見方をかえる

そういう見方だってできる。
マイナスであり、プラス。

はらだみずきさんの『やがて訪れる春のために』を読みました。


『しかし、ここでやる意味について真芽が強調したところ、ふだん無口な遠藤君が口を開いた。それは植物の話だった。
「そもそも彼らは自分で生きる場所を選べない。そこに生を享けたら、そこで生きていくしかない。人間のように引っ越ししたり、身勝手に環境を大きくは変えられない。道端をよく見れば、アスファルトの隙間や、コンクリートの割れ目に生えている植物がいるよね。多くはひとくくりに雑草と呼ばれるけど、その姿は人の目にたくましく映る。でも、彼らにとってその場所は、マイナスばかりじゃないんだ。ほかの植物に邪魔されず、しっかり根を張り、水や養分を吸い、太陽の光を一身に浴びることができる。光合成を繰り返し、やがて花を咲かせ、種をつくる、いわば幸せな居場所とも言えるんだ。ハルさんの家は、たしかに人間にとって不都合な点も少なくないし、カフェをやるには欠点にもなるだろうけど、庭の植物にとっての日当たりは素晴らしく、風通しもいい。そういう見方だって、できるんじゃないかな」』

マイナスではあるけれど他のものにとってはプラスである環境。
見方をかえればマイナスもプラスに転じる。

どんなものにも長短はあります。
どちらをそのときに強く感じてしまうか。
それで環境は変わります。

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