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泣ける本は・・・▶︎泉ハナ

横浜読書会KURIBOOKS - 知的好奇心を解き放とう~参加者募集中~

世間巷、すでに定番になってる "感動をありがとう" という言葉が好きではありませんで。
いや、否定する気持ちはないです。
ただ、好きじゃない。
感動って、確かに与えられるものだけれど、どこで心揺さぶられるか、どう揺さぶられたのかはそれぞれ違うし、自分の内面の奥深くにあるものだと思うんですよね。
そして、意図的に作られるものでもないし、もらうものでもない。
面堂くせぇこと言ってるのはわかってます。

それと同じ理由で、"泣ける本" って宣伝の仕方も好きじゃありません。
俺の涙、そんな簡単なもんじゃねぇぜ、と思ってしまいます。
感動もそうだけど、あまりの展開に驚愕して脳みそ機能停止になったり、思わず落涙してしまうのって、ものすごく貴重な大事な、人生の中で一瞬大きく煌めくすごい体験だと思うんです。
他人にそんな、泣けるよーとか言われて安易にそうなるようなもんじゃねぇんですよ。
ただ、本の帯とかに泣ける!って書くと売れるんだそうです。
いやはや。。。

私はけっこう泣き虫なので、映画でも本でもよく泣きます。
ただ、なんていうか、泣いたから感動したとか、それは必ずしもイコールじゃないし、涙一滴もこぼれないけど固まって動けない、感動、なんて言葉すら超えて、体が震えるくらい心を揺さぶられるってこと、あります。

最初にそれを体験したのは、立原正秋「冬の旅」です。
叔母から勧められて読んだのは、中学2年生の時。
主人公ではないある人の人生の一瞬に、しばらく立ち直れないくらいの衝撃を受けました。
その一節読んだ後、しばらく続きが読めなくなりました。

ボブ・グリーンの「書き続ける理由」は、図書館の窓枠に座って読んでいて、声を出して泣きそうになった本です。
一度失われたひとりの車椅子の青年の夢が、彼の努力と家族のサポート、人々の善意によって叶えられていく過程が描かれていました。
オーディションに落ちて、200キロ以上の道のりを帰っていくことになる彼の言葉、父親の言葉は、私の心を大きく揺さぶりました。

今もって、私の心に杭のようにささっている一文があったのは、吉本ばななの「サンクチュアリ」です。
その一文を読んだ瞬間のことは忘れられません。
山手線がちょうど原宿駅に着いたところでした。
本開いたまま、だあだあ涙を流し始めた私に、周囲の人びっくりしていました。

その時に私の心を打ったもの、揺さぶったもの、穿たれたものは、感動という言葉にはあてはまりません。
感動なんて言葉が陳腐にすら思えてしまうほどのものでした。
言語化することすらできない、何かでした。
同じ本、同じ文を読んでも、私と同じ気持ち、インパクトを持つ人は他にはいないでしょう。
それは私だけのもの、私がだけの体験です。

本ではなく、映画の話ですが。
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という映画を当時の会社の同僚と見ました。
繊細すぎて世界の全てが恐ろしく感じる少年が、911で命を落とした父への悔恨から、あるリストに名を連ねる人々を訪ねていくという話です。
怖くく電車に乗れない少年は、マンハッタンからブルックリンまで、歩いて橋を渡る決意をします。
彼は橋だって恐ろしい。
橋の入り口で少年は、怖い時にはこれを鳴らして勇気を奮いたたせるのよ、と母親が持たせてくれたタンバリンを思いっきり振りながら走り出します。
私はそこで、思いっきり泣きました。
彼にとって、父親の死にまつわる体験は、世界に対する恐怖を凌駕して余りあるものであること、そして、必死にタンバリンを振りながら走る彼の姿の清冽さに涙がこぼれました。

映画が終わった後、いっしょに見ていた同僚が言いました。
「かわいくもなんともない生意気な子供で、うっとうしかった。しゅっちゅうタンバリン鳴らしまくってて、うるさいったらないわ。馬鹿じゃないの?」
同じ映画を見ていたけれど、彼女と私の見ていた世界はまったく違うものでした。


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