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【読書感想】 「大阪」岸政彦・柴崎友香 著

こんにちは。くぬぎと申します。
岸政彦さん、柴崎友香さん共著の「大阪」が面白かったので読書感想文を初noteとして投稿させていただきます。

大阪愛

私の生まれと育ちは兵庫県です。20代以降、職場に近いからと大阪で暮らすようになり今に至る、という感じで、振り返れば人生の半分を大阪で過ごしました。

大阪市内のド下町(通りがかりの知らんおっちゃんに男できたんか?と話しかけられる)→大阪市内の大都会(近所を関ジャニが歩いている)→大阪郊外の田舎町(猿やイタチやヌートリアが顔を出す)と移り住み、引っ越すたびにそれぞれの土地柄のユニークさにおののいています。

当たり前かもしれませんが、同じ関西でも兵庫と大阪では全然雰囲気が違います。
でも前述のように、大阪でも土地によっては全く違うんです。
どこに住んでいてもどことなく居心地の悪さを感じてしまい、未だに大阪に慣れておりません。

自分の子ども達が大阪生まれの大阪育ちという肩書に気づいた時は「私は大阪の子を産んでしまったのか!!」と改めて驚いたほど。
話は変わりますが、結婚して夫の姓になり、未だにその名前で呼ばれることに他人事な感覚があります。かと言って旧姓で呼ばれると一瞬「え、私?」となることも。私にとって、大阪に住むということは、そんな感覚に似ています。
特別、地元の兵庫に思い入れがあるというわけではないけれど、大阪には更に思い入れがありません。
このまま大阪で死んでいくのか…と、ふと感慨にふけったこともあります。

反面、こちらの「大阪」は、著者である岸さんと柴崎さんの「大阪愛」がにじみ出ている本でした。

岸さんは名古屋のご出身で、現在も大阪在住でおられるそう。
柴咲さんは大阪ご出身で、現在は東京にお住まいだそうです。

同年代のお二人のご経験は自分と重なることが多く、そうそうあの時は私はこんな感じだった、と思い出したりして、とても楽しい時間でした。
改めて、関西で(後半は私も大阪で)同じ時代を生きてこられたお二人をすごく身近に感じました。
それに、せっかく大阪に住んでるんやから、まだまだ知らない大阪を探検せんと、もったいないかもな、と思いました。

二丁目劇場、バンドブーム

柴崎さんの章、特に前半の二丁目劇場からバンドブームにかけての思春期のあれこれは既視感しかありませんでした。私も同じ年なのです。
どちらも社会的なブームになっていたけれど、校内で同じ趣味趣向を持つ友人は限られていました。だから嬉しくて。
我ら団塊ジュニア世代、子どもが多かったからか、サブカルチャーが今よりもっと多種多様で、身近な時代でした。

やっぱりイベントやライブは大阪市内が多く、学校に内緒でアルバイトをし、交通費やチケット代、服代に費やしました。
うちから大阪までは約1時間。交通費は往復で1,500円ほど。大阪の子たちは近いからええなあ、と羨ましかったです。

先日、一緒に二丁目劇場やライブハウスに通った友人と会う機会があり、こちらの本を持参し見せました。
うちらも、◯◯へダウンタウンを見に行ったよな〜(笑)
この時代のレピッシュのライブとか、絶対うちらも行ってるよな〜(笑)
などなど、思い出話に花が咲きました。

メンバメイコボルスミ11の解散理由について、「ネット情報だからほんとうのことかはわからない」と前書きがある前提で書かれていた内容は、とても意外なものでした。
確かビクさんは美容師になるということで芸人を引退されたと記憶しており、ココさんは解散後もピン芸人としてお見かけしていたからです。

私にとってのメンバメイコボルスミ11のイメージは、ダウンタウンなどの先輩たちにも全く媚びず、愛想笑いも無く、ボーイッシュなショートカットに赤い口紅、黒っぽいVIVAYOUなどのお洋服がとにかくお似合いで、女友達同士の淡々とした会話のような漫才はセンスしかなくて、本当に最高にかっこいい憧れのお姉さんなのでした。
でもそりゃあ昭和の、徹底した縦社会の業界で、新進気鋭の女性漫才師、しんどいこともあったでしょう。
子どもの私は、お二人の解散が本当に残念だったなあ。

「あの頃に人気になった芸人さんたちの今の言動が権力構造を強化するようで気にかかる」という一文にはドキッとしました。
ほんと、変わりましたよね。政治とお笑いの近さが気になります。大阪に住んでいると実感します。

大阪から見た阪神大震災

読み始めた時から震災の話はあるやろな…と身構えていました。
あの時代を関西で過ごした人が「あの地震についての色んな物語を持っている」というのは、本当に実感します。
何年もたってから、関係性の新しい方と、ふと震災の話になること、多々ありました。これからもあるでしょう。

大阪で地震を経験された岸さんは、テレビにかじりつき、死者の数が桁違いに増えていくのを見て、ただ泣いておられたそうです。

その頃、被災した私は、家の片付けと水や食料やどこで寝るかの心配、近所の友だちや知り合いに会って情報収集、こんなときでも夫婦喧嘩する両親の仲裁をして、配給に長時間並ぶ、とにかく目の前のことに必死の毎日でした。
被害の少ない地域に住んでいたので、長田が火事になっていると噂では聞いたけど、ラジオを聞く余裕もなく、被災の全貌を数日間は理解していませんでした。
震災からちょうど1週間後、会社の寮に疎開した私は、自分だけお風呂に入れるという罪悪感で、初めて泣きました。

震災から1〜2ヶ月ほど経ち、灘区へ行く機会がありました。
焼け野原の中、瓦礫の切れ端に書かれた「連絡くれ」という沢山のメッセージを見て、現実を目の当たりにしました。
友だちが実は2時間ほど生き埋めになっていて助けられたとか、別の友だちは近所の倒壊した家の救助活動をしたとか(または救助できなかったとか)、同級生たちが生死に関わる経験をしていたのを知ったのは更に数ヶ月後、徐々に神戸にも生活が戻り、再会が叶ってからでした。

東日本大震災の日のこともはっきり覚えています。
先日の能登の震災の元旦も忘れません。
ちょうどこの「大阪」という本で90年代を懐かしんでいたタイミングで起きたので、30年近くたった今でも同じように被災されている方々がいらっしゃるという現実が、本当に悲しいです。

まとめ

アラフィフの関西在住の皆さんなら、共感されるところが多いエッセイです。
もしかすると大阪を知らない方でも、あの時代感を一緒に楽しめるのではと思います。

1995年が転機だったとありましたが、大阪にとってはこれから始まる関西万博も、分岐点になるような気がしています。(政治的にも、経済面でも)

10代から20代のあの頃。お二人と同じく、私も全然お金持ってなかったけど、あちこちへぶらぶら出かけて遊んでました。
仕事もなんかしらあり、どうにかなりました。

大阪で大人になっていく娘たちのこれからは、どうでしょうか。
というか、私のこれからも。

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