身体の感覚ということをじっくり味わうようになってから、
自分の頭で考えたことより、身体の感覚から湧き上がってきたものの方が
いろんなことが発展していくような感覚になっている。
2年くらい前にヨガに少しだけ行っていたとき
私が、自分の力だけでアーサナをしようとしていて
ヨガの先生にかけられた言葉がある
「もっと大地に委ねて。大地は自分たちよりずっと賢いよ」
これって、身体の感覚に対しても言えることだなって、最近は思うようになった。
何というか、思考で気持ちよく感じるものより
身体で気持ちよく感じてしまうことの方が、何倍も自分のシンカにつながっていくような気がしている。
「あ〜、こんな風に感じちゃった、降参」
最近は本当にこんな感じ。
気持ちよさも、しんどさも、今日の身体はこんな感じ、だから、こんな風に動こう、みたいな。
もちろん、いろんな状況があるから、身体と思考で折り合いをつけながら動くことももちろんあるのだけど。。
今日は、どうしても身体が動きたくなくて、最低限の用事だけ済ませて帰ってきたら、、、
生理がきた。
布ナプキンを当てると、身体がほっこりする感覚があったり、気持ちよさにうっとりしたりしながら、ゴロゴロしている。で、気がついたら寝ていたのだけど(笑)
あ〜もう、本当に気持ち良い・・・っていう感覚に浸る。
心地よさを味わっているだけで、身体って変わってきて、いろんなところが緩んだり、ホッとしたりする感覚を見つけていく。淡々と見つけているようで、でも、身体と対話しているんだろうなって思う。
身体が感じている事実。現実としてある身体に起こっている変化。
事実、現実、今この瞬間に起こっている、まぎれもないこと。
誤魔化せないよなって思う。感じてしまった、降参。
心地悪さも同じ。心地悪いと感じている事実。
現時点で感じている心地悪さ、じっくり観察して、心地よい感覚にするのに動いていく。そこに思考を使っていく。
身体の感覚に降参することが増えたら・・・
ぶれなくなってきたような気がするし、自分はこうです!っていう芯が入った気がする。
毎日いろんな感情を味わう。いろんな事象を見る。
それも、誰かに振りかざすのではなくて、ノートに書いたりしながら、自分と対話する。
嫌な気持ちだって、感じてしまった事実がある。そう感じちゃったんだもん、仕方ないって。降参。
そこをきちんと認識して、肯定して、初めて、発展っていうことへ繋がっていくって、今は何となく思う。
けど、やっぱり、自分でどうこうするより、ふっとやってくるものに手を伸ばしてみる方が、結果、開けたりもするんだよな。
降参、委ねる。
自分が放っているもので、世の中って創られていく気がする。
だからこそ、自分が感じたことに「降参」
岡山も梅雨入りしました。
今年は、雨の中の自然も味わってみたいな・・・とも思う。
カッパ着て歩いてみようかな。
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