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「少女文学 第二号」について/栗原ちひろ個人サンプル

 同人誌が出ます。

 今回、この本の巻頭にわたしのお話が載ります。「黄金と骨の王国 白銀の騎士と人形の王女の章」といって、少女文学第一号に載せていただいた話の続き、というか、過去編です。
 
 第二号から読んでも全然かまわない、一話完結の物語です。むしろ、こちらから読んでもらって、あとから第一号を読んでいただくと一際趣深いかもしれないので、気になったら気軽に物語の世界に飛び込んでみてくださいね。

 他にもたくさんの力作揃い、きっと損はさせない一冊。11/24に東京ビッグサイトで開催されるcomitia130で初売り、通販もありますよ!

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 以下は二号に載るわたしのお話の冒頭サンプルです。お気が向きましたらチェックしてみてくださいませ。

■□■

 夜はけして熟睡してはいけないわ、ハイリ。
 なぜって、あなたはこの国の王女さまなんだから。
 王女さまはね、美しく着飾って、織物をして、刺繍をして、まあるいパンも綺麗に焼いて。歌を歌って、楽器を鳴らし、夢のような宮殿で、まるで楽園の小鳥のように過ごすの。

 そしてぐっすり眠ったら、小鳥みたいに死ぬのよ。

「……っ……!!」
 引きつった息を吸いこんで、ハイリは目を開けた。
 暗い。夜だ。
 視界に揺れるのは、薄布で作られた天蓋。刺繍してある無数の剣先花には見覚えがある。
 自分の寝台だ、冬宮の。
 複雑な幾何学模様に彫り抜かれた窓辺には、色とりどりのガラスを組み合わせた夢のようなランプが灯っている。病篤い妃の娘であるハイリの部屋は広くない。だが充分に趣味のよい絨毯が敷かれ、布類にはハイリ自身の手で巧みな刺繍がほどこされており、充分に美しく、居心地がよい。
 何も異常はない……気がする。
 おそらくは悪い夢をみたんだろう。
 ハイリの夢は大体悪夢だ。
 母がずっと悪夢みたいなことばかり語るから、十歳のハイリの心にはあちこち小さな欠けがある。欠けたところはぎしぎし嫌な音を立て、甘い夜風を盗賊の吐息、香のかおりを火事の燃え始めと思いこむ。
 今日もきっとそれだけど、でも、一応、確かめないと。
 ハイリは低い寝台から床に降り立つ。分厚い絨毯の端を容赦なく引っぺがし、大理石の床に耳をつける。
 ここは王妃である母と自分のための小さな宮殿。女の履く靴はフェルトで作られた柔らかなものだから、夜に聞こえる足音は、近衛兵の見回りのみのはず。その足音はとてもゆっくりで規則的だ。
「……!」
 ハイリはぎょっとして顔を上げた。足音がする。
 しかも、ほとんど小走りの、男。
 どうしよう、と思った次の瞬間、扉が外から叩かれた。
 どんどんどん、どんどん。
「――ハイリさま。お開けください」
 その声には聞き覚えがある。古参の近衛兵だ。
 何か、あったんだ。
 ハイリはぐっと緊張がせり上がってくるのを感じる。金色の取っ手に取りつき、内側から鍵を外す。
「わぶっ!!」
 待ちきれない、とでもいうように扉が開き、あろうことかハイリの顔面にぶつかった。目の前で星が散り、ちいさなハイリはころころと絨毯の上に転がる。
「なに、を……きゃ、なに、これ、なに……?」
 立ち上がる前に、ぬるりとしたものが鼻からこぼれた。鼻血だ、とはすぐにはわからなかった。生まれて初めての経験だったから。とにかく、鼻を拭かなければいけないことはわかる。周囲を見回すけれど、侍女を呼ぶ呼び鈴は遠い。
 どうしよう。せめて手で顔の下半分を隠して見上げる。
