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この道は父と歩いた散歩道……★★★

 左には小さな川が流れていて、右に端にはわが家の畑と、畑を借りてくれている牧場が見えるのです。

 小さな川は養老川につながっていて、50数年前に氾濫して洪水に遭いました。
 畑では、キュウリやトマトを作っていました。
 米農家でしたが、専業農家は厳しくて、周りにゴルフ場がいくつもできたので、ゴルフ場で働きながらお米は作っていました。
 父は子どもの頃貧しかったそうで、農家に婿養子に行けばご飯が食べられないことはない、と思って、母と結婚したのだといっていましたが、来てみたらわが家も貧しかった、と笑っていました。

 父との思い出hは、仕事から帰ってくるとお土産に季節の果物を買ってきてくれて、リンゴや梨や、家の柿をむいてくれたので、ちゃぶ台やこたつの上にお皿と包丁を置いて待っていたことです。

 一生懸命働いて、退職してすぐに脳梗塞になって、右片麻痺になりました。私は実家を出て妹と習志野市に住んでいたので、週末に実家に帰って父と散歩に行きました。
 その後、何度か脳梗塞を繰り返して、73歳に誕生日に亡くなりました。

 もう、18年が経ちます。

 私はあと数年でその年になります。
 父と歩いたその道を、もう3年も歩いていないと思うと、懐かしくて、小湊鐡道に乗って、あの道を歩きたいです。

 なんだかまとまりのない文章になりました、
 とうさん、かあさんと仲良くしていますか。

 かあさんは、亡くなったときにあんまいおばあさんでわからないといけないから、遺影は若い時の写真にしてくれ、といっていました。

 父は子どもたちの自慢のハンサムな父でした。

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