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仕事を辞めたいけどなかなか辞められなかったこと(今は辞めてる)

2022年3月も半ばになった。ふと思えば前職をメンタル的にやられて行けなくなってから約1年が過ぎたことに気付く。(退職したのはその約1か月後)。

3ヶ月ほど通った某就職支援学校(学費なし、面接はあり)のおかげもあって、やっとで就職できた会社だった。そこに入る前から就職活動はしていたものの、ちっとも決まらなかったのもあり、採用の知らせを聞いたときはとても嬉しかったのを覚えている。

その会社の仕事は主に接客のお仕事。接客をするなんて学生時代のコンビニバイトぐらいしか経験なかったが、社長の考え方や会社としてのスタンスに惹かれ過ぎたあまりに飛び込むように受けた会社だった。

実際に入社してみると、接客自体、慣れてもないから大変だったし、どうにも相性の悪いお客さんも中にはいたけれど、気のいいお客さんもいらっしゃるし、特にお年寄りの方とお話するのはおばあちゃん子だったのもあってか、こちらもほっこり和むし、それはなんだか楽しかった。

ただ、「接客」には文字通りただお客さんと接するという側面もあるけど、何より商品なりサービスなりをおすすめなきゃいけない。いわゆる営業的な仕事の面があり、それはかなり難儀した。でもそれも慣れだと思ってじぶんなりには頑張ったつもりだ。

だけど、いいと思ってない。少なくともいいという実感が持ててない商品に対しておすすめするのはどうしてもできなかった。じぶんが使ったことある商品あるいはサービスをすすめるならきっとできたかもしれない。でも、そうじゃない方がほとんどで、それをうまい具合にすすめることは最後までできなかった。

さらに、仕事内容はそれだけじゃ当然なかった。

顧客データの入力や備品補充などの雑務、商品の修理も受け付けているので修理先メーカーとのやりとり、プレゼント用の包装(これがとても苦手だった)、店先でできる類の商品の修理(これは社員ほぼ全員資格習得が必須だった。手先の器用さがほぼ皆無のじぶんには壊滅的なことだったとあとになって気付いた)、やることが山ほどあった。それを全部、そつなくこなせるようになるのがいち社員としての最終目標のようなところがあって、それをそれぞれの「じぶんのペース」で徐々に身に付けていこう、みたいなスタンスではあったので当初はのんびり構えてたような気はする。

だけど、そんな「じぶんのペース」というのは実際にはありもしなかった。実際に想定されていたペースは思っていた以上に早いものが要求されていることにだんだん気付かされていった。その上、覚えるべき慣れるべき業務も多過ぎて、どれも中途半端なままにしか身に付かないまま時がどんどん過ぎていった。

勤務した約2年間、2つの店舗で勤務したが、1つ目はのんびり構えてたのも悪かったが、なかなか各業務がちゃんとできるようにならず、それがついに癪にさわったのか、あるスタッフの一人が過剰に注意してくるようになった。(包装がいつまでたっても、いくら教えてもちっとも上手くならないじゃないか!努力が足りない!とかそういうのが発端になった)

少し強めの注意はいつしか徐々に脅しのレベルまで達していた。暴力こそ振るわれなかったが、その直前レベルに感じるまでになり、ただただ怯えるしかなかった。(「おれはこの業界で長いし、実際に手を出されたこともある。出さないだけありがたく思え」みたいなことも言われた)じぶんもさすがに我慢できずに口答えするようになったものの、相手の口がたちすぎるのもあって全くかなうはずもなかった。(「営業」成績も店舗でダントツ)その人との関係も当然のように悪化。店長は相談には応じてくれたものの、その人寄りの考え方だったらしく、へんに諭されただけで結局は何も変わらなかった。

その状況を上の立場の人が見かねてか、相談の機会を設けてくれた。そこで状況と気持ちを訴えたら、さすがに相手の方が非があると思ってくれたのかこんな事態になって申し訳ない、と謝罪をしてくれた。(その当人からは謝罪というものはなかったように思う。おれ”も”悪かったよ、とかそんなニュアンスのことはあとで言われた気はする。そうだけど、そうじゃない・・)

そして最終的には「会社をやめるか、それとも他店舗に行くか」の選択を迫られることになったので、悩んだあげく他店舗への異動を決めた。(今にして思えば、その当人は「役に立たない」やつがいなくなったし、せいせいしただけかもしれない・・)