 開け放たれた扉の向こうに、まだらの服を着た近衛兵がいた。見知った顔はどこか脂ぎっている。
「お前か、この……!!」
「ま、待ちなさい! 入っちゃだめ、ここは私室よ」
 必死に叫んだけれど、近衛兵は重い靴音を響かせて入りこんでくる。ぎらり、ぎらりと、彼の瞳と刃が光る。
 ――抜刀している。
 ひゅ、と音を立ててハイリの喉に息が詰まった。
 なんで、自分たちを守るべき近衛兵が、抜刀して乗りこんでくるの。おかしい。何かが狂っている。どうして。
『王宮はすぐに狂うものよ、ハイリ』
 脳裏に母の台詞が蘇った。
 病で崩れかけた顔を包帯に巻き、ハイリ以外はろくに訊ねる者もいない冬宮の奥に引きこもった。陰気の固まり。
 彼女はことあるごとに、賢い王女の心得を口にする。
『不審なことがあったときは、折れるほどに背筋を伸ばして叱責するの。私を誰だと思っている? この国の第一王女、ハイリである。その一言で、虫けらがばたばたと死ぬくらいの気迫でないとだめよ。
 そんなふうに出来なければ――あなたが死ぬ』
「わ、わた、し、を、だ、だれ……」
 ハイリは鼻血を流し、床に這いつくばってがくがくと震えながら声を絞り出す。心は言うべき台詞を正確に覚えているのに、唇はぶるぶると震えて思い通りにならない。
 近衛兵は聞いているそぶりすら見せなかった。荒い吐息を響かせながら、つめたい半月刀を振りかざす。
『ハイリ。私の娘』
 頭の中で母の声がどんどん声量を増していく。
『どうしてあなたはそうなの。どうしてなんの威厳も、覇気もなく、人形のように笑ってばかりいるの。あなたは死ぬわよ、ハイリ。あなたは死ぬ。必ず、死ぬ。虫けらのように』
 ――はい、王妃殿下。私は死にます。
 ハイリは歯の根が合わぬくらい震えながら、心中で囁く。
 ごめんなさい、出来が悪くて。
 ごめんなさい、声が小さくて。
 ごめんなさい、虫ですら殺したくなくて。
 ごめんなさい、本と空想が好きで。
 先に逝きます、殿下。……ごめんなさい。
「死ね!!」
「ひぃっ!!」
 情けなく叫んで頭を抱え、その場に丸まる。
 直後、ぬるいものがびしゃりと頭にかかるのがわかった。
 きっと、私の血だ。これだけ血が出たら、助かるまい。死ぬんだ。死ねるんだ。もう、終わるんだ。
 そのことを、ほんのちょっとだけ嬉しく思った。
 そのとき。
「命運が尽きたのは、貴様のほうであったようだ」
 押し殺された声がした。
 押し殺されていても、涼やかな声であった。
「えっ……」
 ハイリは思わず顔を上げる。自分の髪を伝わって、ぼたぼたと生臭い血がこぼれていく。彼女の周りには血だまりが出来ていた。血の出所はハイリ――では、ない。
 いつの間にやら、さっきの近衛が無様に転がっている。その喉はすっぱりと、ほとんど首が取れそうなほどに深く切り裂かれていた。血は、そこから来たのだ。
 衝撃のあまりぼんやりと近衛兵の死骸を見つめるハイリの耳に、ガラスで出来た弦を弾くような声が響く。
「――醜いものをお見せしました。お許しください」
 ハイリは何度か緩慢な瞬きを繰り返し、目の前に出現した人影を見上げる。
 真っ白な顔であった。
 真っ白で、美しい。
 そして……笑っている。
 そのひとは名人と呼ばれる職人が焼き上げた陶器のごとくきめ細やかな白い肌にまぶたの重たい甘い瞳を持ち、するりと通った鼻筋の下には少女じみてふっくらとした唇を配した、奇跡みたいにきれいな――男だった。
「テイ、ギ? この間入った……近衛の?」
 ハイリはどこかぽかんとしながら訊いた。
 美しい男はしっかりとうなずいてから扉を硬く閉め、ハイリの前にひざまずく。長い白金髪がさらさらと近衛装束の肩からこぼれるのが見えた。まるで砂金が流れていくかのようだった。
