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慶應大学講義『都市型ポップス概論』⑥  【はっぴいえんど】 (こたにな々)

●文学部 久保田万太郎記念講座【現代芸術 Ⅰ】

『都市型ポップス概論』 第六回目


----------------2018.05.18 慶應義塾大学 三田キャンパス

講師:藤井丈司 (音楽プロデューサー) ・ 牧村憲一 (音楽プロデューサー)

70年代、その行き詰まった政治状況と呼応するように、 内省的な主張を持った音楽を携えて、米英に ”シンガー&ソングライター” が出現した—

”シンガー&ソングライター”を語る上でかかせない一人、アメリカ出身のジェームス・テイラー1970年『BBC』出演時に『Greensleeves』を演奏した時の映像。この時、彼は21才。

参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=10V2f0B6Rf0

イギリスでは誰もが知っている有名な曲を、さりげなくそして見事なテクニックで演奏した。しかしイギリスでのデビューに失敗しアメリカに帰国する。1971年にキャロル・キングの『You've Got a Friend (君の友だち)』をカバーし、大ヒットさせた。

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”シンガー&ソングライター” とは、 ”自作自演”という 解釈でいいのか—

とても印象に残った話しがある。ギタリストで音楽プロデューサーの佐橋佳幸がアメリカで仕事を始めた時に、届けられたデモテープが文字通りのデモテープではなく、すでにアレンジを加味した仕上がりで、アレンジャーとしてはあえてやることが無かったと言った。完成形を作るだけのイマジネーションと技術があり、数々の音楽知識があって、プロデューサーでもある、これこそが ”真のシンガー&ソングライター” の資格だったのでないか。だから多くのシンガー&ソングライターがデビューしても、結局は一握りしか残らなかったのでないか。

---その時代に居合わせたのが ”はっぴいえんど” だった

1969年〜1971年に起こったロックミュージックの変化

● ”はっぴいえんど” とフォーク・ソング(プロテスト・ソング含む)

はっぴいえんどは、60年代のフォークとは明らかに違った。はっぴいえんどが政治的な歌を歌った事はない。社会的ではあるが政治的ではない。

● ”はっぴいえんど” とGS(グループ・サウンズ)

GSの人気も陰った末期にGSの生存をかけて登場した ”PYG” 。GSの流行時に人気を誇った ”ザ・タイガース” "ザ・テンプターズ” ”ザ・スパイダース”の3バンドから2人ずつ集めたグループ。GS界では最も人気のあった沢田研二が在籍。PYGはあらたにロックを目指したが、GSからの脱却が中途半端であった事で失敗に終わる。

参照リンク (音源のみ):https://www.youtube.com/watch?v=6wsfOGwz6P4

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”はっぴいえんど” は、これらにNOと言った。

メンバーの松本隆が1970年に言った「黒船至上主義ロックには辟易してしまうのだ」という発言は象徴的で、日本語詞で歌うか歌わないかという論争自体が不毛である事や、自虐的歌謡曲・似非ロック信奉を否定した。

はっぴいえんどの事実上解散期、再度集結しLAで行われたサード・アルバムの最後にレコーディングされた『さよならアメリカ さよならニッポン』という曲にはその意が込められていると思う。

伝えられる「太平洋のど真ん中に落ちちゃいました」というメンバーが残した言葉が印象的だ。

  ”日本語のロック・日本語詞のロック” というのはある意味で表面的な評価であり、”はっぴいえんど” はそこから出発し、それまでの日本のロックと差別化したいという強い指向があった。

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1985年国立競技場にて、はっぴいえんど再結成の映像。結成のきっかけになったと言われる『12月の雨の日』を演奏。

参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=mBDttISCo2Q

当時は歌が聴き取りにくいなど否定的な意見が出たり、下を向いて演奏するような内省的なロックバンドと揶揄されることもあった。こうした姿勢を貫抜いたロックバンドは、はっぴいえんど以外はなかった。

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”はっぴいえんど” の楽曲手法

例えば漢字をすべてローマ字に置き替え、分解すると共に母音を一文字として強調し、日本語の音節に縛られないで音を優先した曲を創作した。

●『颱風』 作詞:大瀧詠一 作曲:大瀧詠一

「四辺(あたり)は俄(にわか)にかき曇(くも)り
窓(まど)の簾(すだれ)を冽(つめ)たい風(かぜ)が
ぐらぐらゆさぶる」
・・・・・・という詞を

「あたりはにー/わかに/かー/きくもり」という音節に替え歌った。

「きくもり」と歌い切ってしまうカッコ良さと共にそれは凄い発明だったー

多くの音楽家達がロックの雰囲気やファッションを追及している時に ”はっぴいえんど" はそれまでの常識を疑い、当時としては掟破りのことをした。特に初期2枚のアルバムには実験意図がある。

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●『抱きしめたい』 作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一

詞が意図的にあ行から始まっており「あ」という始まりで口を開けさせる事でインパクトを狙っている。 大瀧詠一はソロ後の三ツ矢サイダーのコマーシャル・ソングでも「あ」から始まる詞を作詞家に発注している。

●『風立ちぬ』作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一

はっぴいえんど解散後もその手法は提供曲に活かされ「風立ちぬ/今は/秋」と歌いだしに母音がきちんと入っている。

参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=0ao5OOVuEnY

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●『夏なんです』 作詞:松本隆 作曲:細野晴臣

詞に主語を一切出さない事で、自分の事を認識する前の自我が芽生える前を表している。どこか違う街に居て自分の居場所が無いこの歌詞は、フォークの一部にあった政治的なプロテスト・ソングや愛を叫ぶGSとはやはり違う。

そして ”メジャーセブンス・コード” の使用。3つの音で出来ているスリーコードに4つめの音が加わる事で複雑な感情が出せるようになった。昼と夜が混ざり合うような浮遊した音で意図的に構成されている。

この曲を歌った細野晴臣の低音の声質はジェームス・テイラーがヒントになっているように思われる。ビブラートをかけずボソボソと歌う事によって、感情の動きを少なくし日常的な温度感や湿度感を表現している。

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自分の中に飲み込んで、自分の中で発酵させたものは模倣(パクリ)ではないー

大瀧詠一はソロ・コンサートで、自身の楽曲のメドレーを似ていると言われた元ネタ(フィル・スペクター『ダ・ドゥー・ロン・ロン』)も含めてステージ上で披露した事がある。それは大瀧流のジョークであるとともに、パクリという誹謗に対する答えだったのだろう。

1977年 大瀧詠一「なんでも今基準にして考えちゃいけません。どちらかというと、昔から流れて来ているから今があるんですからね。歴史を逆に見ちゃいけないということです。」

●おわりに●

今の基準の中で物を言ってはいけない、それは音楽も同じ事。空想や想像力を使って過去を見る。この未来は選び取った正しい未来なのか、それとも選択肢を間違ったのか、だとすればそこに ”戻って” やり直すというのも新しい選択肢であり、現在にいる私達が出来る事である。

次回へ!!!! (9/15更新予定)

お読み下さってありがとうございました!

本文章は牧村さん及び藤井さんの許可と添削を経て掲載させて頂いています

文:こたにな々 (ライター)  兵庫県出身・東京都在住  https://twitter.com/HiPlease7

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