倉橋うみ

俳優部です。愛知県出身。 花言葉でエッセイを書いています。

倉橋うみ

俳優部です。愛知県出身。 花言葉でエッセイを書いています。

最近の記事

君の笑顔

例え人にどれほど否定されようとも 世界がどれほど否定しようとも 君の味方でありたいと強く想う。 手を離さなければ 誰かに寄りかかりたくなった時に たった一人でも味方がいれば、。 そんな時の居場所でありたい、と想う。 今日も君に笑顔でいてほしい。 君は今日どんな日を過ごしたんだろう、。 誰かの幸せを願うことを こんなにも尊い気持ちになるということを 初めて知った。 涙にも種類があるんだ、。 今日も願う。 君がたくさんの笑顔で溢れていますように、。 どうか、笑ってい

    • 君に贈る言葉

      私はずっと誰も傷つけずに生きていきたい、 救いの手を差しのべる側でありたい、と ずっとずっと思ってきた。 その日は何だか体調が優れなくて。 身体に異変を感じながらも 毎日のルーティンをこなして いつものように気のせいだ、と言い聞かせた日だった。 足をずるずる引きずりながら いつもより何だか汗ばむ背中にも 気付かないふりをした。 いつものように笑えていたし、 皆も笑っていたし、 '大丈夫'なはずだった。 何の弾みだったかはわからない。 私はその日大事な人を傷つけてしまっ

      • クリスマスの出来事。

        今日は想ったことをただただ綴っていく。 2023年は本当に変化の1年で 環境も変わったことや 体は動いても心がなかなか整理がつかない状況だった。 何かあったんじゃないか、と ご心配をおかけしましたが そんなことはなくとても元気です。 ありがとう。 ただ、書く手が止まってしまいました。 元からまとまりなんてものなかったのに、 そんなことまで気にしてまた取り繕う自分も嫌だった。 もともとこの場所はそういう場所じゃなかったはずなのにな、と感じていました。 今日はただ、何も

        • 悲しんでいるあなたを愛する

          2023年8月31日 私が執筆を始めてからもう数年になる。 というのも、学生時代から趣味で書いていて エッセイとはまた違うものにはなるが '書く'ということを職業にしていたこともある。 '発信する'という意味では 正直もう書くことはないと思っていた。 でも、またこの場所で'書く'と決めた晩に 過去のエッセイを読み返して気付いたことがあった。 私は'愛'や'悲しみ'についてをテーマにして、毎日文章を綴ることが多いと気付いたのだ。 昔ある人に 「君は愛に飢えているね

          無言の愛情に救われるとき

          2023年8月30日 この歳になり、 献身的に接することだけが '愛'じゃないと学んだ。 残酷だけれど、 それが時に重荷になることがある。 '嬉しい'という気持ちより 違う気持ちが先行してしまう時がある。 私も昔は 'どれだけしてくれたか'を重視していた。 恥ずかしいけれど、 そういった行動で相手の愛情を量っていたんだと思う、。 今は'何をしてくれたか'より、 '何をしないでいてくれたか'が 私の支えとなるときがある。 人は誰しも触れてほしくない領域が あると思うの

          無言の愛情に救われるとき

          追憶の糸を手繰り、過去に想いを馳せる

          2023年8月29日 ・本を読む ・映画(ドラマの場合もある)を観る 私の習慣。 芸術作品に触れることで 追憶の糸を手繰り、過去に想いを馳せることがある。 私はその時間を'辛い'と 感じていたことがある。 正直忘れてしまいたいな、と思うこともある。 でも最近になって気付いたことがあった。 「あぁ、私こういう時間でしか 逢えない人もいるんだ」 普段は思い出したくもない'過去の私'や、 あの時私にとてつもない言葉をかけてきた'あの人'。 上京する前に働いていた会

          追憶の糸を手繰り、過去に想いを馳せる

          私はあなたを喜ばせたい、例えそれがエゴだと言われても

          2023年8月28日 幼い頃から人を笑顔にさせることが 好きだった。 私のことで悲しんだり怒ったりする顔を見ると とてつもなく胸が苦しかった。 それは32歳になった今でも 変わらない。 何だか改めてこういう話を書いてみると、 凄く綺麗事に聞こえるかも、と思う。 だから今日は深掘りして書いてみる。 私はあるトラウマもあって ずっと自信が無い、と言われていた。 今日はその'トラウマ'は割愛する。 小学生の頃はいつも下を向いていたし、 大好きなことに真剣に取り組む姿を

