諌月くれか

気がついたら20年以上コンシューマゲームプログラマーとして過ごしてきました。同人活動で…

諌月くれか

気がついたら20年以上コンシューマゲームプログラマーとして過ごしてきました。同人活動で絵を描いたり曲を作ったりしてた事もありますが、色々あって休職復帰後は主にカメラと生き物(撮影&飼育)を趣味として暮らしてます。のんびり暮らしたい。

最近の記事

母が急逝しました

突然、母が倒れた2023年末、どうにか私も退院後それなりに無事に大晦日を迎えたのですが、今にして思うと、この頃から母の具合が悪かったのだと思います。 喉が痛い、少し気持ち悪い、と言っていて、本人は疲れていたし寒くなってきたので風邪気味だと思っていたようでした。しかし、喉は風邪薬で収まってくる範囲だったものの、気持ち悪さはなかなか収まりませんでした。 がんの手術を数回した父や、脳梗塞繰り返した私と違って、母は本人は病院嫌いだし元気だと信じていました。 しかし、年明けて、正月に

    • 脳梗塞退院後の日常

      入院生活の経過2023年9月から始まった入院生活。 色々と苦労しましたが、だいたい2ヶ月も経たず退院を迎えました。 病院の見立てでは自立生活できて退院までは3ヶ月以上はかかるという話だったので、回復早かったですね。色々運が良かったのと(運というか悪運)、リハビリを地道に頑張り続けた結果かなあと。 リハビリの工夫退院すると、当然ながら病院でやっていたリハビリのスケジュールは無くなるので、日常生活に慣らす他にも、自分で積極的に体動かさないといけません。バランス面でもちろん不

      • 再度の脳梗塞で緊急入院からの歩行リハビリの過程

        脳梗塞再発前回の脳梗塞 2023年の頭に、目が見えづらくなって眼科行ったら脳の病気かもと言われて、脳神経外科行ったら脳梗塞、脳卒中起こしてた(終わった後)だと言われたのがこの記事書く半年前の話。直近でどうこうという話ではなかったので、血圧に気をつけながら、経過観察で来年またMRI見てみますかという状況だったのですが、ここに来て来年を待っていられなくなりました。 救急搬送 2023/9/2、朝から通院して、適当に買い物して、外で食べた後帰宅して、しばらくソファで横になっ

        • 目が見えにくくなったら要注意

          おおごとになりました始まり 事の始まりは、2023年1月、2月くらいでした。ふと気がついたら、圧倒的に目の見え方に問題が生じました。前の年の後半から、ずっと早朝、深夜残業で体も頭も、当然目も酷使し続けていたので、最初は目を使いすぎて視力が落ちてきたのかなと思っていました。当初は、視界が暗いなー、見えづらいなーって印象でした。しかし徐々に悪化してきたし、仕事にも日常生活にも支障をきたしてきたので、万が一に視力を失ってしまったら良くないし、知人に緑内障や白内障の人もいるので、

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          うつ病寛解までの覚え書き

          経緯これまで、こまめにしか呟いてこなかったので、まとまった形で書いてなかったなと思ったので、一度メモしておきます。 始まり元々、ゲーム開発系の仕事をしていた為、入社直後から、月の残業時間100時間や300時間近くは頻繁に続いたりもしており、正直健康面はボロボロでした。とはいえ(今となっては昔話ですが)、そんな中で十年以上やり抜いていましたが、調子がおかしいなとなったが、2011年でした。多分、忙しいだけなら気づかなかったんだと思います。当時、ちょうど、振られた仕事について、

          うつ病寛解までの覚え書き

          今年の桜

           相変わらずの仕事の忙しさ、加えて週末の天気の悪さのせいとで、今年も大して桜を見ることなくシーズン終わってしまいました。  梅の方が、正月明けから長らく咲いているので好きかもしれない。  あと、桜の時期ってだいたい花粉症のピークなので、迂闊に外に出にくいのもありますね。  ソメイヨシノは色が薄いのと一瞬で消えていくので、八重桜とか枝垂れ桜系の方が好きです。

          かたつむりのいる日常

           かたつむりが好きすぎるあまり、サイゼリヤのエスカルゴが食べにくい今日この頃、皆様御機嫌如何でしょうか(挨拶) 今まで飼ってきた生き物 ペットというと、だいたい犬や猫がメジャーです。続いてハムスターやインコ等の鳥、あとは爬虫類(レオパとか)やカエルとか。それ以外になってくると、マニアックなものになってくる印象があります。私も動物は大好きで、猫ブームになる前から猫好きなのですが、しかし単純に好きというのと、ペットとして飼う事ができるというのはイコールではありません。飼うからに

          かたつむりのいる日常

          去りゆく記憶と消えゆく故郷

          故郷のその後 先日、自己紹介代わりの振り返り駄文を長々と書き連ねました。  10歳くらいまで過ごしていた故郷の夕張ですが、この記事で書いた通り、親が働いていた炭鉱は閉山を迎えます。  62人の死者を出した爆発事故が起きたのが1985年。その後の事業縮小に伴って親が転勤となって夕張を離れたのが、1987年。そして最終的に閉山したのは、1990年です。私が離れた時期は先行転属組だった為、まだ地元の光景はさして変化のない頃でした。しかしながら、当然その後どんどん人が離れ、閉山に

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          夢の中だけに存在するもうひとつの地元

           見る夢はいつも総天然色です(挨拶)  皆さんも、日々色々な夢を見ることと思います。カラーだったり、モノクロだったり、夢の中なのに仕事してたり、幼少期に戻っていたり。私は時々BGM付きだったり、スタッフロール付きだったり、途中でカットが入ってやり直しになったりもしますが。夢の監督は誰だ。  もっとも、夢の大半は起きるとだいたい忘れることがほとんどです。起きた直後にはうっすら覚えていたとしても、直ぐに記憶から揮発していきます。なので、長く覚えている夢はごく一部のみです。その内

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          田舎で虫を追いかけていた子供がゲームプログラマーになっていた件

           裏山でハチに追いかけられる時だけ全力を出していました(挨拶)  そんな訳で、初めましての方は初めまして。諌月くれかです。虫好きの子供だった筈が、いつの間にか人生五十年を目前にしつつある年月が経過してしまいました。思えば遠くへ何とやら。体力はすっかりなくなりましたが。  だから何だという話ではありますが、noteのこのスペースいつまで空っぽのままなんだということで、自己紹介代わりにこれまでの半生をざっくり振り返ってみようか、という感じです。多分、冗長。  生まれたのは19

          田舎で虫を追いかけていた子供がゲームプログラマーになっていた件