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アネクメーネ:誰も住まない場所

高校入学後すぐに、地理の授業で学んだ用語(ドイツ語:Anökumene)が、とても気に入って、帰宅してからもずっとそれをノートに書いていました。

エクメーネ(居住可能地域)の対義語で、主に氷雪気候、砂漠気候や高度限界地域などの人間が住めないところを指し示す言葉だという説明が気に入ったのだと思います。

今TVドラマの『天国と地獄』で空集合(∅)というワードを効果的に使っていますが、それと似ています。

誰かと話が合うのか、というか、話が合う誰かを見つけられるのか、自分は見つけたと思っても、そばに来たり交流してくれるのか、不安だったあの頃。

それからずいぶんと経ちましたが、今もそんなに変化していません。

知り合いも友人も家族も多いと思いますが、自分の中には、アネクメーネのような、氷雪だらけの部分、砂漠の部分があり、孤独を感じています。その寂しさは不快でもあり、不快でも無しと言えます。

何か考えたことが常に正しいとは限らないし、誰かに受け入れられるとは限らないし、それを表明することで受け取る相手が傷ついたりするのならば遠慮すべきですが、自分の考えを世間の物差しに沿って修正しろだの、矯正される筋合いはないと思うのです。

先日、オリンピック委員会の会長さんが失言をしたと辞めさせられました。もちろん、オリンピックは、性別や人種で差別してはいけないというのがありますからその職にふさわしくない、と言われるのは仕方がありません。

ですが、もし一個人が女性(あるいは男性)というものをひとくくりにして、あまり好きでなかろうが、たいそう好きだろうが、いいのだと。憲法で保障された自由のもとにあると自分は考えてました。

会議中に40分も挨拶していた会長が、{女性が多いと会議が長くてね、}ってぼやくことは、自分のことを棚に上げて変な人、とは思いました(自分のその思いも自由だと思っています)。だけど、世界中のみんなにあんなにわぁわぁ言われなくてはいけないのかな、と思いました。

ただ、性差別、人種差別と糾弾している人たちが自分は怖いです。

おい、お前、その考えを矯正しろ、と。言っているように思えます。

砂漠には水を引け、氷雪地帯は、氷を解かせと言われかねないです。

別の話になりますが、以前、{白人至上主義の人たちが、『差別主義者は、この街から出て行け!』というプラカードを持った人たちに取り囲まれている}光景をニュース映像で見たことがあります。

白人至上主義を私はとっているわけではなく、むしろかなり嫌いです。だからと言って、その主義を主張した側の人間を”逆差別”している。

そして、その”逆差別”を気づいていないのか誇らしげに高らかに自分たちの正当性を信じて主張しているのが怖ろしいと感じました。家を取り囲み、引っ越せと真顔で言っているのが怖ろしいのです。

彼らは、自分たちが正当と信じている、{差別、ダメ。絶対!}主義を強制しようとしていいと思っているようでした。


自分の中にあるものは自分にとって大切。誰かとわかちあいたい。誰か理解してくれないか。理解し合える人と仲良くしたい。心の中に迎え入れて触れ合いたい、交流したい。

その気持ちはとても大事だ。何も手に入れられなくても、自分の心、自分の考え方というのは、たとえつまらなくても一文にもならなくても、自分にあるたった一つ、最後に残された一つ。

そうなのです。だとしたら、自分と相容れない人の心の中も。同じように大切なものがあると、考えなければならないと思います。

その人の思考も大切。たとえ理解できなくても個人対個人として考える、尊重するべきだと思うのです。たとえ、その考えが少数派であろうと、違法性が高そうであってもです。違法な行為を始めて誰かの権利を侵害したら問題ですが、考えるのはあくまでも自由なのです。

そのような推察が出来ないような人間、他者を尊重できない人間には、とりあえず自分はなりたくないのです。それに気をつけるというのもけっこう大変そうですが。自分のことってなかなか客観視できないですから。

まぁ、だから誰かを傷つけないで、独りで考え事をしているというのは、寂しい気持ちもありますが、不快ではないのです。

ここまで読んでくれて感謝です。

あなたの心のそばに誰かが訪ねてくれて、交流があることを祈っています。

あなたの考えを誰かが無理にねじ曲げにこないことも祈っています。


ここにいらしてくれて、ありがとうございます。 『誰かの心に届くような言葉や記事が書けますように』 それが願いです。 まだまだ模索中です。 色々とやりたいのですが、時間もお金も足りません。 仕事に追われていますが、たまに書きにきます。 正直だけが取り柄です。頑張ります!