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「生きててエライ!!」に嫌悪感を感じてしまう理由

「朝起きられてエライ!!」
「布団から出られてエライ!!」
「ご飯食べられてエライ!!」

「生きててエライ!!!!!!」

生きてるだけで全肯定してくれるbot、人気だね。
なにかと生きづらいこのご時世、「生きてるだけで褒めてもらえる」事は安心するよね。自己肯定感爆上がり。

でも中には、ぼくみたいにひねくれた見方で見る人もいると思う。
「生きててエライって何だよ馬鹿にしてんのかよ、生きなきゃ死ぬだけだろうがよ!!」てな感じで。

生きてるだけで全肯定bot、普段は「そうでしょエライでしょ~~~~ありがと~~」ってなれるんだけど、メンタルが落ちてる時は逆にすこぶるイラつきます。
「当たり前の事をんな過剰に褒めてくんじゃねえよ!!」と。
初めて言葉を喋れるようになった赤ちゃんじゃねえんだからよと。

朝起きられたとかご飯食べられたとか、「そんな人間なら誰だってやれて当たり前の事しか褒めどころがない自分って……」とみじめになるんだよね。

ぼくが思うに、それは自分の頭の中で「生きてるだけでエライ」「だからスゴい」の大前提が逆になっちゃってるからだと思う。
「生きてるだけでエライ」だから「スゴい」、から、
「スゴい」だから「生きてるだけでエライ」に置き換わっちゃってる。

つまり、「スゴい人以外は生きてるだけではエラくない」になっちゃってる。
そして「生きてるだけでエラいと言われる為には、スゴくあらなければいけない」となって、自分に価値を付けさせようと考えてしまう。

メンタルが落ちると、自分に自信がなくなっちゃうんだよね。
自信がなくなると、「自分の価値を探さなきゃ」ってなってしまう。

でもメンタルが落ちた状態の自分から見た自分は、「何の価値もない人間」に見えちゃってる。
「何の価値もない人間はスゴくないしエラくない」から、自分が許せない。
だから自分を許してくれる「生きてるだけでエライ!!」の言葉に懐疑心を抱いて、イラッときちゃう。
「こんな俺が生きてるだけでエラい訳ねえじゃねえか!」と。

こういう理由で「生きててエライ」に嫌悪感を感じるんだと思う。
無理やり理由を作って励ましてくれてる感がイヤなんだよね。

この「生きててエライ」は、「人間は価値をつけて優劣をはかるものじゃない。だから皆等しく生きているだけで充分」って考え方からくるものなんだけど、
競争社会で生きてる身からすればちょっと理想主義すぎるというか、お花畑的に思えてしまう。
だから釈然としないんだと思う。

でも、他者と自分を比較して、または自分の中に価値ある自分像を見出して、「自分には価値がある、価値がない」ってやり続けるのは苦しい。
「スゴくないと生きててエラくない」ってスタンスだと、やっぱりメンタルがやられちゃうんだよね。

「生きててエライからスゴい」という精神で生きた方が、生きやすい。

「生きててエライ」、言葉だけ聞くとなんだかゾワゾワするけど、
自分軸のメンタルを取り戻す為には大事な意識だと思う。
競争社会と自分を切り離して、自己受容ができるように意識を持ってくと、
「生きててエライ」を言葉通りに受け入れられるようになるんじゃないかな。

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