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心と身体の乖離

初めてnoteというものを書く。

突然だが、私は恋愛が出来ない。出来ないと言うと語弊があるかもしれないが、正確には恋愛が"上手く"出来ない。
いつ頃からそうなってしまったのかは分からないが、物心ついた頃からそうだったような気もする。
私は男性が苦手だ。異性を見る時の好意、奇異の目や、舐め回すような視線が大嫌いだ。自分よりも一回り以上上の男性には嫌悪感や不快感、自分と同い歳くらいの男性には恐怖心を抱く。
そして私は、人並みに恋愛が出来た試しがない。気になるな、と思う程度の男性はいた。だけれど、自分と同じ類の好意をその意中の相手に向けられた途端、その好意が突然気持ち悪く感じてしまい、不快感で突き放してしまう。『蛙化現象』というものらしい。『蛙化現象』の主な原因の一つに、自己肯定感の低さが起因しているようだ。確かに私は自己肯定感が低く、自分のことがあまり好きではない。

自分もみんなと同じように、恋愛がしてみたい。そう思って、相手から向けられる不快感に耐えながら男性とお付き合いをしたこともある。それでも、ダメだった。連絡を取りあう度に言われる『好き』『可愛い』という言葉が、気持ち悪くて仕方がなかった。勿論、そうやって気持ちを伝えてくれる恋人は悪くない。私がそれを受け止めきれずに、いたたまれなくなり、その場から逃げ出したくなってしまうのだ。
その後は大抵私の方から連絡を取らなくなったり、別れを告げたりした。そうやって人の気持ちを踏み躙って、振り回して、傷つけてしまう自分のことが心底嫌になっていった。時には酷い言葉を投げかけられたりもして、恋愛に疲れてしまったのだ。

私は学生の頃から接客業をしている。接客業をしていると、お客様から横暴な態度を取られたり、理不尽なことを言われたりして何度も傷ついてきた。そうやって私を傷つけてくるのは、いつも自分より歳上の男の人達だった。若い女性より優位に立つことで、優越感を感じ、快感を得ている。それが当たり前のように蔓延っているこの世界に、私は心底嫌気が差した。女性はそうやって、男性に搾取されていくのか。これからも。この先も。
そう思えば思うほど、『男性』という生き物が私にとっては『未確認生物』のように思えて、気味が悪くなった。『男性』と『女性』のふたつに分けられ、カテゴライズされることにも疑問を感じるようになった。

一度だけ、同性の女の子と付き合ったことがある。優しくて、可愛くて、とても繊細な子だった。その子と付き合っていた時、その子に言われる『可愛い』や『好き』は全く不快じゃなかった。むしろ嬉しかったし、幸せだった。
でも性行為だけは、出来なかった。
結局私はその付き合っていた女の子のことを、『友達』以上『恋愛』未満としてでしか見ることが出来なかったように思う。
こんなことを言ってはいるが、私は好きになるのに性別は関係がないと思っている。なるべくその隔たりはなくしたいと、そう思っている。それでも最近は、自分のセクシュアリティについてよく考える。

私は別に、恋愛がしたくないわけではないのだ。出来ることなら、好きな人を見つけて、付き合って、幸せというものを感じてみたい。人並みに恋愛をして、周りのいう『恋愛』における幸福を味わってみたい。自分のことがどんどんわからなくなっていって、自分自身の輪郭がぼやけて見えなくなっていく感覚に陥っている。正直、今も不安で苦しい。自分自身のことが分からなくて、理解してあげられなくてこめんね、と思う。心と身体が乖離しているような感覚に陥る。
両親に『良い人はいないの?』と聞かれる度に、良い人って何?と思いながら、「いないよ」と答える。そうすると、両親が私くらいの頃にしていた恋愛の話を聞かされる。お決まりのパターン。私はそれを聞きながら、それが世の中においての普通なんだなあとぼんやりと思う。じゃあその世の中の『普通』にあてはまらない私は、何なのだろう。『普通』ではないのだろうか。でも正直、自分が一般社会における『普通』なのかなんてどうでもいい。ただ、自分自身のために、自分が一体何者であるのかを知りたいだけなのだ。多分。

このアカウントを通して、今後も色々な人と交流をして、少しずつ自分自身についての理解も深めて行けたらなと思っている。

自分のことを肯定できない人間に、他人を肯定する権利はないのかもしれない。


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