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車いすで毎日バスに乗ることの意味……👩‍🦽👩‍🦽👩‍🦽

 早いもので自立生活センター「ライフツール千葉」の代表、水本恵子さんが亡くなって10年が経ちました。
「あとはお願い!」といわれたけれど、私は情けない友人で、彼女のように、自分で運営費を生み出すすべもなく、事務所を閉める手続きを職員の方といっしょにするのがやっとでした。

 ライフツール千葉を立ちあげたいと相談されて、仲間集めをして、助成金の申請をしました。
 正式な団体ではない設立準備会では申請は通らない、といわれたけれど、ウニョク200万円の助成を受けることができて、研修会や講演会を開催することができて、正式に設立総会までこぎつけましたが、私が関われるのはここまででした。
 私はほかの障害者に比べると軽度で、障害年金は受給していなかったので、手伝えるのはそこまでで、ほかで働かないと生活できなかったので残念ながら、後は友人として見守るしかできませんでした。
 友の夢は「どんなに重度な障害があっても、住み慣れた家に住み続け、日中は家以外の居場所に出かけて仕事をすること」でした。
 彼女は全身麻痺で車椅子をヘルパーさんに押してもらわなければ移動することができませんでしたが、ライフツール千葉の事務所に毎日バスに乗って通い続けました。
 20数年前、千葉市のバスはまだノンステップではありませんでした。
「私が毎日乗ることで、少しでもバスがノンステップになればいいと思っているのよ」
 そういっていました。
 それは彼女にとって大事な仕事です。
 重度障碍者が街にいること、公共交通機関を利用していることを知ってもらうことが自分の仕事だといっていまっした。
 現在千葉市のバスはほとんどノンステップです。
 在宅で暮らせる福祉サービスも制度化されています。
 みんな、過去に障害者のひとたちが声をあげて活動してくれたので、在宅で生活できる法律ができたのです。
 そういうひとたちはいたことを忘れないでください。

 私にできることは書き残すことしかできないので微力ながら、書き続けようと思います。

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