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異常な程の承認欲求の正体は、「安全の欲求の欠如」だった

ぼくはここ数年、異常なほどの承認欲求に悩まされていました。
今も現在進行形でそうなんだけど、その正体に気がついてからは腑に落ちて、解決法の模索に意識が向いてくるようになり楽になってきました。

「認められたい」「成功したい」という願望は承認欲求として言われる事が多いけど、ぼくが思うにそれは承認欲求というよりは、「承認欲求以前の欲求の欠如」から来ていると考えます。

もっといえば、「帰属欲求や安全欲求の欠如」
「居場所が欲しい」「安全な地位につきたい」という根本的な欲求だったものがうまく言語化できずに膨らんで、「認められたい」「成功したい」という感情に置き換わってきたんだと思う。

マズローの欲求階層を見ると、承認欲求は比較的上の欲求なんだよね。
でもそれを細分化していくと、実はその下の欲求が満たされていなかった、って事が多い。

「帰属、安全欲求の欠如」が何故「承認欲求」と結びつくのか?については、
「認められる」事で「居場所や自分は生きてていいんだという安心感」、もっといっちゃえば「命の保障」が一気に満たせるから。

今の時代、とにかく「認められる事」が「生きてていいんだよと言ってもらえた証」になっちゃってるところがある。
だから皆狂ったようにバズや認知を狙うんだと思う。

「認められる」=「自分には価値がある」
=「価値ある自分は生きていていい存在だ」となる
から。

価値がないと判断されたら生きていけない。
だから社会に「自分には価値がある存在だ」と示さなきゃいけない。
「こいつは生かしていい、生かすべき存在だ」と、皆に認めさせなければならない。

不安定な社会に緊迫した世界情勢、そういったものが重なり合えば、誰だって不安や恐怖を抱く。
十年後、もしかしたら明日の先も見えない。いつ自分が、世の中がどうなってしまうか分からない。
生きていける保障が欲しい。

だから大金を稼ぎたい。
だから人気になりたい。
だから世の中で上の地位に立ちたい。

有名人になって、成功して、一生安泰で食っていけるだけの財力、認知度、人気、人脈、それらをひっくるめた「力」が欲しい。

その為に、認められたい。

こういうメカニズムだと考えます。

自分の価値が可視化される今の時代ゆえなのか、それとも社会が殺伐としてきてしまったからなのか、とにかく今は必死で「生きる価値の証明」をしなくてはならない時代になってしまった感がある。

競争社会だ何だ、勝負からは降りて自分らしく生きようよ、なんて言われても難しいし、今度は「自分らしく生きている証明」をしなくてはならない気がするんだよね。
社会全体がそうなっちゃってる感があるから、皆生きづらいのはわかる。

承認欲求とどう折り合いをつけながら生きるか。自分らしく生きるとは何か。
これは今の時代ゆえのテーマなのかも。

異常なほどの「認められたい」という欲求は、もしかしたら「安心して生きたい」から来ているものなのかもしれないよ、とのお話でした。


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