「わたしごときの名をとどめて頂き、ありがたく存じます。わたしは冬宮の剣、テイギにございます。ハイリさま、残念ながら、お母上――王妃殿下はお亡くなりになりました」
「殿下が、お亡くなりに。なんで……?」
 ハイリはまだまだぽかんとしていた。現実の流れが速すぎて、すべてが明け方の夢のように思えた。
 しかし夢にしては血のにおいが濃すぎる。まだ絨毯の上には近衛兵の死骸が転がっているし、テイギの美しい白装束にも赤黒い染みが飛び散っていた。
 よどみなく、彼は続ける。
「暗殺にございます。黒幕が何者かはわたしごときにはわかりません。しかし、大きな暗殺のあとには小さな暗殺が続く。殺された者の一派を皆殺しにしようと、黒幕の息のかかった者どもが王宮を闊歩します。こやつもそのような者かと」
「なんで……」
 なんで王妃殿下が殺されなければならなかったの?
 そんな問いが無意味なことはわかっていた。わかっていたけれど問いたかった。起きてしまったことにだだをこねたかった。彼女はいつだって陰気で醜くて怖いことばかり言ったけれど、ハイリの唯一の味方だったのだ。
 母の居ない王宮は荒野よりもひどい。今この瞬間、ハイリはどうやって息をしていいのかすらわからない。
 そのとき、不意にテイギはハイリを抱きしめた。
「ひっ」
「お静かに――何者かの気配がいたします。……奥へ」
 強い力でハイリを抱いたまま、テイギは声を潜める。
 心地よい美声が直接耳朶に注ぎこまれる。
 体温を、感じた。
 彼の見た目に反した、温かな、体温を。
 親しからぬ男の体温――気持ちが、悪い。
 ハイリはいきなりぐっとせり上がってくる嫌悪を感じ、必死にテイギを振り放した。
「……触れるな、テイギ」
「ハイリさま」
 テイギは声を潜めたまま、素直に離れる。ハイリはまだ肌に残った生ぬるさに、地団駄を踏みたい気持ちだった。
 短い十年の人生の中で、こんなふうに抱かれたことなど一度もない。幼いころにはあったのかもしれないが、覚えていないのならないのと同じだ。
『べたべたと触れあうのは下賤の者の印。王女らしくしていなさい。あなたに触れていいのは、高貴な夫だけ』
 母の声が頭の中をぐるぐる回る。
 彼女はもうこの世にいないのだと思うと、自然とハイリの背筋は伸びた。
「助けてくれたことには礼を言う。よくやった、テイギ。だが、出て行け。ここは第一王女ハイリの私室。近衛兵とて、本来男が入ることは許されぬ。外が死地であろうと、この世が逆さになろうと、だ」
 吐き出した声は少し震えていたが、それなりによく響いた。母が力を貸してくれたのかも知れない。多少は王女らしい声だった。テイギは、はっとしたようにひざまずく。
 威厳が通じたのだ。そう思うと、さっきまでの気持ち悪さがわずかに薄まった。
 ところが、テイギはそれ以上離れようとはしなかった。それどころか、わずかに身を乗り出して続ける。
「死地はこの部屋です、ハイリさま。どうか、朝まであなたを守らせてください。朝が来れば皆、しぶしぶ昼間の法に身を委ねます。黒幕は表に出ないでしょうが、あなたは助かります。そうなれば、わたしは謹んで処刑されましょう」
「処刑、される? 死ぬというのか? 自分から?」
 意味がわからなくて繰り返すと、テイギは即答した。
「当然です。ハイリさまの私室に押し入った罰は、受けねばなりません」
 それは、そうかもしれないけれど。ハイリは軽いめまいを覚えた。目の前の男がよくわからない。つまり彼は、死ぬ覚悟でハイリを守りに来たということなのか? どうして? 誰かに命じられたからなのか?
 途方に暮れたまま、ハイリは訊く。
「テイギ。お前は、誰の思惑で動いている?」
 テイギはふと長いまつげを伏せ、囁きで返した。
「罪深くも、わたし自身の思惑で動いております」