そして、2店舗目。同じ会社の店舗ではあるが、また雰囲気が違った職場だった。特に苦手だった修理業務はほぼ担当が決まっていて、じぶんは基本接客側の対応になり、最初は良かったと思った。販売はあまりなく、苦手な包装も同様だった。かわりに修理の受付がほとんどだったので、数万から十数万ぐらいの修理の依頼が多く頂き、「成績」という意味では前の店舗よりは上がったし、最初は褒められて嬉しかった。

でも、依頼を受ければ受けるほどやることも急激に増えていった。当初の予定(納期や料金)が変わるごとにお客様への連絡、修理先メーカーへの状況確認や問い合わせ、お客様へのクレーム対応、大型商品の場合は梱包(店が狭くて作業場の確保も大変だし、商品に合ったダンボール探しも大変)、そしてもろもろの雑務はほぼ接客側のスタッフの仕事なのでそれもこなしていかなければならない。

雑務は同じ接客スタッフで分けるにしても、じぶんが受け付けた修理品の対応は基本的にはじぶんでやらなければならないので、修理を受注すればするほど仕事も増える一方になり、最初は受注数の多さで褒められてはいたのも束の間、ここでもひとつひとつの業務が中途半端になってしまい(全部じゃないにしても抜けが多くなっていった)、注意されることも次第に多くなった。そして、店長からは注意よりも感情のままに怒られることが多くなり、時には人格否定めいたことも言われ(もう言葉自体はもはや覚えてないし、思い出したくもない。なんでできないんだ、俺が新人の頃はこうだった、みたいなことも言われた)さすがにヤバいと思った。いわゆる、「パワハラ」だと感じた。それを見ていたスタッフもそう思ったらしいが、店長の「それ」はいつものことだから、とばかりに半ば諦めた態度を取られただけだった。

でも、その時すぐに辞めるという決断はできなかった。まだ頑張れると思っていたからだ。だが、作業もさらに雑になり、ミスも増え、あまりにも行きたくなさ過ぎて通勤電車から降りて会社目前になってから休みの連絡したり、ついには乗っている途中で降りて引き返したりもするようになった。

さすがにそれはまずいと思い、今回も上の立場の人(前の店舗とは別の人)に相談に乗ってもらった。この時はまだ頑張るようなことを言ったものの、それは間違いだった。上の立場の人が何か言ってくれたのか、しばらく店長は落ち着いていたとようには見えた。でも性格が急に変わるはずもなく、顔色見ながらおびえながら働き続けた。数は減ったものの、怒られることも相変わらずあったのも災いして、ついには店長がいるときだけでなく、いない時も「あんなこと言われるかも」といつもおびえるようになり、出勤はしたものの手が震えるほどになった時はさすがにヤバいと思って、そのまま仕事を早退し、メンタルクリニックへ行って診てもらい、再び上の立場の人に相談することになった。

結論だけ言えば、結局は辞めた方がいいという判断をせざるを得なくなり、退職。異動しても結局同じことの繰り返しになりそうだとも思ったし(そもそもの根底にある会社自体の体質が変わらない限り)、メンタル的にもかなりやられてたので今回ばかりは決断は早かった。逃げなきゃいけないと思った。

最初憧れにも似た気持ちがあった会社の社長も、掲げていた会社の理念も、傍から見たらとてもいいものに見えていたけど、社員にその考えや理念が浸透しているとは到底思えず、結局はすべて幻なんだと2年ほど働いてみて、やっとで気付いた。

どんな会社であっても、業務内容も合う合わないはあるが、結局は人間関係の合う合わないがいちばん大事で、かつ切実。そして、実際に会社に入って、仕事をしながら付き合ってみないと合う合わないは分からない。世間の、会社で働いている人たちは、どうやって人間関係を乗り切っているんだろうと本当に思う。うまく人間関係が築けていける人ももちろんいるだろう。しごと自体が楽しいから乗り切れている人もいるだろう。でも、そうでないときは・・?それでもなんとかして乗り切っているのだろうけど、乗り切れなかったらその都度、異動なり(小さな会社はそもそも出来ないし、じぶんは出来ても失敗した)退職なりをするか、あるいはただただ我慢するしかない(一番やっちゃいけない選択だと思う)のだろうか。就職することさえも大変だけど、我慢してメンタルやられてるのもさらに大変なことなのに、そんな方法しかないのだろうか。それとも、大変だと思っているのはじぶんだけ?

いまだに何も答えが見つからず、就職活動もできないまま、今に至る。


こんな長文にお付き合いくださり、読んでくださり、ありがとうございました。


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