【大人の発達障害】夫がASDと診断されるまで
海月です。
この記事では夫が自閉症スペクトラムの診断をされるまでの詳しい経緯について公開させていただきたいと思います。
実はこの記事を公開するにあたり大きな不安がありました。
それは、内容があまりにも具体的になるので万が一私達の周囲の人の目に触れた場合に夫のことだと気付かれてしまうのではないかということです。
夫の障害については限られた人しか知りません。
これからのこともまだわかりません。
有り得ない事かもしれませんが、とにかく心配で記事を書くのに時間がかかりました。
人は人の話を100%そのままは受け止めません。
自分の主観を通して聞いてしまうため、自分の都合好く脚色してしまったり、重要な事実が抜け落ちてしまい上手く伝わらないこともあります。
伝わるかどうかは常に受け手側に委ねられているため、人に話すのは怖いです。
特に口頭では伝えたいことをすべて伝えきれるかもわからないので、伝えたいことがある時に私はいつも文章を書きます。
ここではありのままを詳しく書く必要があると思ったのは、本当に求めている人に参考にしていただきたいと思うからです。
困り事が次から次へと出てくる私は当時から暇さえあれば何でも調べていました。
とにかく調べて、『自分と同じ』を探しました。
『状況が同じでなれば正解が違う事もある』と思っていたからです。
たくさんの本も読みました。
どの本がいいかを調べて、本を読んで、疑問があればまた調べて‥とにかくずっと情報を求めました。
本や検索だけではなくSNSでもとにかく『自閉症』『ASD』と検索して探し続けました。
専門家の方のお話、当事者のお話、当事者のご家族のお話、情報はあるだけ良かったです。
なかでも当事者のご家族のお話には救われることもたくさんありました。
でも世の中に溢れている情報の中には肝心なところが抜け落ちている情報が多いように思いました。
しかもどの部分が重要なのか、知りたいのかは人それぞれです。
抜け落ちてしまわないようにすべてを書けばすべての人に等しく伝わるのではないかと考えました。
私が情報収集している立場だと考えると、自分と同じ境遇の人がいて、自分に必要な情報がそこにあったとしたら、すごく心強く感じます。
参考にしたり、共感したり、安心したり、勇気が出たり、失敗は反面教師にします。
前置きが長くなりましたがこの記事が誰かにとって有益な情報になれば本当に嬉しいです。
長くなると思います。
その分情報量には自信があります。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
夫は24歳で自閉症スペクトラム症と診断されました。
病院に行ったきっかけは、一言では言い表せません。
夫はその頃、上司のパワハラが原因で5年程務めていた部署から異動をしましたがそこに馴染めず、その後数回部署異動をしましたがそこでも馴染めずにいました。
精神的なこともあってか、夫はその頃何度も体調を崩していました。
胃腸炎で入院することもありましたし、メニエール病の発作も頻繁に出ていました。
毎日のように頭痛や胃痛、原因不明の微熱が出ることも頻繁にありました。
自己紹介記事では伏せておりましたが、夫は25歳の時に肝臓の疾患で2度手術をしています。
治療やリハビリのため、1年以上休職し復帰してすぐに異動したためストレスも大きかったと思います。
その頃、まだ完治はしておらず経過観察期間があったため復帰してからも通院を続けていました。
夫の様々な不調を主治医にも相談し、調べましたが結局異常はなく、頭痛や目眩の原因ははっきりとはわかりませんでした。
その頃は特に夫の心と体はボロボロに見えました。
見ていられないと思った私は主治医の助言もあり心療内科へ夫を連れていきました。
今思うと、当時なかなか出勤できなかった夫の『正当な理由』や『正しい病名』を確認したかったのかもしれません。
実際、心療内科へ行く前から私達には心当たりがありました。
夫はたまにドラマや漫画を読んで『自分は大人の発達障害だと思う』と言っていたのです。