          私はあなたを喜ばせたい、例えそれがエゴだと言われても

          時間こそが心を癒してくれると信じて。悲しみは続かない

          2023年8月27日 久しぶりにnoteを開いてみた。 私はいつからか文章を綴ることを どこかで'怖い'と感じるようになっていた。 私が今こうやって言葉を紡ぐことで 今まで私を見てきた方に どこかで不安な思いをさせていることを 知った日からだった。 でも私はどこかに 決して載せることはないけれど、 ずっとずっと書き続けていました。 '怖い'と感じながら 書くことをやめなかった。 最近はいろいろな媒体で たくさんの感情が目に見えてしまって その根本にある想いを 上手

          時間こそが心を癒してくれると信じて。悲しみは続かない

          大好きなあなたへ。

          2021年1月21日。 大切な家族を亡くしました。 年末実家に帰ったとき 「最近凄く体調悪そうで」と ママが話してくれた。 「東京で頑張ってるから言えなかったけど これから家に行くからね」と言われて その時は頭が真っ白で ママが運転する車の助手席に座った。 叔母の家に着いてチャイムを鳴らした。 目は虚ろで一目見ただけで どんな状況かわかってしまって。 あぁ、どうしよう。と思いながら 何かしたくてずっと部屋を片付けてた。 「うみちゃん、大丈夫だよ」って 小さな声で言わ

          大好きなあなたへ。

          「大好き」という言葉が心を救う

          胸がザワザワすることが起きた。 正確にはもっと前からザワザワしていて 「気のせいだ、気のせい」と言い聞かせて ずっと誤魔化していて。 ずっと笑顔でその’ザワザワ’を消し去ろうともがいていた。 その’ザワザワ’は約5年くらい前の出来事を 思い出させてくるものだった。 忘れようとしていたあの日々を思い出させてくる行為だった。 私は’コレ’と戦う前に決めたことがあった。 「次こそは上手くやるぞ」 上手くやれなかったんだと知ったのは 上京してすぐのこと。 その日はやり切

          「大好き」という言葉が心を救う

          発することが'全て'ではない

          最近ある友人にまた同じことを言われた。 私は人生で何度も同じ言葉をかけられて それなのに凝りもせず同じ事を繰り返す。 誰しも経験があると思うのだけれど 悪意があるのか無いのか嫌味を言われたり マウントというものを取られたり 酷い時はいじめではないのかな、と思うことに発展することもある。 私は昔から誰かに「SOS」を出すことが 苦手だった。 どんな時でも私に明らかな悪意を持って接してくる人を突き放したりする事も苦手だった。 その'弱さ'に嫌気がさすこともある。 はるか

          発することが'全て'ではない

          面倒くさい’私’が’あなた’に綴る

          「うみって疲れる生き方してるよね」 よく私が人に言われる言葉です。 【あー、もうこんなの嫌だな、やめちゃいたい。】 今まで何度もそう思った。 だけど私は変わらなかった。 何度も何度もそう思ってきたのに 私は変わろうとしなかった。 もし、私が 「疲れる生き方をする私」を捨てたら ’私’じゃなくなると思った。 悪く言えばとても’神経質’で。 喜怒哀楽が0か100でしかなくて。 人への想いがとても強い。 私は人が言う’世渡り上手な人間’には 絶対になれない。 大好きな

          面倒くさい’私’が’あなた’に綴る

          はじめまして。「私」です

          はじめまして。倉橋うみです。 noteを始めてみました。 他SNSでは見せられない私、 ここでは何もかも曝け出してしまおうと思うのです。 タイトル通り「私」について、 今日はぽつりぽつり、と書いてみます。 と言っても私自身が「倉橋うみ」という人間がよくわかりません。 客観的に覗いても見せない部分が多すぎて 私には私という人間が全てはわからないのです。 ここで見つけられたらいいな、 という思いも込めて綴っていきます。 私はどちらかと言うと 「一匹狼」タイプです。 私

          はじめまして。「私」です