリティーボの定番で、白ワイン、炭酸、アぺロール(もしくはスパークリングワインとアペロール)で作られたオレンジ色が涼しげなカクテルだ。一口飲むと空腹の胃袋が準備運動をするように温まり、ようしメシ食うぞ、という気分になる。

スプリッツと共にジャンジャン提供されるおつまみに興味津々の私

僕らはおまけでもらった山盛りのスナック菓子をちびちびつまみながら談笑した。レッロは何度も「このアペリティーボはカルラには内緒だぞ」と釘を刺したが、早くもスプリッツがまわった彼の顔は緩んだ恵比寿顔になっていて、僕らが内緒にしたところできっとカルラにはバレてしまうだろうと悟った。

「いま帰ってるところ」とレッロがカルラに伝えてから1時間あまりで帰宅すると、たちまちレッロはカルラに詰め寄られていた。ひととおり口論を終えると、2人はあとくされなく夕飯の準備にフォーカスを切り替え、カルラは「さあ、パスタ茹でるよ」と袖をまくり、レッロは「さあ、スパークリング飲むよ」とグラスを用意し始めた。さっぱりしたものである。

食卓にはシンプルなアマトリチャーナが並んだ。グラスにスパークリングを注いで、レッロが「チンチン」と乾杯の音頭をとった。ほんとうにイタリアでは乾杯の合図はチンチンなのだ。アマトリチャーナのソースはよく煮詰められていてギュッと味が濃縮されていて、ほんの少し刻んで入れてあるパンチェッタの香りと旨味がムワッと口の中で広がる。スーパーでこのクオリティのパンチェッタが買えるなんてうらやましすぎる。そしてスパークリングは辛口で味が濃く、言われなければとても八百屋でゴミ同然のボトルに詰めてきたシロモノだとは思えない上質さだ。

スパークリングのあまりの美味しさに、ボーノボーノと騒いでいる僕を見たカルラは、赤肉のメロンにプロシュートをのせたおつまみを用意してくれた。

甘さ控えめなメロンと、香りの良いプロシュートは相性抜群

見るからにスパークリングとの相性が良さそうなので、さっそく生ハムメロンを手元の皿に取ったところ、カルラが慌てて「あらら、ごめんね」と言って僕のお皿をキッチンに引き上げてしまった。僕は食べようとしていたお皿が取り上げられてしまい、何が起こったのかわからずキョロキョロしていると、状況を理解したモニちゃんが解説してくれた。

「カルラはタイチが生ハムメロンを食べるなら、お皿に残ってるアマトリチャーナをもう食べないと思ったみたい。日本ではひとつのお皿にいくつも料理をのせるのは普通だけど、こっちでは同じお皿に味の違うふたつの料理をのせるのは嫌がる人もいるからね。」

なるほど、文化のちょっとした違いからカルラに誤解を与えてしまったようだ。僕は「アマトリチャーナも生ハムメロンも別々のお皿で全部食べるよ」と身振り手振りでカルラに伝えた。僕は子供の頃からご飯は残さず、主食と副菜は三角食いすることをポリシーに食事と向き合ってきたので、今回も「かけそばの箸休めにだし巻き卵をつまむ」ようなノリで生ハムメロンに手をつけたのだが、このムーブはカルラにとっては「アマトリチャーナはごちそうさま」の合図に見えてしまったわけだ。

ところでレッロはじゃぶじゃぶとスパークリングを飲み続けすっかり上機嫌になっていた。可愛がっている姪っ子のモニカが遊びに来てくれたのはもちろんだが、僕の目にはゲストが来たことで遠慮なく飲める大義名分ができたことが嬉しいようにも映った。

レッロは熱心に商売の話をモニちゃんにしていた。レッロはその昔、エンツォが営む大阪のレストラン『パポッキオ』を手伝っていたことがあるらしい。そのせいもあってか、パポッキオが成功するにはどうするべきか、惜しまずアイデアを出していた。

レッロにとってエンツォは兄にあたるのだが、この歳になっても兄の店を本気で気にかけている様子は僕の家族・親戚には見られないアクションだ(レッロは酔っ払って饒舌になっていただけかもしれないが)。僕もいちおう自営業だけれど、もし仕事について親、きょうだい、親戚に相談しても全員から「やりたいようにやりなよ」と言われる気がする。個人の意見を尊重しているとも言えるが、ややドライとも捉えられるだろう。

僕が親戚から商売や人生の相談を受けたらどう答えるだろうか。いや、モニちゃんのパートナーとしてナポリにやってきたわけだから、レッロもカルラももはや親戚と言って差し支えないだろう。

今後レッロに「スパークリングワイン飲み放題の店をやりたいけど、タイチはどう思う?」と相談されたらどうしよう。きっと自分でスパークリングを飲んじゃって原価率を圧迫しちゃうだろうから「レッロのやりたいようにやりなよ」とは言わないだろうな。

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