私も自閉症の人の特性などを見て、『確かに夫に当てはまるな』『もしかして』とは感じていました。
通院し始めても自分達から発達障害の事は触れませんでした。
先生だからそんな必要もないのかもしれませんが、先入観なく夫を判断してほしいと思ったからでした。
また、ネットで調べた情報を先生に言うと嫌がる先生も多いと聞くので言えませんでした。
結局先生からは発達障害については何も触れられず、初診の日に診断されたのは【適応障害】でした。
その先生はとにかく冷たく、心無しか夫を蔑んだような目で見ている気がして好きにはなれませんでした。
上手く話せない夫に代わり話す私を見て余計に気に食わないのかとても緊迫した雰囲気で聞きたいことを聞ける状況ではありませんでした。
私は夫が体調不良に苦しんでいること、会社に行けていないこと、ストレスの思い当たる原因をお話しましたが、先生は無言でメモを取り終始不満そうでした。
その時、『何が目的で来たのか』『どうしたいのか』そんな事を聞かれました。
私は『会社に行けないほどに体調を崩すということは精神的に辛くなっているのかもしれない。病名があるなら教えて欲しい。また、病名があるなら傷病手当を受け取りたいので診断書を書いて欲しい。』と伝えました。
先生は病名を淡々と伝え、渋々1ヶ月の療養を要する診断書を書いてくださり、薬を出し、2週間に1度通院するように私達に告げました。
その後も先生と上手くコミニケーションが取れず、付き添っても『何しに来たの?』と言わんばかりの態度で、夫一人で行かせるとほとんど何も話さずに帰ってくるのです。
夫に良くなって欲しい私は嫌がる夫を半ば強引に病院に連れて行っていました。
夫はすでにいい大人でしたが、元々病院は苦手でした。
夫は正当な権利でも人の手を煩わせることや自分の意見を言う事を過剰に嫌い病院だけでなくお店でもよく遠慮しています。
そんな性格なので、『最近どうですか』『何のために来たんですか』と言われても『別に』としか返せないようです。
それが逆に相手を苛つかせたり困らせることもわかっていたとしても、コミニケーションを取ることは難しかったそうです。
今思うと付き添えばなんとか行ってはくれましたが、夫はいつも診察にストレスを感じていました。
通院の前後は必ずお腹を下していました。
それなのになぜ病院を変えなかったのか、今でもよわかりません。
そもそもこちら側に病院を選ぶ権利があることもその頃は当たり前なのに抜け落ちていました。
夫には本当に申し訳ないことをしました。
結局2年近くその病院に通院し、夫は急に通院をやめてしまいました。
その間半年間は薬を飲まなくてもなぜか悪化することもなく過ごしていました。
その半年間は、珍しく決まった会社に通えていました。
退職した後の夫はそれまで何度も転職を繰り返していました。
初日で行けなくなることも多く、たくさんの会社に迷惑をかけました。
それが嘘のように半年も通えた会社があったのです。
私達は『良くなったのかも』と安心してしまっていました。
しかし、半年後に再び会社に行けなくなりました。
理由はいくつもありました。
・いつも遅刻ギリギリになるため人目が気になり朝行くのが辛くなった
・サボっているところを見られてしまい注意され、居づらくなった
・期待されることや任される仕事が増えてきて不安
・懐いていた人が会社を辞めてしまった
このすべてが夫にとってはとても大きな理由でした。
会社を辞めたい理由はいつも様々でしたが、共通していたのはこれらでした。
・注意された
・期待された
・居づらい
・良くしてくれる人が辞めた
・質問しなければいけない環境
・やる気を求められた
夫の言い分を聞いているとその度にそれまで感じていなかった違和感を覚えました。
直接的に、辞めたい理由にというよりも夫の話し方や捉え方、考え方にでした。
理解できないというか、すべてが一方的というか、上手く言えませんが違和感があり、客観性が抜け落ちているように感じました。
その頃には私生活も含めて発達障害に対する疑惑も膨らんでいました。
その頃に読んでいて参考になった本を紹介します。
調べ始めた初期の頃に読んでいたものです。
