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ZARD 坂井泉水の楽曲「Oh my love」における芸術性の探究

詩とは、感情や情動を言語形式で表現した芸術です。今回は、坂井泉水・作「Oh my love」を鑑賞しました。

Oh my love」は、故・坂井泉水が作詞し、1994年にリリースされた楽曲で、「ゆるい坂道 自転車押しながら・・」のフレーズで始まる恋の歌です。

詩は、自然や人事を描写し、そこから惹起される感情を味わいます。描写の多くは、視覚や聴覚といった遠隔感覚が用いられます。例えば、俳聖・松尾芭蕉の俳句、「山路来てなにやらゆかしすみれ草」や「古池や蛙飛こむ水のをと」のようにです。

作品「Oh my love」がユニークなのは、視覚や聴覚といった遠隔感覚ではなく、身体内部の感覚である深部感覚による描写が多く使われていることです。

深部感覚は、温痛覚や触圧覚といった皮膚の表在感覚に対して、筋肉の感覚や関節の感覚など身体内部の状態を感受する感覚です。空間において自分の身体の占める拡がりや、重量、姿勢、動き、抵抗、などを知る感覚で、自分の存在を確かめ、世界に住み込んで行くための不可欠な感覚です。安定感や安心感を与えてくれ、通常はポジティブな感情を後押ししてくれます。

「Oh my love」には、多くの深部感覚・経験の描写が出てきます。

「ゆるい坂道」は脚の動きの感覚です。「呼び捨て」は粗雑な動きを表します。「加速度」は圧迫や抵抗の感覚です。「はみ出した」は運動により枠を突き破る感覚です。「待ちきれない」は動きへの抵抗の感覚です。「スローモーション」も抵抗感を表します。「走り出した」は瞬発的な運動の感覚です。「存在」は静的な筋肉の感覚です。いずれも生き生きとした生命の躍動を覚えさせます。

さて、深部感覚よりもさらに深い、人の感情や情動の最も基底にあるのが内臓感覚です。例えば、消化管の内臓感覚には、空腹感、口渇感、嘔気、腹痛などがあります。心・肺の内臓感覚としては、動機、息切れ、くたびれた、だるい、きつい、しんどい、などがあります。内臓感覚の多くは、内臓の不調による生命の危機を知らせるシグナルなので、ネガティブな意味合いをもっています。文化のなかで、それは状況と結びつけられ、ラベリングされます。

「Oh my love」では、「胸騒ぎ」という、心臓の鼓動がにわかに激しくなる内臓感覚が出てきます。私たちの文化の中でそれは、悪い予感がして心が穏やかでないことを意味します。

芸術の重要な役割は、非日常的な体験を惹起し、新たな創造の起爆剤となることです。この詩においては、深部感覚が恋の始まりを描写して高揚したポジティブな感情を引き起こすのに対して、内臓感覚は陰鬱でネガティブな感情であり、両者が不協和を呈しています。深部感覚と内臓感覚という身体内部の隣接した感覚同士の不協和は、引き裂かれ困惑した複雑な感情をシャープに表現します。それは、さながら、地層がずれて切り裂かれた断層のようで、鑑賞する者に強いインパクトを与えます。

発表から30年の時を経て、故・坂井泉水の芸術的創造性にびっくりしました。

追伸
2019年にZARDのトリビュートバンド、SARD UNDERGROUNDが結成され、ZARD 坂井泉水の楽曲が歌い直されています。ボーカルの神野友亜の歌唱は、ZARD 坂井泉水への敬意を込めて、歌詞を一文字一文字丁寧に歌い込むものです。それは、手書きの原稿を活字にするのに似ています。文章は、活字にすることで、客観化され、冷静に分析する対象となります。筆者も今回、神野有亜さんの歌唱にインスピレーションを得た次第です。

続編は、こちら


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