「なぜ、それが、罪深い」
「今、お聞かせするお話ではないと存じますが……」
「朝になれば死ぬ身だろう。今言え」
 ハイリは訊いた。訊かずにはおられなかった。この王宮でひとりぼっちになってしまった自分を命がけで守るという男が、どうしても理解出来なかった。
 テイギはしばしの沈黙の後、不意に顔を上げた。
 琥珀色の、あめ玉のような瞳に強い光を宿し、彼は言う。
「あなたを、お慕いしているのです。初めて拝謁叶ったそのときから、ずっと。ずっと……あなたの騎士になりたいと、望んでおりました」
「私の? 騎士に?」
 ばかみたいに繰り返す。本当にばかみたいな返しだと思う。顔もきっとばかみたいだったはずだ。でも、テイギは揺らがない。馬鹿にもしないし哀れむような顔もしない。
 代わりに貴婦人めいて白い頬を淡く赤らめ、目を伏せる。
「はい。……申し訳ございません。夢なのです。あなただけを見つめ、あなたのために戦い、あなたのために殺し、あなたのために名誉を捧げ、常にあなたのことを思っていたいという――そんな、身の程知らずの夢をみておりました。なぜなら、あなたは、美しい」
 うつくしい。私が? この、できそこない王女の私が? 母様にはずっとみっともないと言われ、国王陛下には骨の固まりだな、などと言われてきた私が?
 そんな私を、こんなにも美しい男が、美しいと言うの? 
 呆然と突っ立つハイリに、テイギは深々と頭を下げる。
「夢だからこそ。今夜だけは、そのつもりでいたいと思っております。どうか、お許しください」
 なんてことだろう。なんて、夢みたいな話なんだろう。
 ハイリはテイギの頭を見つめながら考えている。
 乳母が帰省中に黄金病で死んでから、誰がこんなふうに自分を愛してくれた? そんな相手は居なかった。ただのひとりも居なかった。愛されない人生は苦しくて、ずっと息が苦しくて、ずっとずっとそのままなのだと思っていた。
 だけど今、奇跡は起こった!
 美しい男が騎士の誓いを立ててくれた、ただそれだけで呼吸が楽だ。体が軽い。血のにおいなんか全然気にならない。生きていきたい。このあとも、できる限り生きていきたい。ハイリはそんなふうに自然に思う。
 ……でも、明日になれば、この男は処刑されるのだ。
 そうして、ハイリはまたひとりになる。
 母すら居ない、本当のひとりに。
「や……やだ」
 ぼろり、と言葉がこぼれた。
 ほとんど同時に、熱い大粒の涙もこぼれた。
「殿下」
 テイギが目を瞠り、大きく両手を広げるのが見える。
 ハイリはもはや何も考えず、その手の中に飛びこんだ。
「いやだ……なんで、今夜だけなんだ。そんなこと言うなら、ずっと、一生、私の騎士で居てくれなきゃ、いやだ……」
 嗚咽を繰り返しながら、必死に言葉を紡ぐ。
 テイギは優しく、しっかりとハイリを抱き留めてくれた。男の体温がハイリの体をすっぽり包み、しなやかな筋肉の硬さが彼女を縛った。さっきは酷く気持ち悪かった全てが猛烈に気持ちよくて、ハイリは小さく震えた。
 こんなものを、二度と手放せるわけがなかった。
「……今夜のこと、は。ひみつだ……わたし、たちの」
 ハイリは堅く目をつむって囁く。
 テイギがハイリの部屋にやってきたことを、どうにかして隠そうと思った。それが王女としてふさわしい行いかどうかはしらない。でも、それでテイギが死を免れるなら。ずっと自分の傍らにいてくれるなら、他に選択肢なんかない。
 そんなハイリの髪を撫で、テイギはそっと声を潜めた。
「捧げます。一生……来世ですら、捧げます。わたしの、高貴なる姫君よ」

(少女文学第二号へ続く)

ヘッダーイラスト☆さま

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