どちらの本も読めば読むほど『これは夫のことではないか?』という思いに駆られました。
どんどん興味が湧いて、一気に2冊とも読みました。
夫を連想する言葉が多い中、特に共感したのは
・言葉を言葉のまま受け取る
・対人関係を築くことが苦手
・感覚が敏感(音、匂い、肌感覚など)
・相手の気持ちに気付く(察する)ことが苦手
・相手の気持ちを考える(想像する)ことが苦手
・空気が読めない
・一定のパターンの行動を繰り返す
・特定のルーティンがあり、それにこだわる
・限られたことに強い興味を示し、執着する
・こだわりが強い、譲らない
・無意味に触れられるのが嫌い
これらはまさに夫を表す言葉達でした。
不思議でした。
夫と似た特徴を持つ人はたくさんいるんだ、と。
私達は答えを知りたくなりました。
それからすぐに別の病院に行きました。
そして初診から発達障害について訪ねました。先生はとても柔らかい方で、地元でも有名な優しい先生でした。
それまでのことをお話して、先生からは発達障害の検査を勧められました。
ただ、その病院には心理士さんがいないため発達の検査ができないということで結局検査にだけは以前の病院に行くことになりました。
途中で通院を勝手にやめていたのでかなり嫌な態度を取られながらもなんとか検査を重ねて告げられた結果は
自閉症スペクトラム
でした。
心理士さん曰く、初めて会った時からそうだろうと思っていたそうです。
発達障害の検査では、家族を含めて何度も何度も日を変えてヒヤリングを重ね、夫自身もいくつか検査を受けて判断されます。
私もたくさんのアンケート?のようなものに答えました。
検査を経て、改めて夫についてわかったことは
・文書情報の処理が優れている
・作業処理能力が優れている
・特定領域の記憶力が優れている
・関心分野には高い集中力を発揮する
・社会性の欠如
・想像力の欠如
・コミニケーション能力の欠如
・注意力の欠如
・言語情報に弱い
・感覚過敏が強い
・ストレスを感じやすい
・話の内容や暗黙の了解が理解できない
・落ち着きがない
・話を聞くのが苦手
でした。
IQは標準的で、それぞれのバランスはかなりジグザグでした。
そのジグザグが夫の生き辛さだと言われました。
向いている仕事、向いている家事、コミニケーションのコツなどとにかく情報量が多く助かりました。夫のことをより知れたことはその後の生活の質の向上にかなり大きかったです。
例えば、して欲しい事があるとき以前は
「洗濯物を畳んだらこれはここ、これはあそこにしまってね」
なんてお願いをしていました。
でも知ったのです。
夫は視覚情報に強い事を。
今はタンスにラベリングをしています。
タンスだけでなく、家の中でラベリングしてある箇所は多いです。
そういえば同期として仕事をしていた頃、夫の仕事にはきちんとしたマニュアルがありました。
そのマニュアルには写真も付いていて、誰が見てもわかるような工夫がされていました。
そのおかげか夫にはとても快適な職場だったといいます。
家も同じようにすればいいと思いました。
全ての家事を夫に教える時、まずは何度かやってみせました。
簡単な下ごしらえでも必ずレシピを見せました。
口頭での説明も、毎回面倒がらずに丁寧に教えることも気を付けています。
覚える工程を乗り越えて慣れれば手は早いので助かっています。
誰だって『自分はやればできる』と自信を持てないと家事も苦痛だと思います。
頼まれたことができずに毎回怒られていたらやりたくなくなるのも仕方ないかもしれません。
自分の苦手なことや駄目なところを突き付けられるのは辛いことです。
最初は面倒で苦しいけど、そこをぐっと我慢して一手間加えることで夫の自信が付くのであれば儲けものだと思いました。
とにかく何でも形に残しました。
買い物を頼む時も必ずチェックリストを送ります。
かごに入れると☑できるので買い忘れもありません。
病院の予約や子供の行事など予定が入った時は必ず共有しているカレンダーアプリに入れてアラームをセットしています。
家事もカレンダーアプリに入れて一つ一つ遂行してもらう、そのことで忘れない自信とこなせている喜びを味わえるようになったように思います。
