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Back to the late 90’s 第19話 今は無きクラブ⑤

第18話の続きで、東心斎橋にあったCAMEOについてだが、オーナーのJUNIORは、元々アメリカ村にあったDONFLEX Loungeが、リニューアルする以前のDONFLEX時代のスタッフで、リニューアル後に店で働いていた外国人達が去りDONFLEX Loungeとなった後に、独立して自らがCAMEOと言うクラブをつくったと記憶している。店名はアメリカのFUNK BANDからの借用かな?


フライヤーを見ると12月17日のみ表記されているが、これは1999年で、出演者を見ると、まさかず君、ゴンタ君、私。それにゲストDJがTAKA(G-Crew)とKenjiとなっていてる。あと沢山のダンサーが出演していて、プロデュースがYOSHIとクレジットされている。

G-Crewは確か当時、関西でWest-Coast系のHIPHOP集団がいて、そこのボスがTAKA君だった筈。もう1人のゲストKenjiについては、詳細がわからずで、私の記憶にも残ってない。


オーガーナイザーのYOSHI君は、確か当時CAMEOのスタッフじゃなかったかな?今でもたまにイベントで見かけて、今は無きGRAND Cafeのビルの3FにあるJUICE(←最近BUENOSと言うクラブになった)で、時よりスタッフとしてお見かけする「ハゲヨシ」の愛称で知られる人物だ。

“ハゲヨシ”ことYOSHI君(写真右)と筆者。この写真は2014年頃かな。当時、私が主催していたR&Bイベント『Bitter Flavor』の会場となる今は無きミナミは新町のイタリアン&鉄板焼『Kuchi-bue』で撮った1枚。


残念ながらダンサーまでは、さすがに私も殆ど接点がなく覚えていないので、詳細まではわからないが、もし当時の演者で、この『Back to the late 90’s』を読んでくれている人がいれば、ご連絡頂ければと思う。90年代関西HIPHOP史の探究こそが、私が『Back to the late 90’s』を執筆し始めたそもそもの目的なので、序章に書かせて頂いた通り、原点に返りたいと思う。


第15話から、自分が出演していたクラブイベントのフライヤーを元に、当時アフリカン達がオーナーをつとめていたクラブについて、ざっと取り上げてみた。これらの小箱でキャリアを積んで、やがてCLUB ItoIやDONFLEX Lounge、GRAND CafeでレギュラーDJの座を得る事となる。

つづく……

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