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三島由紀夫のインタビュー(Yukio Mishima on WWⅡ and Death)

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終戦の時私は、終戦の詔勅を親戚の家で聞きました。
と申しますのは、東京都内から離れたところの親戚の家に私どもの家族が疎開をしていまして、そこにたまたま私が勤労動員で行っていた海軍の工場から帰っていたのですが、なぜ帰っていたかというと、ちょうどチフスらしい熱を出しまして、そして帰ってしばらく静養していた時期にあたっております。
そして詔勅を聞くとすぐ、また自分の職場へ帰って後始末をしたのですが、終戦の詔勅自体については、私は不思議な感動を通り越したような空白感しかありませんでした。
それは必ずしも、意味を記されたものではありませんでしたが、今までの自分の生きてきた世界が、このままどこへ向かって変わっていくのか、それが不思議でたまらなかった。
そして戦争が済んだら、あるいは戦争に負けたらこの世界は崩壊するはずであるのに、まだ周りの木々は緑が濃い夏の光を浴びて、殊にそれは普通の家庭の中で見たのでありますから周りに家族の顔もあり、周りに普通のちゃぶ台もあり日常生活がある。
それが実に不思議でならなかったのであります。
それから間も無く神奈川県高座の海軍工廠、つまり勤労動員先へ帰りまして、友達といろいろ話し合った。
当時はもう残っていた学生もわずかでありましたが、そこで目にした二つのことが非常に印象が深かった。
一つは厚木に航空隊その他からどんどんどんどん物資やなんかを運んで、兵隊たちがトラックを徴発して行ってしまう。
我々の使うべきトラックが何もない。
そういう状態の中で、しかしアカデミズムの連中は非常に意気軒昂としておりました。
私どもの周りにおりました、法律学関係のアカデミズムの若い学者たちは、「これから自分たちの時代が来るんだ。これから新しい日本を我々が建設するのだ」と。
今こそ軍閥の悪夢が終わって新しい「知的な再建」の時代が始まるのだと。
いわば、誇張して言えば欣喜雀躍という様子がありました。
私は今も昔も疑り深い人間でありますから、そういう様子を見ていて、「へーそんなもんかな」と思っていた。
一体知的に再建するとはなんのことだ。
日本の精神的な再建とはなんのことだ。
私がその時感じました疑問は、二十年ずっと尾を引いておりまして、やっぱり彼らは何もしなかったんじゃないか、というようなことを感じるようになりました。
私の今までの半生の中で、二十歳までの二十年は、軍部が色々なことをして、軍部のおそらく一部の極端な勢力でありましょうが、それがあそこまで破滅的な敗北を持ってきてしまった。
そのあと二十年は、一見、太平無事な時代が続いているようでありますが、結局これは日本の工業化のおかげでありまして、精神的にはやはりなんら「知的再建」というものに値するものはなかったんではないか。
ちょうど四十一歳の私は、ちょうど二十歳の時に迎えた終戦を自分の人生の目処として、そこから自分の人生がどういう展開をしたかということが、考える一つの目処になっております。
これからも何度も何度もあの八月十五日の夏の木々を照らしていた激しい日光、その時点を境に一つも変わらなかった日光は、私の心の中でずっと続いて行くだろうと思います。

4:30 ~

リルケが書いておりますが、現代人というものはもうドラマティックな死ができなくなってしまった。病院の一室で、一つの細胞の中の蜂が死ぬように、死んでいくと。
というようなことをどこかで書いていたように記憶しますが、今現代の死は病気にしろあるいは交通事故にしろ、何らのドラマがない。
英雄的な死というもののない時代に我々は生きております。
それにつけて思い出しますのは、十八世紀ごろに書かれた「葉隠」という本で、「武士道とは死ぬことと見付けたり」というので有名になった本ですが、この時代もやっぱり今と似ていた。
もう戦国の夢は醒めて、武士は普段から武道の鍛錬を致しますが、なかなか生半のことでは戦場の華々しい死なんてものは無くなってしまった。
その中で、汚職もあれば斜陽族もあり、今で言えば、アイビー族みたいなものが侍の間で出てきた時代でした。
その中で、「葉隠」の著者は、「いつでも武士というものは、一か八かという選択の時には死ぬ方を先に選ばなければいけない」ということを口を酸っぱくして説きましたけれども、著者自身は長生きして畳の上で死ぬのであります。
そういうふうに武士であっても結局死ぬチャンスが掴めないで、死ということを心の中に描きながら生きていった。
しかし今の我々は死を描きながら生きているのかどうか、それさえ疑問であります。
私の死との一番親しかった時代は戦争中で、戦争が済んだ時二十歳だったので、十代の私どもは、いつ死ぬか、いつどうやって死ぬか、ということだけしか頭の中にない。
そういう中で、二十代までいったのでありますが、それを考えますと、今の青年には、それはスリルを求めることもありましょう。
あるいは、いつ死ぬかという恐怖もないではないでしょうが、死が生の前提になっているという緊張した状態にはない。
そういうことで、仕事をやっています時に、なんか生の倦怠と言いますか、ただ人間が自分のために生きようということだけには、卑しいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。
それで人間の生命というものは不思議なもので、自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くないんです。
というのは人間はなんか理想なり、何かのためということを考えてるんで、生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。
すると死ぬのも何かのためということが必ず出てくる。
それが昔言われた「大義」というものです。
そして、大義のために死ぬということが人間の最も華々しいあるいは、英雄的なあるいは立派な死に方だというふうに考えられていた。
しかし今は「大義」がない。
これは民主主義の政治形態というのは大義なんてものはいらない政治形態ですから当然なのですが、それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きてることすら無意味になるというような心理状態がないわけではない。
殊に私、自分に帰って考えてみますと、死をいつかくるんだと、それも決して遠くない将来に来るんだというふうに考えていた時の心理状態は今に比べて幸福だったのです。
それは実に不思議なことですが、記憶の中で美しく見えるだけでなく、人間はそういう時に妙に幸福になる。
そして、今我々が求めている幸福というものは生きる幸福であり、そして生きるということはあるいは家庭の幸福であり、あるいはレジャーの幸福であり、楽しみでありましょうが、しかしあんな自分が死ぬと決まっている人間の幸福というものは今はちょっとないんじゃないか。
そういうことを考えて、死というものはじゃあお前恐れないのかと、それは私は病気になれば死を恐れます。
それから癌になるのも一番いやで、考えるたびに恐ろしい。
それだけに、何かもっと名誉のある、もっと何かのためになる死に方をしたいと思いながらも、結局「葉隠」の著者のように生まれてきた時代が悪くて、一生そういうことを思い暮らしながら、畳の上で死ぬことになるだろうと思います。

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