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唐揚げと卵焼きと「幸せ」

「幸せ」とはなんだろう

とても抽象的で哲学的な問いの答えを求めて7年が経った。


私は小学2年生から中学3年生までの間中国に住んでいた。
最後の約2年間は現地のイギリス系の学校の国際部に所属し
多文化共生の環境で英語で勉強に励んだ。

両親のおかげで本当に沢山の経験ができたし、
何よりも世界が広がった。

しかし、中国の現地の学校では日本人がほぼいなかったため、
私の日本人としてのアイデンティティがものすごく強まった。
(後に大学の授業でディアスポラについて学び非常に共感した)
そして、私の学年には両親が日本人で日本で生まれ育ったのが私しかおらず、
私は日本人代表のように扱われていた。
「くれははすごく優しいいいこ。だから日本人みんな優しくていい人」
というように。

私自身も周りの日本や日本文化に対してのいいイメージに流され
「日本はすごくいい国だ」と思い込んでいたし
当時の私は東京ディズニーリゾートのキャストに憧れていたため
「日本人はみんなキャストさんみたいに人想いで丁寧で優しくて温かい人」と
本当に思っていた。


しかし、7年間の長い中国での生活を終え、
日本の中高一貫校に入学して、自分の理想と現実の大きな差を目の前にして
衝撃を受けてしまった。

日本の教育が合わず伸びない成績。
日本人のカーストや友達付き合いに馴染めず深められない人間関係。
場所問わずはびこる差別や暴言、愚痴、
選挙率が悪く、前に進まない日本。
私の将来よりも弟の将来に悩む家族。

常に「幸せ」を探しては絶望して、
「自分は何が違うんだろう」
「どうしてこうなったんだろう」
と考えるようになった。

そして、
どんどん自分を追い込んでしまうようになった。

その結果学校では孤立した

沢山のことが重なって限界を迎えたとき
料理が不得意なお母さんが珍しく私の大好きな卵焼きと唐揚げを
一緒にお弁当に入れてくれていて、
母の愛を感じ
誰もいない小さな教室で涙を流しながら1人それらを頬張ったのを覚えている。

そんな私だが、
大学生になり、ずっと憧れていたテーマパークでのお仕事を始めて
同僚や先輩、上司のおかげでやっと大きな変化が訪れた。

人に「私も好きですよ〜っ」と言えるようになった
すごく笑顔で人の前に立てるようになった
目の前の人のいいところを沢山見つけられるようになった
のである。

そして、もうすぐ大好きな人とお付き合いをして一年が経つ。
彼に出会ってから食べ物がすごく美味しくなった
可愛い服を着たいとすごく思うようになった
一緒にたくさんのものを見て、感じて、生きたいと思えるようになった。

これまで苦しんできたのは今のためなんだと本当に思える。

それまでは人が怖かったし、
生きていくことに希望が見出せなかった。
でも今は生きていて楽しいし、幸せだと感じる。

今は小学生の時からずっとずっと憧れてきたカリフォルニアに留学中で、
彼や家族、職場の仲間には会えないけれど、
憧れてきた景色や食べ物、文化に触れて新しいことを沢山体験している。

日本食はいろいろ恋しいけど

お母さんの唐揚げと卵焼き食べたいな

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