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自分に起きてる苦しみは自分だけじゃないし、この世は割と四苦八苦に満ちている。

「ジブリで起きていることは、世の中で起きている。世の中で起きていることは、ジブリでも起きている。」

たしかジブリの宮崎駿監督が、プロデューサー鈴木敏夫に言った言葉だったと思う。テレビで聞いた言葉だと思うが、なんだか妙に記憶に残っている。

意味としては、

「外の世界で起きていることは、自分には関係ないと思って切り捨てないほうがいい。外の世界で起きていることは、自分の周りの近い世界でも起きていると思ったほうがいい。その逆もまた然り。」

という感じのことだったと思う。

ミクロとマクロの相似形でできた世界

世界のあらゆる存在は、ミクロとマクロの世界で、相似形で存在しているように感じることがある。(みんなあるのかな?あるよね?たまに)

ミクロの世界を顕微鏡で覗き込むと、そこには果てしなく広がる微生物の世界がある。それは1つの小宇宙のようで、ミクロな世界に入り込んだはずなのに宇宙のように広い世界に入り込んでしまう。

「あぁもう自分だけが、なんでこんな目に…」と考えてしまうこともあるけど、実はそれは「自分だけ」なんかじゃなくて、世の中を見ればそういう人は他にもそこそこいて、それぞれに思い悩んでいるんじゃないかと思う。

みんな困ってないように見える世界

40代になると、親の介護と子育ての板挟みになっている人も多いと思う。

40代って、そういう状況になるなんて、あんまり想定してなかったけど、そりゃそうなるよね。でも、そういうことはあまり話題には出さないんで、まるでみんなは「困っていないかのよう」に見える。

みんなインスタでキラキラしているのかと思ってしまう。テレビやYouTubeの世界を見て、みんな楽しく生きているのかと思ってしまう。でも、それ自体がトラップなんじゃないかな。みんなほどよく満足して暮らしているという幻想。

CMやテレビで「もっと楽しくて、幸せで、ラクな暮らしがありますよ」と見せていくことで、そうじゃない自分にフラストレーションが溜まる。その不安や不満を解消するために「解決してくれる何か」を手に入れたいと思う。でもそれは「思う」というより「思わされている」んじゃないかな、と。

四苦八苦で出来た世界

ブッダも言っている。この世は「四苦八苦」に満ちた世界だよ、と。

四苦は「生老病死」。生まれ、年老い、病に苦しみ、死を恐れる。

八苦は「怨憎会苦、五蘊盛苦、求不得苦、愛別離苦」。詳細は長くなるからカットするけど、

何かを手に入れたいけど手に入らないとか、

美男美女に憧れるけどそうなれないとか、

思うようにしたいけど思うようにならないとか、

いろいろ苦しみがあるよね、というのが八苦。

It's a ライフ八苦。

「え〜なんだよぉ、生きるって苦しみばっかりなの?イヤだよ〜。はやくラクにしておくれよ。」

そう思っていると、「ラクに稼げるよ。すぐに思い通りだよ。」という甘い言葉をまことしやかに語る言葉に操られてしまう。僕も若い頃は、ずいぶんとそういう射幸心を煽る言葉に振り回されてきた。

苦しみをベースに置いた世界

ところが、「そもそも生きるって、割と苦しいのがベースにあるんだよなぁ。てか、みんなそうだよなぁ。」と思うと、むしろ逆に気がラクになった経験がある。

焼き肉を食べる前は、もんのすごくワクワクして「おいしいお肉を食べるぞぉ〜」と思っているけど、調子に乗って食べすぎると苦しくなるし、ほどよく食べても、また腹が減ってくるという苦しみがやってくる。

日々いろんなことをやってるけど、結局は苦しみというベースラインに戻っていく。でも、それは、そういうもんで、苦しみがベースにあることに気づいたとき、なんだか気がラクになったんすよね。

これは説明がなんとも難しいし、ある程度の人生経験が必要なのかもしれない。まだ40代なので若輩者ではあるものの、それなりに生きてきて「生きる上での苦しみ」を排除しようと思いすぎることにこそ、苦しみの根源があるんじゃないかという感覚が湧いてきたりした。

「ま、この世のベースは四苦八苦で出来てるんだもんな。」と。

あ、とはいえ「あきらめ」とは違う。どーでもいいや、ではない。

どちらかというと「受け入れ」が近いかな。

ま、いま苦しくて悩んでる人は、それが自分だけだと思いすぎないほうがいいかもしれないし、苦しみを必要以上に遠ざけようとしすぎないほうがいいのかもなと思ったりする。

「ジブリで起きていることは、世の中で起きている。世の中で起きていることは、ジブリでも起きている。」

言葉を置き換えてみると、

「自分の周りで起きていることは、世の中で起きている。世の中で起きていることは、自分の周りでも起きている。」

といった感じかな。

世の中は、相似形で動いてる気がするんすよね、なんとなく。


『書く習慣』#1ヶ月書くチャレンジは、24記事目となりました。今回はジブリの言葉から、自分でも思わぬ方向に話が進みました。ホントは違うこと書こうと思ってたんだけどな。ま、でも、いつか書きたいと思ってた感覚のことが書けてよかった。スッキリ。


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