このカレンダーアプリは忘れっぽい夫のサポートにはとても役立っていると思います。
実際、アプリを駆使しても未だに毎日予定を把握しきれていない様子ではありますが、そんな時も口頭で説明するよりも「アプリ見てみて」と言えば解決です。
アプリに予定があっても詳細を忘れていることもあるので、メール画面のスクリーンショットや行事のプリントの写真を貼り付けておくと安心です。
1日の最後にやり残したことを確認することで毎日確実に予定をこなしていけます。
子供の頃から友達との約束でドタキャンが多かったという夫。
予定を把握しきれていなかったり、忘れていて思い出した頃には気分じゃなくなっていたと言います。
アラームを付けることで常に意識をしていられるので、友達との予定にも計画的に参加できるようになりました。
なにか大切な事を伝えたい時、覚えていてほしい事がある時、必ずラインで送ります。
言葉で伝えただけのことは忘れてしまうし、正確ではないし残らないので後から確認ができないからです。
徹底的に変えていきました。
今は不思議と以前よりも無意味な喧嘩はなくなったと思います。
もちろんお互いにお互いのことをより知っていくうえで上手く争いを避けられているだけかもしれませんが、それだけではなくて無意味なイライラが減りました。
夫の事をきちんと数値として知ることができたこと、本当に生活に役立ちました。
夫は夫の障害とどう向き合っているのかは私には分かりません。
でも、知る前よりは知ったあとの方が確実に幸せそうにしています。
自分について正しく理解出来たからなのか、
もしくは障害年金を受給できるようになったことで定期的な収入が得られる安心感を得たからなのかはわかりません。
その両方だとも思います。
『なぜかわからないけど会社に行けない』
『なぜか体調がずっと悪い』
『なぜか人と違う』
『なぜか人の言うことが理解できない』
理由もわからずこんな思いを抱えながら暮らしていくのは辛いと思います。
その事を気にしない事は夫にはできませんでした。
発達障害がある人はそうでない人に比べてうつ病になりやすいそうです。
夫も今は回復していますが、診断当時はうつ病でした。
発達障害だと診断されることが怖くなかったわけではありません。
もう、診断されてからは診断される前の『普通の人』には戻れないからです。
でもその『普通の人』にこだわって自分を苦しめてしまうならこだわらなくてもいいと思いました。
発達障害はただ少数派の人であるわけで、個性の1つだと思います。
少数だから目立つだけ
少数だから生き辛いだけ
逆に、多数だから『普通』と言えるだけ
多数だから『普通』が『正しい』訳では無い
と思うのです。
もちろん、病名として診断されることで障害年金を受け取っているので実際は発達障害は支援を受ける対象に当たる特性であるということは理解しています。
ただの個性ではありません。
私達はその支援をありがたいと思っています。
実際に夫は他の人と同じように働いたり、他の人と同じように人とコミニケーションを取れません。
そのため支援を受ける権利があると判断されました。
それは診断を受けないと得られない支援でした。
その道を選んで、夫は『普通の人』ではなく成りました。
結果として私達は診断を受けて良かったと思っています。
診断を受けるべきか、そのままでいるべきか、悩んでいる人は世の中にたくさんいらっしゃると思います。
正解はないと思います。
悩む気持ちも同じくらいにわかります。
私達の生活の変化、心境の変化を見ていただくことで少しでもお役に立てれば幸いです。
お見苦しい文章を最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。
良かったら別の記事も見て下さい。
ご質問等ありましたらお役に立てる限りお答えします。
何でも聞いて下さい。
記事を書く仕事をもっとしたい、もっともっと成長していきたいと思っています。 いただいたサポートは必ず活動費に充てさせていただきます。 これからも有益な記事、面白い記事を書けるように更新頑張りますので 良ければサポートをお願いいたします!